第7話 麻薬の世界に浸る男

 ひょんなことから開胸手術を受ける羽目になった。

 当然のことながら術後は創部が痛い。

 咳をするたびに傷口を中心に痛みが拡がる。


 手術前に入れた硬膜外麻酔エピドゥラが効かない、全く。


 そこで担当医が言った。


「次はフェンタネストにしましょうか」


 つまり麻薬系鎮痛薬を持続静脈注入するというのだ。

 フェンタネストはオレも麻酔科医をしていたときに愛用していた。

 強力な鎮痛薬だ。


 で、フェンタネストがセットされ、しばらくすると効果がでてきた。


「あれっ?」


 全く痛みがなくなったのだ。


「明日退院させてもらっていいですか?」


 思わずそう言いそうになったくらい効果は劇的だった。

 痛みだけ取り去って、後は何の副作用らしいものも感じない。

 恐るべき医療用麻薬の威力!


 これに比べたらどこかの国の麻薬王が扱っているのは子供だましにすぎない。



 しかし、1つ落とし穴があった。

 だんだん効かなくなってくるということだ。


 最初は1時間に1mLの速度で流していた。

 痛くなってきたら勝手にシリンジポンプを操作する。

 人の目を盗んで早送りしたり、増量したり。


「なんか減るのが早いような気がするんだけど」


 そうつぶやきながらも担当看護師はオレを疑わなかった。


「やはり麻薬は天然モノに限るぜ!」


 合成麻薬ペンタジンは効きが悪い上に依存性がある。

 いわゆるペンちゅうだ。

 それに比べるとフェンタネストは遥かにいい!

 使うときの書類手続きが面倒だけど、それは担当医の仕事だ。


 麻薬の世界にどっぷりひたっていた2日間。

 そのパラダイスから突然、現実に引き戻された。


「もうそろそろいいでしょう」


 担当医の一言でシリンジポンプが片付けられてしまったのだ。


「シリンジに残っている分、捨てちゃうの?」


 思わず言いそうになった。

 なんだか麻薬中毒者みたいだ。



 再び咳をするたびに痛みが走る。

 とはいえ、前よりは遥かにマシになった。


 というわけで身をもって医療用麻薬の効果を経験したというお話。

「麻薬の世界に浸っていた」と述べたが、実際には幻覚も多幸感たこうかんも全くなかった。

 ただ、数日間、あの強烈な創部痛を完全に遮断してくれたのには感謝している。


 医師として貴重な体験だったと思う。

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