第240話 重圧と孤独に耐える男

「僕は結構、政治家の講演会とか聴きに行くけど」

「すごいですね。私、そういうのは全然です」

「聴くのはタダだし、政治家は例外なく話がうまいし」


オレが話をしていたのは医師事務の女性職員だ。

何の拍子ひょうしか、政治家の講演会について語ってしまった。


ホントに政治家の話し方は勉強になる。

我々と違ってスライドも使わない。

言葉だけで聴衆をひきつける。



「そうそう、野田さんの追悼ついとう演説は聴いた?」

「ニュースでちょっと見たくらいで」

「あれは全部聴いた方がいいよ」

「そうなんですか!」

「野田さんの演説はピカイチだね。僕なんか何度も泣いちまった」


実際、歴史に残る追悼演説だった。


2022年10月25日。

立憲民主党の野田佳彦のだよしひこ元首相が今は亡き安倍晋三あべしんぞう元首相に向けて行ったものだ。


「20分ほどだったけど、全く長さを感じさせなかったよ」

「ぜひ聴いてみます」



オレが初めて野田佳彦氏の演説を聴いたのは民主党の代表選挙の時だ。

2011年8月29日の事だった。

オレは人間ドックを受診している最中だったが、待合室のテレビが代表選挙の様子を伝えていた。


第1回目の投票では5人の立候補者のうち、野田氏は海江田万里かいえだばんり氏に次ぐ2位であった。

しかし、過半数を超えるものがいなかったため決戦投票となった。

投票に先立って海江田氏、野田氏がそれぞれ演説を行った。


海江田氏が何を言ったか、オレは全く憶えていない。

しかし、野田氏の演説は素晴らしく、思わず引き込まれてしまった。

与党代表、すなわち総理大臣として相応ふさわしいのは野田氏しかいない!

そう思わせる力強い演説だ。


オレと同じ事を思った人が多かったのだろう。

決戦投票では海江田氏を逆転して野田氏が民主党代表になった。


その後、総理大臣としての野田氏の功績に対しては色々な見方がある。

象徴的なものを1つあげるなら、2012年9月11日の尖閣諸島国有化だ。

その事の功罪はいずれ歴史が判断するに違いない。


しかし国有化の決断には総理大臣ならではの重圧と孤独があったはずだ。

オレはそう思う。

下手へたしたら1億3千万人の国民の命を戦争の危機にさらしてしまうのだから。


「最高責任者としての重圧と孤独に耐えながら、日本一のハードワークを誰よりも長く続けたあなたに、ただただ心からの敬意を表します」と追悼演説にも語られている。


そして野田氏は続ける。

「政治家の握るマイクには、人々の暮らしや命がかかっています。暴力にひるまず、おくさず、街頭に立つ勇気を持ち続けようではありませんか」と。

真摯しんしな言葉で、建設的な議論を尽くし、民主主義をより健全で強靱きょうじんなものへと育てあげていこうではありませんか」とも。


野党の政治家はこうあるべきだ。


日本に生まれて良かった、と心から思う。

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