第67話 鬼の手、仏の心を持つ男

 ボクシングによる頭部外傷の手術は何度か経験した。

 典型的なのはダウンをくらった選手が急性硬膜下血種きゅうせいこうまくかけっしゅになるというものだ。


 1例目は大学のボクシング部の選手。

 スパーリング中にダウンして昏睡状態こんすいじょうたいのまま救急外来に搬入された。


 すぐに頭部CTを撮影すると急性硬膜下血種がみられる。

 手術室の準備をする間、救急外来で穿頭せんとうした。


 頭蓋骨に10円玉ほどのあな穿うがち、硬膜をスピッツメスで切ると血液が噴出した。

 搬入されてから30分っていなかったと思う。


 再度、頭部CTを撮影すると血腫はすっかり抜けている。

 あらためて手術室で開頭する必要はなさそうだった。


 翌日、青年は意識清明となり、どこにも後遺症はみられなかった。

 回復した青年はまたボクシングをやりたいと言ってオレたちを困らせた。


 うまく行きすぎたくらいだ。

 この成功体験が次の悲劇を招いた。



 2例目はプロボクシングの試合だ。

 ダウンした選手が控え室に歩いて戻ってから様子がおかしくなった。

 救急外来に搬入されたときには深昏睡しんこんすい


 頭部CTで急性硬膜下血種が確認され、穿頭手術によって綺麗に血液が抜けた。

 手術をしたのはその場にいた救急医。

 宅直たくちょくだったオレが病院にかけつけるまでの30分ほどの間に決着がついていた。


 これもうまく行きすぎるくらい、うまく行った。


……はずだった。


 翌々日になって血腫が除去されたはずの脳がれてきた。

 再手術により外減圧がいげんあつを行わなくてはならない。


 頭蓋骨を大きく切り、骨を外す手術だ。

 指を広げた大人の手くらいのサイズの骨片を外す。

 さらに硬膜を大きく切って脳の圧を外に逃がしてやる。


 しかし、減圧した以上に脳が腫れた。

 再々手術により脳の一部を切除したが、最終的にボクサーは死亡した。



 この経験の後、オレたちは自問自答じもんじとうを繰り返した。

 最初から開頭血腫除去と外減圧をしておけば救命できたのか?


 もちろん開頭手術をされた人間はボクサーに復帰することはできない。

 浪速なにわのロッキーこと赤井英和あかいひでかずがいい例だ。


 しかし、もし穿頭で治るはずの外傷だったら?

 開頭まで行うのはやり過ぎだという思いもある。



 その結論が出ないまま、別のプロボクサーが昏睡状態で搬入された。

 頭部CTで急性硬膜下血種が認められる。

 今回も同じパターンだ。


 穿頭でいけそうにも見える。

 えて開頭に踏み切るか?


 ふと「鬼手仏心きしゅぶっしん」という言葉が頭に浮かんだ。

 仏の心を持ちながらも鬼の手をもって治療にあたれ、という諺だ。


 ボクサー復帰より救命の方が重要なのは言うまでもない。

 やり過ぎかも、と思いながら開頭し血腫を除去し外減圧を行った。

 幸い患者は一命を取りとめた。


 後日、人工骨を使っての頭蓋形成を行った。

 日常生活に差し支えはない。

 が、ボクサーとしての復帰は不可能だ。


 ありのままを告げる。

 患者の悔しそうな顔と奥さんのホッとした表情が対照的だった。



 本当に開頭手術が必要だったのか。

 ひょっとしたら穿頭でも救命できたんじゃないか?


 外科医がそんな事を口にしたら患者は救われない。

 心の迷いは自分の中だけにしておくべきだ。


「救命できる唯一ゆいいつの手段が開頭手術でした。残念ですがボクシングはあきらめてください」


 じょうに流されず、そう言い切ることがオレに課せられた使命だと思う。

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