林檎のロッソ

しらは。

第1話

 お隣のリンゴさんはアンドロイドだ。


 それもかなり旧式で、驚くことに今や常識ともいえる感情制限機能がついていないアンドロイドなので、まるで人間のように笑うし、怒るし、イタズラをすれば叱られたりまでする。


 両親からは、そういうアンドロイドは人間に危害を加える可能性があって、危険だからあまり近づかないように言われているけれど、僕はそんな両親の心配もどこ吹く風でヒマさえあればリンゴさんのお店に入り浸っていた。


 リンゴさんの店はあまり繁盛していないパン屋で、様々なパンと、数は少ないけれど焼き菓子なんかも扱っている。


 その日も学校が終わるとすぐに、談笑を続けるクラスメート達を尻目に教室からログアウトし、急いで家を出る。


 リンゴさんの店までは歩いて1分とかからない。


 お店が近づくにつれ焼けたパンの香りが強くなり、その幸せな香りを胸いっぱいに吸い込みながら、僕は扉を開ける。


「リンゴさん、こんにちは」


 挨拶しながら店に入ると、リンゴさんが奥のキッチンから顔を出す。


「こんにちは、ツグミさん」


 リンゴさんは今日も綺麗だった。


 肌が白いとか、髪に艶があるとか、外見の特徴だけで言うなら、もっと綺麗なアバターを持っている人はいくらでもいるだろう。


 でも、なんて言えばいいのか分からないけれど、ちょっと高いところに手を伸ばすときに背伸びしてみたり、物を運ぶときに空いている手を小さく揺らしていたり、そんな仕草がとても可憐で、リンゴさんの魅力なんだと僕は思う。


「今日もお客さん全然いないじゃん。やばいんじゃない、この店」


 僕はいつも通り、リンゴさんに軽口を言う。

 べつに理由なんて無い。たぶん、リンゴさんに構ってもらいたいだけなんだろう。こういう時の僕は。


「そうですね。それじゃあせめて、唯一の常連客さんを精一杯おもてなししないといけませんね」


 リンゴさんは茶目っ気たっぷりな笑顔を浮かべながら、僕に紅茶とクッキーを用意してくれる。


 たぶん手作りなんだろうクッキーは、口の中に入れるとあっという間に消えて、バターの残り香が口の中に広がる。


 リンゴさんはアンドロイドだからか、僕が何かを食べて美味しいって顔をしたり言ったりすると、とても喜んでくれる。


 今回も、クッキーを頬張る僕の表情を満足そうに眺めながら、花の咲いたような素敵な笑顔を浮かべてくれる。


 僕は、そんなリンゴさんに恋している。



 *******



「そろそろ進路希望を出さなくちゃいけなくてさ、まじでユーウツなんだよね」


 リンゴさんとの話題は、たいてい僕の学校での出来事だ。


 そしてリンゴさんには言わないが進路希望の提出期限は本当は今日なので、明日か明後日には無理やりにでも提出しなければならないだろう。


 仲のいい友達はみんなとっくに提出している。それも僕が憂鬱になってしまう原因の一つだ。


 たしかヒロキはアメリカンコミックのリーディング、あっちゃんはコンピュータゲームのプレイングだったっけ。


 僕もコミックやゲームは好きだが、一人で稼げる幸福度スコアなんてたかがしれているので、いつかは知らない人と交流することになるだろう。大人たちがよくやるようなコミュニティサークルでの活動を考えると、僕はどうしても食指が伸びなかった。


 科学技術の発達のおかげで、人間は自分のやりたいことだけをできるようになったと学校では教わる。


 でもそれは結局、『やりたいことなんだから毎日きちんとやって幸福度スコアの高い生活を送らなければいけない』というだけのことであって、真に自由な暮らしとはほど遠いんじゃないかと僕は思う。


 思うけど、それは僕だけのようで、友達はみんな自分のやりたいことをちゃんと選んでいて、こんな話をすると『まだやりたいことが見つけられない子ども』みたいな接し方をされてしまう。


 その点、リンゴさん相手ならそんな気持ちにならずにすむし、真面目にグチを聞いてくれるから、つい自分の話ばかりになってしまう。


 もっとも、僕はリンゴさんが話を聞いてくれるなら話題なんてどうでもよかったりもするが。


「自分がやりたいことならなんでもいいって言われてもさぁ、そんなの特に無いし。昔の人は嫌なことでも就職して働いていればそれでよかったんだから、羨ましいよねー」


 こんなこと言ったのが両親にバレたら、きっと死ぬほど怒られるだろう。


 やれ働くことの辛さが分からない甘えた意見だとか、自分の幸せのことだけ考えられるのがどれだけ進歩的で、優れた思想なのか考えてみろだとか。


 二人はギリギリ人間が労働していた時代を知っている世代だから、きっと言っていること自体は正しいのだろう。


 でも、僕だったらどんな重労働よりも自分の幸福度スコアを勝手に測られる方がずっと嫌な気持ちになる。


「そうですね。私にも最近のツグミさんはとても幸せそうに見えますし、焦る必要はないんじゃないでしょうか。……でも、不思議ですね。今だってただお茶を飲んでいるだけなのに、こんなに幸福度スコアが高い状態を維持できているなんて」


 リンゴさんの発言に、僕はギクリと身を硬くする。


 たしかに、ここ最近僕の幸福度スコアはクラスの中でも高い数値を示している。


 それに関しては先生からも褒められたし、進路希望の提出を見逃してもらえているのも多分それが理由だ。


 もちろん、僕には心当たりがある。


 でもそれをリンゴさんに知られるのは、なんというか、とても気恥ずかしい。


 だから僕は、焦って口を開いた。


「あ~、あれじゃないかな、パン! ここってパンのいい匂いがするから幸せな気持ちになってくるんだよ、きっと」


 もちろん完全な嘘ではない。僕はリンゴさんの店の匂いが好きだ。いるだけであったかい気持ちになれるし、ご馳走になるパンもとても美味しい。


 そんな僕の内心を知ってか知らずか、リンゴさんはクスリと小さく笑うと立ち上がる。


「そうですか、そこまで楽しみにしていただけるなんて光栄ですね。……ツグミさんは食べ盛りですし、よかったら今日も食べていってください」



 *******



 奥に消えたリンゴさんは、10分ほどで小さな皿と一緒に戻って来た。


 僕の前に置いた皿には真っ赤なトーストが載っていて、目の前でふわりと湯気が立ちのぼる。


「これって……ピザ?」


「ピザトーストと言った方が正確ですね。私のオリジナルで『林檎のロッソ』と名付けました」


 僕の疑問にリンゴさんが答える。


 なるほど、たしかに最初は赤い色にばかり気をとられていたが、よく見るとスライスされた林檎が他の具とともに敷き詰められていた。


「ロッソはイタリア語で赤の意味で、特にトマトソースのことを指すんです」


「実は僕、ピザって食べたことがないんだよね」


 もちろん知識としては知っている。


 たしか食べ過ぎて肥満になる人があまりにも多かったとかで規制され、今ではほとんど見ない料理の一つだ。


 しかし、今目の前にあるピザトースト……リンゴさん命名『林檎のロッソ』はとても美味しそうだった。


 カリカリに焼けたトーストの上に載った林檎とベーコンには軽く焦げ目がつき、見た目の鮮やかさはもちろん匂いも美味しそうでとても食欲をそそる。


「ピザを焼くのには専用の窯が必要ですけど、ここにはオーブンしかありませんから。でも美味しさは保証します」


 さあどうぞ、とリンゴさんに促されるとおり、僕はトーストにかぶりつく。


 まず最初に感じるのは林檎の甘酸っぱさ。それから塩の利いたベーコンのうまみがゆっくりと口の中に広がっていく。


 それらを十分堪能してから飲み込むと、最後に少しだけ辛みのあるトマトソースが余韻として残り、抜群の後味の良さを生み出している。


「すっげー、何これ!!」


 感想を言う暇も惜しくて、2口目を頬張る。


 こんな美味しいものがあったらそりゃ、21世紀の人々が食べ過ぎて肥満になってしまうのも納得だ。


「めっちゃ美味しいけど、これ店に置いてあるやつじゃないよね。わざわざ焼いてくれたの?」


 紅茶のお替りを僕のカップに注ぎながら、リンゴさんは笑顔で答える。


「赤い料理を食べると自分に自信がつくんですよ。悩んでるツグミさんに、ちょっとしたおまじないです」


 そんなリンゴさんの柔らかい気遣いが嬉しかった。


 でもやっぱり素直にお礼を言うのは恥ずかしくて、思わず軽口をたたいてしまう。


「アンドロイドでもおまじないとか信じるんだ」


「おっと、それはアンドロイド差別ですか? いくらツグミさんでも許せませんね」


 僕の発言に、リンゴさんはおどけたように笑いながら返す。


 そんなちょっとしたやりとりが楽しくて、僕はさっきまで悩んでウジウジしていた心が、ゆっくりほぐれていくのを感じていた。


「うん、でも、ま、ありがとう。なんかそのおまじない、効いた気がする」



 *******



 僕はその後もしばらく談笑したあと、リンゴさんにお礼を言って帰宅した。


 そしてPCを起動し進路希望のファイルを開くと、記入欄に一言『料理人』とだけ書いて学校に提出した。

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林檎のロッソ しらは。 @badehori

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