第201話 厳しい意見書を書く男

 某月某日。

 オレは某病院の会議室にいた。


 同席しているのは医療安全担当係長、脳外科医、病棟師長、事務職、そして病院の顧問弁護士だ。


 1年ほど前に行われた脳外科の手術の結果が良くなかった。

 患者は命を落とすには至らなかったが、重大な神経障害が残ったのだ。

 もちろん、その結果に怒り狂い病院にクレームを入れてきた。

 ウン千万円の損害賠償請求だ。


 病院は急遽きゅうきょ関係したメンバーを集めて対策会議を開いた。

 脳外科医として参考意見を聞かせて欲しいと、オレも院外から呼ばれた。


 会議に出席する前にあらかじめ渡された手術動画をチェックする。

 非常に難しい症例であったが上手うまい手術が行われている。

 鮮やかというよりは手堅いという表現がピッタリだ。


 もし「お前やってみろ」と言われたら、オレには自信がある。


 ただ、1ヵ所だけひっかかる操作があった。

 明らかなミスというのではない。

 手加減の問題だ。


 患者側弁護士の通知書にもその部分を指摘されている。


「実際のところ、どうなのですか?」


 病院の顧問弁護士が術者に尋ねた。


「ここのところは客観的指標があるわけではないので、経験と手応えとしか言いようがないですね」


 術者は淡々と答えた。


「通知書では、経験豊富な脳外科医に手術動画を見てもらったら『とんでもない操作だ』ということだった、とありますが」

「うーん。『とんでもない』とまでは言えないでしょうね、多少の見解の違いはあったとしても」


 術者は特に表情を変えない。

 顧問弁護士は続ける。


「こういったことはガイドラインに書いてあるわけではないので、双方が意見書を出すことになるわけですよ」


 なるほど、一同がうなずいた。


「そのために患者側は『とんでもない操作だ』という意見書を出し、こちら側は誰かに頼んで『妥当な手術操作だ』という意見書を書いてもらうわけですね」


 確かにそうだ。

 でもそれだったら膠着こうちゃく状態になってしまう。


 顧問弁護士は続けた。


「で、困った裁判所が鑑定医を探して鑑定書を作成してもらうわけです。結局、鑑定医の意見が裁判所の判断を左右するのが実情です」


 術者が尋ねる。


「この手術をする人はあまり多くないので、知っている人ばかりなんですよ。先方の意見書を書く人があまりいないんじゃないかと思うんですけど」


 医療安全担当係長が口をはさむ。


「でも、御自分では手術をしなくても意見書を書く先生はいらっしゃいますから」


 むしろ自分で手術をしないからこそ強気な事を言えるのかもしれない。

 信じられないことに意見書作成を生業なりわいにしている医師もいると聞いたことがある。


「実は私、似たような訴訟を1件抱えていましてね。『最低の手術だ』という患者側の意見書を作成したのが、闇野やみの先生なんですよ。御存知ですか?」


 そう顧問弁護士が尋ねた。


「闇野先生ですか。あの人、厳しいからなあ」


 初めて術者の表情が曇った。


「闇野先生が患者側についてしまったら大変な事になりますね!」

「何とかならないんですか?」


 会議のメンバーが口々に叫ぶ。


 そこで初めてオレは口を開いた。


「闇野先生が患者側についたらむしろラッキーですよ」


 何を言い出すんだ、という空気に会議室が包まれる。

 オレは続けた。


「なんせ鑑定人候補の駒が1枚減るわけですから」


 皆がキョトンとしている中、顧問弁護士が最初に言った。


「あっ、そうか。その通りですね!」


 つまりこういう事だ。


 誰が患者側意見書を書こうが結論は決まっている。

「トンデモ手術操作だ」というもの。


 一方、病院側意見書の方は誰が書こうが「妥当な手術操作だ」という結論になる。


 ということは鑑定人の人選が勝負だ。

 候補者の中に厳しい事を言いそうな脳外科医が1人でも少ない方がいい。

 そんなオレの意図に最初に気づいたのが顧問弁護士だったというわけだ。


 もちろん闇野先生が病院側に好意的な鑑定書を書く可能性もある。


 また、患者側が手術動画を見せたという「経験豊富な脳外科医」が実在しているかもはなはだ疑問だ。

 いたとしても、実際に意見書を書いてくれとか証人尋問のために出廷してくれとか言われたら尻ごみするのが自称「経験豊富な脳外科医」の実態だ。


 結局、クレーム対応の行方、そして訴訟に至った場合の帰趨きすうは誰にも分からないということだ。



 最後にオレの個人的な意見を言わせてもらう。


 そのまま手術をせずにいたら神経障害は確実に発生した。

 それを回避するためのワンチャンにかけて患者は手術を選択した。

 明かな操作ミスはなかったが、残念な結果になってしまった。


 起こったことは仕方がないと考えて、新たな人生を歩み始めるのが患者にとっては最良の策だと思う。


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