第205話 「マスゴミ」と罵られる男

オレが YouTube でよく聴くチャンネルがいくつかある。

そのうちの1つが「長谷川幸洋ゆきひろと高橋洋一のNEWSチャンネル」だ。


話題になるのは、ウクライナ戦争とか中国情勢とか。

内外の政治・経済についてゲストを交えて語ることが多い。


長谷川幸洋氏はもともと東京新聞の新聞記者。

若いころは左寄りだったが、今は中道やや右寄りだ。

現在はフリーのジャーナリストをしている。


一方、高橋洋一氏はもと財務官僚。

東京大学理学部数学科と経済学部の両方を卒業して当時の大蔵省に入ったという変わりダネだ。

今は大学教授をしながら数量政策学者を自任している。


高橋氏はラジオ番組に出ているときには穏当な口ぶりでしゃべっている。

が、YouTube では言いたい放題だ。

日本のメディアを「マスゴミ」と呼んでいる。


高橋氏によれば、日本のメディアは脳みそがついていないのだそうだ。

だから、意図して本当の事を書かないのではない。

本当の事を書く頭がない、と一刀両断。


いつも「マスゴミ」と呼ばれる長谷川氏の方は弱っている。

これといって反論する材料も見当たらない。

ネット時代の昨今、新聞はオールドメディアと呼ばれて斜陽産業の代表みたいな言われようだ。


ということでオレが長谷川氏に代わって高橋氏に反論してみよう。


そもそも新聞記事を書くというのは以下の3つの過程から成り立っている。

(1) 取材する

(2) 整理・分析する

(3) 記事を書く


で、高橋氏もネット住民もメディア批判をするのは (2) の部分がキチンとできていない新聞記事が多すぎるからだ。

そりゃあネット住民の中にもいるであろう専門家に比べたら新聞記者の知識や分析は知れている。

だから新聞記者も専門家に話を聞くが、その真贋についての見極めは難しい。

オレも医学関係の記事にはつい突っ込みたくなる。


が、(1) と (3) はどうなんだ。

たとえネット住民があれこれ言ったところで、その材料は新聞記者が足で集めてきたものじゃないか。

人の褌で相撲をとることはこのことだ。


自分で (1) から (3) まで完結してできてこそ、メディア批判をすることができる。

特に (1) の取材するというのは新聞記者の恐るべき特技だと思う。


実はオレの親族には新聞記者が複数いる。

そのうちの1人、伯父さんは某新聞社の社会部記者だった。


普段は寡黙な人だ。

でも知らない人に物を尋ねるのに何の躊躇もなかった。

相手が主婦でも、怖そうな兄ちゃんでも、外国人でも一緒。


「ちょっと奥さん?」


そう声をかけながら一瞬にして心理的距離を詰めてしまう。

相手が考える暇もなく伯父の質問に答えてしまうのをオレは何度も目撃した。

その技術は長年の取材生活の賜物だろう。


仮にアパートの住民に話を聞こうということになったとする。

オレなんか2、3人に会えればそれで良しとしてしまうだろう。

でも、伯父はあっという間に全員にあたってしまうのではなかろうか。


また伯父は記事を書くのも速い。

短い文章を積み重ねて1つの記事にしてしまう。

万人に読ませるにはそういうスタイルが1番なのかもしれない。


そのような技術は長谷川氏も持っているに違いない。

本人が意識していないだけだ。

他の人が真似できない特殊技能だから誇っていいと思う。


そういえば、映画「ローマの休日」で、オードリー・ヘップバーンの相手役となったグレゴリー・ペックが演じていたのは新聞記者だった。


断じて財務官僚ではない。

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