第84話 目撃されてしまった男

 その患者の顔を見るのは3年ぶりだった。


 数年前に交通事故にって頭部外傷になり、関係する診断書をオレが作成した。

 全身を受傷したので沢山の診断名が並んだ。

 高次脳機能障害、左片麻痺へんまひ、嗅覚障害、聴力障害、その他いろいろ。


 だから大量の診断書や意見書の作成をしなくてはならない。

 代表的なものが自賠責関係、精神障害者保健福祉手帳、身体障害者手帳、障害年金などだ。


 当初、患者は歩いて受診していたが、次第に車椅子で来るようになった。

 来ても待合まちあいの椅子の上に横になって寝ている。


 歩くのも難しい、耳も聴こえなくなってきた、頭も回らない。

 そういった愁訴しゅうそが徐々に増えてきた。


 オレはひたすら書類を作成し、患者の後遺症に対しては自賠責じばいせきからいささかの金額が支払われた。

 また、身体障害者手帳についても可能な限り上限いっぱいの等級を勝ち取った。


 そして3年前のある日を最後にプッツリと患者は来なくなった。



 今日、久しぶりにヘルパーの男性とともに車椅子で診察室に入ってきた患者はオレにこう言った。


 精神障害者保健福祉手帳は2級だが、これを1級にしたい。

 身体障害者手帳ももっと上の等級を取りたい。

 年金が少ないので、もっと増やして欲しい。

 耳も聴こえないし、匂いも分からない。


「なるほど。現在の精神障害者保健福祉手帳の診断書はどこで作成してもらったものでしょうか?」


 オレは尋ねた。


「近所のメンタルクリニックですけどね、ずっと通院しているのに僕が身体障害者ということも知らなくて、それで不信感があるんです」


 見れば、わずか半年前の診断書だ。

 専門家が書いたものをオレがひっくり返すというのもどうなんだ。

 そもそも、オレが顔を見るのは3年ぶりだから何も分からない。


「私が新たに作成するのはちょっと難しいですね」

「じゃあ、身体障害と合わせて年金を増やすことはできないんですか?」

「私が年金を出しているわけではないので、役所と交渉するべきでしょう」


 そこにヘルパーが割り込んできた。


「私はかれこれ2年間、この人のお世話をしていますけどね。身体障害はもっと重いですよ!」


 この人、身体障害者手帳の診断書を作成したがオレだということを知らないのだろうか?

 書いた人間を非難してどうするんだ!



「うーん。以前、私と道ですれ違ったのに気づきましたか?」


 オレは患者に尋ねた。


「えっ、どこでですか?」

「病院の敷地内ですけど、駅に向かって歩いておられましたよ」

「……」

「私が声をかけようと思ったら、スタスタと歩いていって追いつけませんでした」

「それは……タクシーに乗ろうとしていたんじゃなかったかな」

「いや、確かにそこの駅に向かう道ですよ」

「でも、ホントに歩けないんです」


 こういう患者は多いので、別に腹が立つこともない。

 しかし、3年ぶりに現れていきなり都合のいい診断書を書けというのも安易にすぎないかな。


「いやあ、困ったな。せめて病院の敷地内だけでも車椅子を使って下さいよ」


 オレのギャグが通じていないのか、またヘルパーが口を出す。


「でもね、この2年間、どんどん悪くなる一方なんだ!」


 この人もグルだってのは……最初からそんな気がしていた。


「スタスタ歩いている後ろ姿を見てガッカリしましたよ、私は。前回の診断書を返してくれとは言いませんがね」

「どういう意味ですか!」


 ちょっと血の気の多い人みたいだな、このヘルパーは。


「分かっていて実際より重症に書いたら詐欺ですから。手が後ろに回ってしまいますよ」


 残念なことだけど、今まで何度も言ったことのあるセリフだ。


 さらにダメ押しをしておこう。


「この3人で刑務所仲間ってのも、あまり楽しくない話だと思いますけどね」


 少なくともオレは嫌だな、刑務所に行くのは。

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