第239話 津軽弁を話さない男

「自閉症は津軽弁つがるべんを話さない」というタイトルの本がある。

副題は「自閉スペクトラム症のことばの謎を読み解く」とある。


そう言われてみればそうかも、という経験がオレにはある。


そもそも自閉症というのはスペクトラムと呼ばれるように、程度や種類が様々だ。

ちょっと自閉症っぽい、というのは医師には大量に存在するし、オレもそのうちの1人だろう。


ただ、自閉症の極端な例であるアスペルガーになると実物を見る機会は少ない。

が、なぜかオレの外来にはアスペルガーの青年が通院している。


例によって元が何の病気で何のために脳外科に来ているのか良く分からない。

半年に1回程度、親子でやってくる。

話を聞いて、困っていることがあったら解決を図る。

ただ、それだけ。


さすがに子供の頃から育てている母親は良く観察している。


まず体操が苦手。


なので運動会に行っても自分の子供がどこにいるか、探さなくてもすぐに分かるのだそうだ。

「自閉症の診断にはラジオ体操」という業界のことわざを裏付けている。

実際、診察室でオレと母子の3人でラジオ体操をやってみると、いかにもぎこちなかった。


次に話し言葉よりも書き言葉が得意。

逆に言えば、話し言葉は苦手だ。


確かに青年は地元の方言を全く使わない。

変なふしのついた標準語を用いる。

もちろんタメ口ではなく、常に丁寧語だ。


「そうですね~♪」


自分の事を話していても他人事みたいだ。

そして、視線があわない。

横の壁を見たり、斜め上を見たりしながらしゃべる。


極めつけは囲碁が得意。


アマチュアでは無敵なのだそうだ。

とはいえ、囲碁の腕だけあって社会性が無いと職業にはできない。

だから、アルバイトで近所の碁会所の手伝いをしているそうだ。


彼はアスペルガーであっても性格が素直だ。

だから社会性が無くても周囲の人が応援してくれる。

利己的な人間だったらこうはいかないだろう。



そういえば十数年前に重症頭部外傷の子供が搬入されたことがある。

懸命の治療でなんとか救命することができた。

意識が回復すると、小学生でありながら敬語を使って話すことが分かった。

当時は主治医や医療スタッフに感心されていた。


最近、主治医の異動があったためオレの外来に通院し始めた。

この患者、実は方言を使えない自閉スペクトラム症なのかもしれない。

というのも、何かとこだわりが強く、話が嚙み合わないことが多いからだ。

もちろん頭部外傷の影響もあると思うが、それだけではない気がする。



オレ自身は自閉症の専門家でも何でもない。

しかし、ある程度の知識を持っておくことも必要だと思う。

患者との距離感を掴みやすくなるからだ。

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