第39話 人生最大の衝撃を受けた男

 いろんな経験をしたつもりであっても、常にそれ以上の事が起きるのが人生だ。

 久しぶりにオレが受けた衝撃は、病院のコンプライアンス室に関するものだった。


 たまたま室長が不在だったため、代行のオレのところに総務課長からの電話。

 なんとコンプラ室の男性スタッフが地下鉄の駅で捕まったというのだ。

お察しのとおり容疑は痴漢。

 いったいどんな皮肉だってんだ!


 そんな小説みたいなことが実際に起こるのか?

 とりあえず何人かの職員が引き取りにいっているとのこと。


 幸い、相手の女性が被害届を出さないということで放免されたらしい。

 遅れて出勤してきた男性スタッフは憔悴しきっていた。


「誤解を受けるような行動をとってしまった僕がいけなかったんです」


 誤解を受けるような行動……ですか。

 オレが別ルートで聞いたところでは、複数の捜査員に現行犯逮捕されたとのこと。

 一体どちらが正しいのか?


 当該男性スタッフは、自分に非がないと思った時には猛然と抗議するタイプだ。

 それが見る影もなく意気消沈している。

 残念な事に……


 とはいえ、本人はやってないと言う。

 だからそういうことにしておくしかない。


 もし本人がやったと言ったのなら話は別だ。

 今後どう対処するか、どこで治療するか?

 その辺を話し合いたい、と思っていた。

 半分は臨床的興味ってやつだ。



 聞くところによると、痴漢ってのは難治性らしい。

 そのような行為のどこが楽しいのか、ゆっくり聞いてみたい気もする。

 たぶん、本人にとっては正常な行為以上の興奮を得られるのだろう。


 でも、痴漢行為はこの国では違法だ。

 もちろん合法な国など存在するわけもなく、刑罰の重さが違うにすぎない。



 冷静に見えるかもしれないが、オレにとってもこの事件は衝撃だった。

 この気持ちを誰かに聞いてもらいたい。

 そういう気持ちがある。

 とはいえ、誰にでも吐き出していいというわけではない。


 なのでオンライン英会話のフィリピン人女性講師に聴いてもらった。

 3,000キロ先の海の向こうの人だし英語だし、名前さえ出さなきゃいいだろう。


 彼女は呆れるとともに、なぜ被害女性が取り下げたのかに興味を持った。

 たぶん忙しかったのだろう。

 オレはそう答えたが、彼女にはまったく納得してもらえなかった。

 女性として被害者に感情移入してしまっているんだろうな。



 コンプラ室の男性スタッフは季節外れの異動になり、オレの視界から消えた。


 彼を責めるつもりは全くなかった。

 もちろん庇うわけでもない。

 そっち方面の性癖を持ち合わせていないオレにとっては、異世界に遭遇したという感覚だ。


 黙っていなくなる前にちょっと語ってくれても良かったんじゃないかな。

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