第168話 眠れなくて困っている男

「なんだ、先生に尋ねたら教えてもらえると思ったのに」

「いやいや、私も睡眠の専門家ではありませんから」

「ガッカリだ!」

「そう言わずに、まず1万歩から始めましょうよ。5000歩でもいいですよ」


このようなやり取りがあったのは、今日やってきた高齢の男性患者とだ。


交通事故による頭部外傷だが、一見、どこも悪くなさそうに見える。

しかし、物覚えが悪くなり、瞬間的な判断に遅れが出るようになった。

いわゆる高次脳機能障害だろう。


これとは別に、事故以来、眠れなくなった、というのが今日の訴えだ。

夜の10時に寝ても夜中の1時頃に目が覚めて、その後は眠れずに朝までゴソゴソしているという。


ということで、眠れるためのアドバイスが欲しいのだそうだ。

ただし、睡眠薬はなるべく使いたくないのだとか。


で、オレは冒頭のようなアドバイスを行った。

ポイントは運動、入浴、食事の順番に実行するということだ。


歩くなどの軽い運動で適度に疲れると眠りやすい。

が、寝る直前に腹筋運動などを行うと、逆に体が目覚めてしまって眠れない。


入浴で体を温めて、冷え始めるときに眠りやすい。

だから風呂から出た直後は眠れないが、1時間ほどすると眠くなる。


食事の後は眠りやすい。

血圧が下がることと、おそらくは血糖も関係しているのだろう。

昼休み直後の授業で眠っている学生が多いのはそのためだ。


なので、運動、入浴、食事の順に行うと良く眠れるはず。

3つの行動で睡眠の誘発されるタイミングが一致するからだ。


それだけでも十分なノウハウではなかろうか。

でも、この患者は気に食わなかったらしい。


たぶん高次脳機能障害のせいで、相手に対する配慮が欠落してしまっているのだろう。

「ガッカリだ」とまで言われてしまった。


とりあえず1日1万歩を勧めたけれども、この人の思っていたアドバイスとは違っていたみたいだ。


「じゃあ、寝床で英字新聞でも読んだらどうですか。確実に眠れますよ!」と言いそうになったが、ギリギリのところで踏みとどまった。

人によっては暴言ととって怒り出すかもしれないからだ。


後で考えてみると、入眠障害と言うよりは中途覚醒が問題ともいえる。

その場合には、目を疲れさせたらいいのかもしれない。

パソコンを使って上海しゃんはいゲームとか数独すうどくをやったら目も脳も疲れる。


本人がパソコンを使えなくても、診察について来ている娘さんなら検索して簡単にゲームサイトを探し出すだろう。


なんだか凄くいいアイデアのような気がしてきた。

次回お勧めしてみよう。


ちなみにオレ自身は不眠とは無縁だ。

毎日、疲労困憊で帰宅するので、もうそのまま寝てしまいそうになる。


そんなオレにアドバイスを求められても困るといえば困るのだけど。

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