第241話 爽やかなひとことを言う男

「この前の先生の学会発表、論文にするのか?」

「できますかねえ」

「やれよ、必ず!」


オレは思わず言った。


言われた哀河あいかわくんは研修医1年生だ。


学会発表の準備のために受け持ち患者数を少な目にしてもらっていた。

膠原病こうげんびょう内科の指導医が総合診療科などに「配慮してやってくれ」と依頼してきたからだ。


学会発表が試練なのはよく分かる。

そのために膠原病内科が自分の所の仕事を減らしてやるのもいいだろう。

でも、他の診療科にまでそれを頼むってのはどうなんだ?


日常業務の後に睡眠時間を削って準備するのが学会発表じゃないのか。

風呂にも入らずひげもそらずに憔悴しょうすいしきって本番を迎えるのが普通だ。

少なくともオレが研修医のときはそうだった。


が、時は令和。

そんな根性論が流行はやらないのは良く分かる。

働き方改革の徹底も厳しく言われている。

だから本来業務をけずって、その時間を学会発表の準備にあてる時代なんだろうな。


しかし、そう思わない上級医もいるみたいだ。

哀河あいかわくんは神経内科の恐山おそれやま先生に厳しく指導されたらしい。

いや、指導と言う名の叱責しっせきか。


恐山おそれやま先生の気持ちは良く分かる。

彼もオレと同じような経験をしてきたからだ。

が、特に落ち度の無い若者を叱責するのもどうかと思う。


へこみながらも哀河あいかわくんは何とか学会発表を終えた。

1年生にしては上出来だ。

が、所詮しょせんは学会発表なので業績としてカウントされない。

やはり論文に仕上げてこそ。


だからオレは哀河あいかわくんに言った。


恐山おそれやま先生に厳しく指導されたそうだな」

「先生の耳にも入っていましたか」

「言われっぱなしでどうする!」

「……」

「論文にしろ。それで恐山おそれやま先生の所に別刷リプリントを持っていけ」

「……」

「『いつぞやは御迷惑をおかけしました。お蔭様で米国医師会雑誌JAMA受理アクセプトされました』とさわやかに言うんだ」


恐山おそれやま先生は沈黙し、皆がお前の足元にひれすはずだ。

少なくともオレは賞賛を惜しまないぞ。


理不尽な目にわされて「あの野郎!」と叫ぶのはサルでもできる。

そんな三文芝居の何が面白い?


さりげない一言を発するためだけに死ぬほど努力するのが正しい研修医の姿だ。


「患者さんのために」などという美しいセリフはテレビドラマにでも任せておけ。


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