第204話 ひょっと名前を思い出した男
ある日の事。
脳外科外来に初診の男の子がやってきた。
中学生くらいだ。
母親と思しき女性と初老の男性も一緒だった。
オレはいつも患者との関係を確認する。
「お母さんと、こちらはええっと……」
「弁護士の吉沢です。半年ほど前に裁判所で一緒になりました」
そう言われて思い出した。
オレが専門委員として出席したラウンドテーブルで同席した。
確か、被告である損害保険会社の代理人だった。
にこやかな表情とは別の一面がある事をオレは知っている。
半年前の裁判では証拠となるカルテのページを1枚だけ入れ替えていたのだ。
原告側は交通事故以来、後遺症があると主張していた。
が、被告側はもっと前からの症状なので交通事故は無関係だと反論している。
カルテのページ入れ替わりに気づかないまま、オレは元からの症状だと言いそうになった。
が、原告側の弁護士がページの入れ替わりを指摘した。
なんと卑怯な、とオレは腹の中で憤慨した。
しかし、ラウンドテーブルの議論は淡々と進む。
まるで何事もなかったかのように。
原告側の弁護士だけでなく、裁判官まで表情を変えない。
こういう事はしばしばあるので皆が慣れているのだろうか?
それはともかく、なぜ卑怯者の吉沢弁護士が同席しているのか。
「実はこちらは私の依頼人でして、交通事故による後遺症を損保会社に認めさせるのに困っていたところ、ひょっと先生の名前を思い出しまして」
卑怯な上にとんだタヌキだ。
とはいえ、こうやってオレの外来を受診した以上、母子の力になってやらなくてはならない。
不本意ながら吉沢弁護士と組むことになった。
それ以来、打ち合わせや意見書作成、新たな検査の追加などを何度も行うことになった。
吉沢弁護士と一緒に働いてみて分かったこと。
それは、弁護士というのは違法にならない範囲でなら依頼人のために何でもやる、ということだ。
そこに善悪はなく、依頼人にとっての利害があるだけだ。
結局、この事案については何とか関係者の受け容れられる解決策に着地することができた。
それにしても半年前に自分がトラップを仕掛けた相手に、今度は何食わぬ顔で協力を求めるとは!
オレもまだまだヒヨッコだ。
もっと修行を積まなくては。
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