第179話 ウンコと髪の毛にこだわる女

前回は頭部外傷後の記憶障害の青年に抗痙攣薬こうけいれんやくを処方したら劇的に効いた、という話をした。

今回は同じような症状の高齢女性に抗痙攣薬を処方しても効かなかった、という話をしたい。


その女性は70歳前後。


階段から落ちて頭を打って当院に搬入された。

幸いなことに、2~3日後に機嫌よく退院した。


が、3ヵ月後に外来受診した。

どうも頭が悪くなって物が覚えられない、というのだ。


外傷性てんかんかも、と思ったオレは治療的診断として抗痙攣薬を投与した。

4週間後に効果を確認すると「よくなった気がする」というのだ。

「よくなりました!」ではなく「よくなった気がする」というのに引っ掛かった。

が、そのまま抗痙攣薬を処方し続けた。


この女性はなぜかウンコにこだわりがあった。

記憶障害の話よりも便秘の話の方が長い。

頭を打ってから調子良く排便できない、というわけだ。


なぜ脳外科外来でウンコの話を聞かされるのか!

いい加減にしてくれ、とオレは怒った。


ウンコが引っ込んだと思ったら今度は髪の毛の話になる。

頭を打ってから脱毛がひどいのだとか。

確かにウンコよりも髪の毛の方が脳に近い。


でも脳外科で扱うのは頭蓋骨の中の臓器だ。

頭蓋骨の外にある髪の毛の話を延々とするのもやめてほしい。

オレはそう頼んだ。


ある日、この女性がオレに言った。


「姉がいるんですけど、私がてんかんと診断されたと言ったら、『ええっ!』と驚かれました」


てんかんと聞いて『ええっ!』と驚く人は令和になっても多い。

だから正しい認識を持ってもらわなくてはならない。


「次回はお姉さんにも一緒に来てもらえませんか?」

「でも、姉はガンなんです。だから心配をかけたくなくて」


オレはウンコや髪の毛の話以上に怒った。


「ガンがどうしたってんですか。心配をかけなければお姉さんの病気が治るってわけでもないでしょう。誤解したまま死んでしまったら、そっちの方が問題です。貴女に話をしてもちゃんと御家族に伝わっている気がしないので、とにかくお姉さんが生きている間にウチに来てもらってください!」


そう言ったら姉が来た。

何のガンか知らないけど、栄養がいきわたっている。

当分は死ぬことはなかろう。


「妹がてんかんって言われたみたいなんですけど、ウチの家系にはそんな病気は……」


また、この話か。


「いいですか、お姉さん。これから大事な話をするから、よく聴いてください」


そういうと姉はメモ用紙を取り出した。

いい心掛けだ。


「一通り話をした後で、試験をしますから、ちゃんと答えてくださいよ」

「ええっ、試験があるんですか?」

「あります。だから私の話を命がけで聴いてください」

「えっ……ええ」

「まあ、命がかかっている人だけが病院に来るんですけどね」


ということで、オレは外傷性てんかんの話をした。

要するに、頭部外傷で脳に小さな傷が入り、そこから時々棘波スパイクが出るのでその間だけ記憶が定着しないのだ、と。


そう説明しながら、自分でも釈然しゃくぜんとしないものがあった。


というのも、前回のエピソードに登場した外傷性てんかんの青年は、理路整然と話をしている中に時々記憶の欠落がある、という症状だった。

今回の高齢女性は常時記憶が悪いし、ウンコと髪の毛に異常なこだわりがある。


ふと血液検査の結果を見ると……

甲状腺ホルモンであるT4の数値が低い。

そして甲状腺刺激ホルモンのTSHの数値が高い。


典型的な甲状腺機能低下症じゃないか!


やっちまった……


甲状腺機能低下症の症状は多彩だ。

寒がりになる、体が浮腫むくむ、体重が増える、動作が緩慢かんまんになる。


そして、記憶力が悪くなる、便秘になる、髪の毛が抜ける。

これらも立派な甲状腺機能低下症の症状だ。


こういった症状がすべてそろうわけではなく、人によって何が出るかが違ってくる。

だから、記憶障害、便秘、脱毛という組み合わせがあってもいいわけだ。


ぬかった。


わけをするなら、頭を打ってから調子が悪くなった、というタイミングだ。

たまたま時期が一致したのだろう。


それにしても……試験を受けなくてはならないのはオレの方だ。

ウンコの話も脱毛の話も虚心坦懐きょしんたんかいに耳を傾けるべきだった。


すまぬ!


というわけで、甲状腺ホルモン製剤であるチラーヂンを処方した。

果たして次回の外来でどのくらい回復しているのだろうか?


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