第17話 思わぬ収穫のあった女

「先生、ちょっと会社の健診の結果を見てほしいんですけど」


 診察室で中年女性が数枚の紙を取り出した。


「どれどれ」


 オレはのぞき込むふりをした。


 ここは脳外科外来であり、この患者の受診目的は未破裂脳動脈瘤のフォローだ。

 なんで健診結果なんか見なくちゃいけないんだ。

 脳外科医10人中12人がそう思うだろう。


 とはいえ、腹の中で何を思っても顔に出してはならない。

 興味を持って見る、という姿勢を示すことが大切だ。


便潜血べんせんけつがあるんですけど、そのままにしておいて大丈夫ですよね」


 大丈夫と言ってもらって安心したい、という表情だ。


「うーん、こりゃダメですな」

「えっ、どういう事でしょうか?」


 見て見ぬふりはできない。


端的たんてきに言いますが、今すぐ内視鏡検査をしたら助かります」

「何かあるんですか?」

「大腸癌があります」

「ええっ!」

「何もしなかったら死にます」


 これまでに健診の便潜血を放置して死んだ人を2人見た。


 そのうちの1人はオレの親戚だ。

 奥さんと2人の子供を置いて亡くなった。

 健診での便潜血陽性を2年続けてスルーしてしまったのだ。

 仕事が忙しすぎたことが悲劇を生んだ。


「今から消化器内科を受診するよう手続きをしましょう」


 オレは相手の都合もきかずに電子カルテで消化器内科コンサルを入れた。

 この患者の人生でこれ以上の優先事項はない。


「消化器内科医が内視鏡検査を手配してくれるはずです」


 オレのアドバイスに従って命が助かった患者も2人経験した。

 その時は担当の消化器内科医以上にオレの方が感謝された。


「本当に内視鏡をしなくてはなりませんか?」


 彼女がそう思うのは当然だ。


「何年もの間、私の外来に来てもらっていますよね」

「ええ」

「今日の私のアドバイスがこの数年間で貴女にとって最大の収穫でした」

「収穫?」

「健診結果を見せてもらってよかったです」


 消化管に癌があるかもしれません、などといった曖昧あいまいな説明は患者には通じない。


 大腸癌があります。

 すぐに検査すれば命が助かりますが、何もしなければ死にます。

 今からすぐに消化器内科に行ってください。


 それで十分だ。


 3人目の生存者になってくれ、とオレは心の中で願った。

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