第176話 爽やかな態度を取り続ける男

その女性は80代。


腰椎圧迫骨折で入院したが、それとは別に頭が痛いという。

すでに頭部CTは撮影されており、くも膜下出血が無い事は確認されている。

重大な疾患がないのはいいとして、頭痛は厳然と存在している。

だから入院中の整形外科からオレのところにコンサルが来た。


研修医が付き添って来ている。

だから、オレは少し指導することにした。


「1番多い頭痛は何かな?」

「ええっと、片頭痛でしょうか」

「そいつは2番目だな。最も多いのは緊張型頭痛だ」

「そうなんですか!」

「じゃあ、緊張型頭痛持ちの有名人をあげよ」

「誰かなあ。僕でも知っている人ですか」

「もちろん」


ひとといって良いのかはやや疑問だけど。


孫悟空そんごくうだ、西遊記さいゆうきの」

「ええっ?」

「あの金の輪で頭をめられて痛むのがまさに緊張型頭痛じゃないか」

「なるほど」


西遊記の作者はきっと緊張型頭痛に悩まされていたのだろう。


と、研修医に軽い教育をしておいて患者を迎えた。

この患者には既知の未破裂脳動脈瘤がある。

そいつが破れてくも膜下出血になったわけではないことはCTで証明されている。


「痛いのは頭全体ですか?」

「いや、左目の奥から左のこめかみにかけてなの」


まさに未破裂脳動脈瘤のある場所じゃないか。

ということは、切迫破裂せっぱくはれつだろうか。


「前回のMRIが去年暮れですから、この8ヶ月ほどの間に大きくなったのかもしれませんね」

「あら嫌だ。手術しなくちゃいけないの?」

「MRIで調べてみて、サイズが拡大していたら手術も考えた方がいいですよ」


何年もの間、沈黙を守ってきた動脈瘤が今まさに破裂しようとしているのか。

もしそうなら、おそらくは形状変化をMRIでとらえることができるはず。


しかしオレの頭には別の考えができつつあった。


「たった今、この瞬間も痛いですか?」

「ええ。ズキン……ズキン……と痛いの」


もしかすると群発頭痛ぐんぱつずつうかもしれない。


「ちょっと治療的診断ってやつをやってみようか」


オレは研修医に声をかけた。


「マスクで純酸素を吸ってもらう。群発頭痛なら頭痛が改善するはずだ」


ということで10分間、酸素を吸ってもらうことになった。

その間、暇なオレは研修医に社会人の心得こころえを伝授する。


「いいか、時間に遅れるな。呼ばれたら『はいっ』と元気よく返事しろ」

「わかりました」

「上の先生にコレコレをやってくれるか? と尋ねられたら、後先あとさき考えずに『イエッサー!』だ」

「出来ないこともあると思いますけど」

「最初から出来ないと言うよりは、やってみたけど出来ませんでした、という方が印象がいいわけよ」

「そんなもんですか」


あまりレスポンスが良くない。


「こういうことをちゃんと実行して2年間過ごせたら、そいつは非凡な研修医といっていい。先生が勉強で周囲の研修医より上に行くのは難しそうだしな」

「難しいでしょうか」

「不可能とは言わないけど。死ぬほど勉強して他の連中とどっこいどっこいじゃないかな」


直接的な表現は避けたが、オレから見たら能力差は明々白々めいめいはくはく

そこを対人スキルでカバーしようってのが、時間厳守、元気な返事、間髪かんぱついれない「イエッサー」だ。


そうこうしているうちに10分が経過した。


「どうですか、頭痛の方は?」

「ずっと楽になりました」

「ホントかな。手術されたくないから痛くないと言っているのでは?」

「そんなこと無い、無い。本当に頭痛が良くなったんですよ」


どうやら動脈瘤の切迫破裂より群発頭痛の可能性の方が高そうだ。

オレは研修医に言った。


「じゃあ、念のために頭部MRIで動脈瘤のサイズを確認しておこう」

「はいっ」

「それと、群発頭痛の治療については調べておいてくれ」

「イエッサー!」


なかなか良い返事だ。

ねがわくば、そのさわやかさを2年間続けてもらいたい。

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