強いお酒には甘いチョコレートを
西風
一人になった夜に
カウンターに敷かれたバーマットの上に、氷の入ったタンブラーが置かれている。そこに、メジャーカップで測りもせずにウォッカを入れた。特に捻りもない、それでもカクテルベースとしては個性が強すぎない、何にでも合わせることができる優秀なウォッカ、スミノフ。
確か世界で一番売れているウォッカがスミノフだったはずだ。
綾は、カウンターの真向かいでお酒を作るマスターを見ながら思い出した。
酒飲みだったあいつは、いろんなお酒を教えてくれた。高いお酒を嗜むような奴ではなかったけど、家にはウイスキーやワインがたくさんあった。時にはワインを使って、オレンジやイチゴを漬けてサングリアを作ってくれたこともあった。他にも、どこかに飲みに行った時に作り方を聞いたのか、瓶のウォッカの中に大きく刻んだ生姜を入れて数週間寝かせたジンジャーウォッカを使って、とても辛いモスコミュールを作ってくれたこともあった。
もちろん綾には飲めたものではなかったので残してしまい、あいつをがっかりさせてしまったのだが。
スミノフの瓶を見て、あれはいつのことだったのかと考えてしまい、溜息が出てしまった。
マスターはウォッカの入ったタンブラーの中にスプーンのようなマドラーを差し入れ、流れるような手付きで混ぜていく。ステアと言うらしい。これもいつかに教わったことだなと思い出し、お酒を飲みに来たことを少しだけ間違いだったのではと思い始めた。
しっかりとウォッカを冷やしたあと、隣に置かれた缶のプルタブを引いた。
金属が擦れる音と、炭酸が抜ける音。レッドブルだ。マスターがタンブラーにレッドブルを注いでいく。
少しずつ、静かに注がれながらも、上部に少しずつ泡が溜まり、タンブラーの口ギリギリまで泡が上がる。マスターの手元を照らすように配置されたスポットライトが、二酸化炭素を含んだ、小さな小さな水滴を照らす。それが光を受けながら跳ねていく。
泡が収まると、タンブラーの口から二センチもいかないくらいのところに水面が来る。あいつがいたら、良いね、とか格好つけながら言うだろうなと思ったところで、苦笑しそうになった。何を見ても思い出してしまう。
レモンを絞り、タンブラーに放り込んだ。最後にマドラーをそっと差し込み、タンブラーの底についたところで、数回だけ細かく振る。そして、そっと全ての氷を持ち上げるようにして、三回上下させる。少しだけ、泡が立つ音が聞こえた。
「レッドブルウォッカです。どうぞ」
軽く会釈をして、コースターに乗せられたタンブラーを持ち上げる。炭酸が弾ける音が爽やかだ。口にすると強い甘みが広がる。ただ、レモンが爽やかな香りをさせていた。そしてアルコールの味がほとんどしない。
喉が渇いていたのも相まって、三口程度で飲み干してしまった。
「おかわりを頂けますか?」
近くに控えていたマスターはすぐにタンブラーを下げてくれた。
「レッドブルがお好きなんですか?」
初めての会話だ。
「そういうわけではないんですけど、前に行ったクラブで若い子達が楽しそうに飲んでたので、いつか飲んでみたいなって思ってたんです」
「そうでしたか。お口に合いましたか?」
「そうですね……甘くて飲みやすいので、どんどん飲めちゃいそうです」
「お酒はお強いですか?」
「いえ、正直そこまで強くないのでたくさんは飲めないんです。でも今日はしっかり飲みたい気分なので」
そう言ってマスターに暗に早く作って欲しいと伝える。
「そうですか……差し出がましくて申し訳ないですが、良ければ他のお酒はどうですか?」
「他の、ですか?」
「ええ、そうです」
そう言いながら、マスターは背後の酒棚からいくつか瓶を持ってきた。
「ちょっと強めですが、飲みやすいものをピックアップしてきました」
四本の瓶をカウンターに並べていく。
「全てがカクテルベースにできるものなので、お好みに合わせて甘くもできますし、すっきりさせることももちろんできますよ」
海賊の絵が描かれているもの。どこかで見たことがあるラベルだ。
「こちらはラムですね。キャプテンモルガンと言います。ストレートでも微かな甘さと、樽のバニラの香りが漂ってきます。コーラで割っても香りが消えないので、香りが好きならオススメですね」
そう言って、ボトルの蓋を開けて、その蓋を差し出してきた。蓋に微かについた酒から、アルコールの刺激とバニラの香りがほんのりとしてくる。
「これ良いですね。このまま飲めそう。お菓子みたい」
「ええ。ラム酒はお菓子にもよく使われますからね。カクテルにするのがオススメです。その隣の瓶にバンドがついているのが、ロン・サカパというラムです。ちょっと値が貼るのですが、こちらはロックがオススメですね」
ロン・サカパと呼ばれたラムは、キャプテンモルガンよりも複雑な香りがした。
「なんというか……大人のお酒、って感じがします」
「そうですね。飲んでみると、甘さだけではなくスパイスの香りが口に広がるので、モルガンよりも少し大人向けかもしれません」
続けて残りの二本も紹介してくれた。綺麗なブルーの瓶と、グリーンの瓶だ。
「この二本はジンです。こちらがボンベイ・サファイア。緑の方がタンカレーというジンです。どちらも香りが良く、飲みやすいのですが、ジンの持つ強い香りを楽しめます」
どちらもラムよりも香り強い。ボンベイは爽やかで、タンカレーはそれより少し薬臭いような香りがした。どちらも酒という主張が強い。それでも飲みたい気分の今日には合っている気がした。
「ちょっと香りが強いかなと思うんですけど、このタンカレーというお酒で何か作っていただけますか?」
「わかりました。どのような感じが良いとか、好みはありますか? もしくは今の気分でも結構です」
少しだけ笑顔になりながら質問をしてきた。四十代くらいだろうか。最初の印象に比べて気さくな気がする。堅苦しいお店ではないのだ。こじんまりとしたダイニングバーなのだから、そこまで畏まった態度で接客し続けてくるわけがない。ただ、門前仲町という街だからか、それともこのお店のコンセプトなのか、渋谷のように馴れ馴れしさはなかった。
「そうですね。しっかりとお酒を楽しめて、甘くないのが良いです。あ、それでも飲みやすいと嬉しいです」
「わかりました」
マスターは笑顔でそう言って、先程のタンブラーよりも少しだけ短く、口径の大きいグラスを用意した。そこに四分の一に切られた、大振りのライムを絞り、そのままライムをグラスに入れた。大きな氷を一つ入れ、タンカレーを注ぐ。注ぎ終わる瞬間に手首を回し、ボトルを回転させるようにして注ぎ口を上に向けた。たしか、酒が注ぎ口からこぼれないようにする技術だ。そしてステア。十五秒ほどステアしたところで、ソーダを注ぐ。また泡が光っている。今回は一個の氷だったが、これもマドラーで持ち上げるようにして三回上下させた。
「ジンリッキーです。ジンにライムを入れ、炭酸で割ったシンプルなカクテルですが、タンカレーの香りと強さを楽しめると思います」
そう言って差し出されたグラスを受け取った綾は、グラスに口をつけ、一口だけ口に含んだ。
爽やかなライムの酸味と同時に、少しだけ薬臭いタンカレーの香りがした。そして炭酸の刺激が口に広がる。喉を通る爽やかさ、そしてアルコール。炭酸で割られていても、タンカレーの強さをしっかりと感じた。
「強いですね……でも、おいしいです。さっぱりと爽やかで、甘くもない。飲みやすいです」
もう一口飲む。
「うん。薬臭いかなって思ってたんですけど、ライムの香りと混ざって爽やかな感じがしてきました。飲めそうです。レッドブルウォッカほどたくさんは無理ですけど」
綾は笑いながらマスターに伝えた。
「そうですか。良かったです」
マスターは笑顔になりながら、こう言った。
「レッドブルウォッカは飲みやすいですが、実はとても悪酔いしやすいんですよ。お酒の味がせずに、強いウォッカをどんどん飲めてしまう。それに、鎮静作用のあるカフェインと、興奮作用のあるアルコールを同時に摂取しているので、酔った感じがしなくて飲みすぎてしまうんですよね」
「たしかにそうですね。どんどん飲めそうでした」
「ええ。しかも、カフェインとアルコールを同時に大量に摂るなんて、無茶な二刀流はあまりオススメはできないです。まあ、コーラやお茶のカクテル緑茶ハイやウーロンハイも同じと言われるとそうなんですけど、エナジードリンクはどんどん飲んでしまうので摂り過ぎちゃうんですよ」
「だからお代わりじゃなくて、他のお酒を勧めてくれたんですね」
「ええ、そうです。それに、どうせならこちらの二刀流がオススメです」
そう言いながらマスターは小皿をこちらに出してきた。
「これは?」
小皿の上には何種類かのチョコレートが載っている。
「普段のお通しにはナッツを出しているんですけど、今日は特別にチョコレートをお出ししてみました」
「チョコレート」
「はい。強いお酒とチョコレートって結構合うんですよ」
「そうなんですね……あ、本当だ。これ、合いますね」
少しビターなチョコレートをかじり、ジンリッキーを口の中に含む。ライムとジンの香りがより強く、それでもアルコールの強さが少しだけ和らいだ気がする。
「お酒と甘いもの。どちらかが好きという方は多いのですが、このどちらもやる方を二刀流なんて言ったりするんですよ。ちょっと古い言い方なんですけどね」
少し照れながら教えてくれるマスター。これなら今日は強い酒をしっかり飲めそうだった。新しい酒の飲み方を教えられた気がした。
こうやって少しずつ一人で上書きしていく。悪くないなと綾は少し上機嫌になりながらグラスを傾けた。
一人になった、一人の夜は更けていく。
強いお酒には甘いチョコレートを 西風 @kerker
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