第10話 四方八方から怒られる男

 昨日の朝、いきなり外来ナースに怒られた。


蒲戸先生かまとせんせいが入院を入れたんですけど」

「ああ」

「それがどこにも伝わってなかったみたいで」

「うん」

「『どうなっているんですか』って電話がかかってきたんですよ」

「……」

「そういうことは先生同士で連絡してもらわないと」

「じゃあ、蒲戸先生に言っておこうか」

「お願いします!」


 そう言われたけど何の事やらさっぱりわからん。

 どうやら非常勤医の蒲戸先生が外来患者を入院させたが、そのことを誰にも言わずに昼過ぎに帰ってしまったらしい。

 各方面に連絡して事実関係を確認する。

 といっても、捕まえることができるのは半分くらいがいいところ。

 夜勤入りやら当直明けやらで不在の人間が多いからだ。

 24時間体制の医療機関ならではだろう。


 大切なのは善悪を決めることではなく、再発防止をすること。

 なのでお願いベースのメールを蒲戸先生には送った。


 "当番に一報入れておいていただくと、万事スムーズに進むかと思います"


 こんな感じでいいかなと思っていたら、地域相談室からの電話が鳴った。


「浅沢クリニックからの紹介患者さんです」

「ええ」

「ケイシク……がある、らしくて」

「はあ?」

「ガンダレにチョンチョンというのがあって、そのなかに『ぬ』というのが」


 何それ?

 チョンチョンって、オレは揶揄からかわれているのか。


「そういうのをヤマイダレというんじゃないの?」

「そうなんですか」


 医療機関の職員ならヤマイダレくらい知っておいてくれ。

 それにガンダレじゃなくてマダレにチョンチョンだろ。

 分かってしまう自分が悲しい。


「それで中に『ぬ』というのが」

「……」

「もしもし、聴こえてます?」

「それは痙攣の『ケイ』って字でしょ」


 むこうで何やらキーボードを打つ音がする。


「そんな難しい字じゃなくてですね、カタカナのヌって字が入っていて」

「いやいや、痙攣の痙を略して書いたらその字になるから」

「知りませんでした」


 謎々ごっこをしている時間はない。


「もういいからファックスを外来までもってきてくれないかな?」


 最初からそう言うべきだった。


 でもこの職員、難病を持ちながら頑張っているのかもしれん。

 無理に美談を想像し、怒ってはならんと自分に言い聞かせる。


 ふと見ると研修医からのコンサルが入っている。

「何もかもまとめてお願いします」といった趣旨の本文だ。


 夜間の救急外来で手こずった症例をそのままブン投げてきた。

 カルテには無数とも言うべき自覚症状が書いてある。

 パッと見ただけでは診断を思いつかない。

 ただ1つ言えるのは、すぐには死なないということだ。


 予想通り、外来にやってきたのは元気一杯の患者。

 大量の愁訴しゅうそを浴びせられた。


 傾聴、傾聴で死にそうになっているオレの背後に人の気配を感じる。

 医学生が突っ立っていた。


 たしか、医学生の見学希望に返信した気がする。

 それが今日だったのか。

 何でまたこのタイミングに!


「ちょっと、そこで待っていてくれるかな」

「あのお……」


 医学生のさらに後ろから別の声が聞こえた。


「先生、忙しそうですね。論文のことなんですけど」


 そういや若手の論文指導をする約束をしていた。

 ダブルブッキングか!


 そのとき院内PHSが鳴る。


「先生が担当している入院患者さんがPCR陽性です。臨時のコロナ対策委員会を行うので1時間後に会議室に来ていただけますか?」


 依頼の形をとった感染管理部からの命令だった。

 話は終わりではない。


「お手数ですが、接触者リストを作ってきてください」


 オレは……死んだ。

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