第187話 思わず声が尖ってしまった男

 院内PHSが鳴ったのは正午過ぎだった。


「今日受診したい」という患者に、受付は「正午までに来るように」と案内したらしい。

 患者はもう家を出ているが到着は12時半頃になりそうだ、と。

 診るしかないか、と思ってOKした。


 実際に高齢女性が診察室に現れたのは午後1時過ぎだった。


 曰く。

 4年前に子宮頸癌けいがんがみつかって治療した。

 2年前からフォロー中の病院に行かなくなった。

 この1週間、口にしたのはお茶だけだ。

 何とかして欲しい。


 一見して、るいそうが目立つ。

 末期癌特有のせ方にも見える。


 そもそも何故なぜ病院に行かなくなったのか、とオレは尋ねた。

 内照射の線源を入れるのが痛かった、内診が怖かった、と。


 癌の再発・転移はあり得る。

 2年間の空白を今すぐに取り戻すのは無理だ。


「再発の可能性はどのくらいありますか?」

「半々だと思いますよ」


 女性は溜息ためいきをついた。


「死にたくはないけど、この年まで生きられたのだから」


 オレはあきれた。


「あのねえ、僕の体じゃなくて貴女あなたの体でしょう?」


 思わず声がとがってしまう。


「御自分が病気と戦う意志がなくて、どうやって我々が一緒に戦えるのですか!」


 いつも思うことだ。

 中途半端な気持ちは必ず悪い結果をもたらす。

 闘病以前に人間関係のトラブルで自滅する。


「治るものなら治す。治らなかったらいさぎよく天国に行く。まず、その覚悟を決めてください」


 それができないのなら、病院に来ること自体が間違いだ。


「内診が怖い? トラウマだ? そんな言いわけは聞きません」


 戦うのか、戦わないのか?

 愚痴や泣き言を聞くためにオレはここにいるんじゃない。


「じゃあ、どうするのでしょうか? 」


 彼女はオレに尋ねた。


「まず入院してもらって全身状態の改善をはかります。そして癌の現状を確認しましょう」


 内診はもちろん、画像検査も行う。

 その上でどうするのがベストなのかを考える。


 何度も繰り返すが、患者自身が病気と戦う気がないのなら、我々にはどうもできない。

 オレの言うことが間違っているのだろうか?



 とはいえ、いささかイライラし過ぎだという自覚もある。

 あまりにも疲れていて患者との距離感がバグったのだろう。

「それは大変ですねえ」と口先の共感でお茶を濁した方が良かったのかもしれない。


 今日は早めに帰って寝よう。

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