第178話 恐ろしい現実に向き合う男

その青年の主訴は「何も覚えられない」というものだ。


受験勉強を頑張っている高校3年生。

春から夏にかけて成績は良かった。

が、秋から冬にかけて成績が落ちてしまい、志望校の合否予測ではD判定をもらってしまう。


彼は彼なりにもがき苦しんだ。


どうも勉強したのに全然覚えていない部分がある。

暗記したことを覚えていないのではなく、勉強したことすら覚えていない。


そこで自分が読んだ参考書のページに日付と時刻を書きこんでみた。

翌日に確認してみると、全く見覚えのないページに日時が書きこんである。


確かに勉強していたであろう時刻と勉強したであろう範囲にだ。

しかし、そのページの中身は初めて見る気がする。


ついにその恐ろしい現実を泣きながら親に打ち明けた。

驚いた親はオレの外来を受診させたのだ。



そもそも何でオレの外来なのか。


実は10年以上も前に交通事故で当院に搬入されたからだ。

急性硬膜下血腫があったが、幸いにして開頭手術をせずに済んだ。

血腫は数週間かかって自然吸収され、特に後遺症なく退院できたのだ。


以来、その少年は普通の小学生、中学生として成長する。

勉強はよくできたので、国立大学の理系学部を狙っていた。

が、突然、冒頭に述べたような意味不明の状況に陥ってしまったのだ。


事故当時の主治医や担当医は異動してしまって誰もいない。

だからオレのところに回されてきた。



直感的に思ったのは、外傷性てんかんではなかろうか、ということだ。

というのも、すべての短期記憶が障害されているのではない。

本当に全部覚えていないなら「知らない間に誰かが日時を書き込んでいる!」という訴えになる。


むしろ全体の記憶の中で、欠落している断片が数多くある。

そんな印象だ。


ということは、短時間の小さな痙攣発作けいれんほっさが起こっていて、その前後の記憶だけが定着を妨げられているのではないか、とオレは思った。


本来なら脳波検査で、てんかん特有の棘波スパイクの有無を確認したいところだが、受験は目の前に迫っている。

そこで、オレは自分の推測を青年に説明した上で抗痙攣薬こうけいれんやくを処方した。


いわゆる治療的診断だ。


つまり、この薬が効いて記憶障害が改善すれば、結果的に外傷性てんかんだったということになる。


果たして薬は効いたのか?



なんと、劇的に効いた!

処方したオレも、服用した患者も、双方が驚くくらいに。


もう青年は記憶障害に悩まされることもなくなり、勉強ははかどった。

そして驚異的な追い上げを見せたものの、入試本番では見事に砕け散った。


あっぱれ!


まあ、入学試験で落ちるのはよくある事。


オレ自身も現役ではどこにも受からずに一浪いちろうした。

泣く泣くかよった予備校では二浪三浪にろうさんろうは当たり前。

当時のクラスメートには六浪ろくろうすらいた。


それはさておき。

青年は一浪後、無事に志望校に合格した。

今は充実したキャンパスライフを送っているそうだ。

日焼けした肌がそのことを物語っている。


このように抗痙攣薬投与がうまく行くこともある。

が、うまく行かないこともあるのが現実だ。


次回はうまく行かなかった経験を述べたい。


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