漫画原作実写化不可避

小狸

短編


「実写化、実写化、実写化、実写化、実写化! うー」


「うるさい」


 沸騰しそうな頭の中に、兄の言葉が割り込んだ。


「勉強してんだよ。うるさい。うなるならリビング行け」


「それは仕方なくない? お父さん新聞読んでるし、お母さんテレビ見てるし。私の居場所はここにしかないんだってー」


「育児放棄児童ぶるなよ。少なくとも世間的に見たら、うちは健全な家庭だよ」


 シャープペンシルを高速で動かしながら、兄は言った。高校二年生で、テスト前でもないのに日曜日に勉強している。


 凄いと思いつつ、図書館とか学校とかでやれよと思わなくもない。


 ここは兄の部屋でもあり、わたしの部屋でもあるのだ。


「っていうかさ。この令和の時代に兄妹で同じ部屋ってどうなの? コンプラ的にさ。中学生の妹と高校生の兄が同室で、二段ベッドだよ。昭和の世界観じゃないんだから。あの『耳をすませば』だって姉妹同室だったのにさ、わたしら思春期の異性だよ? ねえ? さすがに常軌を逸しているでしょ。しかもどうしてわたしが下のベッドなわけ? フェミニスト団体が黙ってないね。わたしが不快に思ったからこれは女性差別だ!」


「それこそ仕方ないだろ。色気づくなよ」


「あ?」


「無理して低音出すな、喉痛めるぞ。それにうちは裕福ってわけでもないんだ。誰でも自分の部屋があると思うな。文句があるなら、金持ちと結婚するか、自分で努力していい企業に就職するんだな」


「へー、出た。所得所得。そんな現実知りたくなかったわ。大人になったら色んなことを知れるって思ったけど、知らない方が幸せってことの方が多いよね」


「ふうん。ま、何が幸せか、にもよるんだろうけどな」


「何が幸せ、か?」


 また難しい話を始めやがって。


「そうだよ。結婚したり、家庭を持って、子ども産んで育てたり――それだけが幸せじゃないってこと」


「ん? それ以外に幸せなんてあるの?」


「……まあ、幸せの一つの形だな。ただ、正解じゃないってだけで」


「……?」


「お前にもいつか分かるって」


「ふうん?」


 朝の星座占いで一位になっただけでハッピーになってしまう――そんな子どもなわたしにはよく分からない話だった。


 昔からマルチタスクが滅茶苦茶得意な兄なので、わたしと話しつつも勉強を進めている。学校でも成績上位らしいし、推薦で大学に入って、将来は一流企業だろうか、あるいは安定した公務員とか。すごいなー、尊敬しちゃうー(棒読み)。わたし? わたしは中の下である。


「それで? 何だよ。実写化って」


 流石マルチタスク、冒頭に話がちゃんと戻ってきた。


「それ! まさにそれなのよ! 聞いて!」


「聞いてるよ」


「いや――そう冷静に言われると逆に話す気失せるんだけど」


「どっちだよ」


 わたしは兄に、詳細を話した。


 ことはつい一時間程前である。日曜日のお昼、だらだらとユーチューブで有名実況者の切り抜き動画と、ツイッターを交互に眺めるという、何とも(非)生産的な活動を行っていた。その中で、1つ――あるニュースが舞い込んできたのだ。


 わたしの大好きな漫画(具体的な漫画名は、作者さんや出版社に怒られるのが怖いので控える)の、実写映画化が決定したのである。


 その漫画は既に連載は終了していて、来年最終章のアニメ化も決定している。身内びいき(こういうところで使っていい言葉かは分からないが)抜きでも、一時代を築いた漫画作品だと言っても過言ではない。


 それが――実写映画になる。


「ふうん、良かったじゃん。ファンが増えるだろ」


 と――兄はそんなことを言う。


「あのねえ、漫画原作の実写映画化って、まともなの無いじゃん最近」


「……そうなのか?」


 やれやれ、その程度の知識もないとは。これだから勉強ばかりの頭でっかちは困っちゃうぜ。


 ちなみに兄も漫画や小説はわたしと同じくらい読むけれど、テレビやアニメ、映画の類はほとんど見ない。彼が唯一劇場まで足を運んだのは、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』の一連のシリーズである。皆も観ただろうか、『シンエヴァ』。わたしは五回観て、五回泣いた。


「俳優に見てくれが良いだけの輩を起用するだとか、原作を適当に切り取って端折はしょるだとか、勝手に改変したりだとか、謎にCG使いまくったりだとか、ハズレが多いんだよね」


「……ふうん。まあ、何十巻も出てる漫画を二時間三時間の尺に収めるなら、そりゃ端折る必要も出てくるわな。勝手に改変ってどういうことだよ」


「明らかに海外が舞台の作品を、日本で撮影してたり。その逆も然り」


「あー。予算の都合とかでか」


「だろうね。あとさ、日本の漫画ってキャラが立ってるじゃん? それを実写にしようとすると、どうしてもコスプレみたいになっちゃうんだよ。ディフォルメっていうの? 忠実に再現しようとすればするほど、現実感とは離れていっちゃうっていうか」


「不気味の谷、みたいな話だな」


 また妙な用語を持ち出しやがってこの兄は。


 わたしに分かる単語で話せよ。


「さっきから映像とかそういう話ばっかだけど、本筋はどうなんだよ。物語はさ」


「それも言ってるじゃん。端折りまくりの切りまくり。どっかで見たことあるような展開を突然くっつけてさ。原作の良さを消してるっていうか――正直、面白くないんだよね」


 面白くない。


 作る側に回ったことのないわたしだから、こうして言える台詞である。


 だってどうよ。中学生なんて部活に勉強に塾にクラスに、毎日がてんやわんやだ。そんな中、二千円くらいお金を払って休日映画館で二時間過ごして? その結果面白くない映画を見せられたら? いくらわたしの育ちが良くっても、コメントは辛口にならざるを得ないだろう。


「だからね? 分からないんだよね。制作委員会とか監督とか、スポンサーとか? いる訳じゃない。映画を作るにあたってお金を出す人が。明らかに物語が面白くなくなるのに、どうして実写映画にするのか。分からないんだよ。成功するかどうかも分からない。下手すればその作品そのものにも悪影響になることの方が多い――なのにどうして、実写にするの」


「…………」


「もっといえばさ、アニメだって当たりハズレはあるよね。制作がどこの会社か、脚本は誰か、声優は誰か。それだけで評価が決まっちゃったりもする。色んなアニメも見てきたけどさ。アニメ化なんてしなきゃ良かったのにって作品の方が多いよ、実際。漫画は漫画で、アニメはアニメで、それぞれ別に原作作って、全く別としてやればいいのにさ――そういうリスクを押して、どうしてわざわざ別の手段で、同じ物語をやってるわけ?」


「…………」


 兄は、考え込んだ。口に手を当てて、視線は下を向いている。勉強を辞めたということは、本気になったのだろう。本当、馬鹿みたいに真面目だ。でも、私の言葉を一笑に付さないところだけは、嫌いではない。


「成程――成程ね。お前の言いたいことも分かる。たださ、それってもう答え、出てるだろ」


「え? なんでよ」


 わたしには分からなかった。


 兄は、わたしの方を振り返って言った。





 兄のその言葉に。


 ついわたしは、返答を忘れた。


 多分、アホみたいな表情だったと思う。


「え……ちょ、そんな理由!? そんな理由で、アニメとか映画が作られるの?」


「そんな理由だし、そんな理由でもだろ。アニメ化、実写化の効果での売り上げって凄いと思うよ。グッズも売れるだろうし、上手くいえばタレントの名前も売れる。関連商品なんて山ほどある。お前が買っている一番くじだってそう。バトル漫画ならゲームだって作れるな。作者にも出版社にも、それだけ金が入る。たった一つのコンテンツで、だ。これに飛びつかない世の中じゃないだろ」


「……まあ、そりゃそうなんだけどさ」


 意外だった――予想外の回答だった。


 てっきりわたしは、制作者の意図だとか、クリエイターたちのこだわりと熱意だとか――一つの物語の多角的な視点だとか、そういう話を期待していた。


 兄が出した答えは違った。


 いや――でも。


 


 正しくって、まさしくその通りの模範解答だった。


「物語を物語として愛そうっていう、お前の気概はすごいと思うよ。確かに、原作に対する愛やリスペクトは必要だけどさ、愛とかリスペクトとかじゃ、世の中って動かないんだよ。知識と、金と、信頼。現金な話だけどさ――お前の呼んでるその原作だって――物語だって、編集が『売れそう』って判断したものが掲載されてるわけだろ。その後で、僕達が『面白そう』って思って買っている。それで印税が入って、重版が出来て、出版ができる。アニメになれば、漫画より多くの人が目を通すことになるな。制作会社も儲かる。今はサブスクだから、端末さえあればより多くの人に、物語を見てもらえて――金を落としてもらえる」


「……もし、それが上手くいかなかったら?」


「その時はその時だろ。流行が予測できないように、絶対に上手くいく保証はない。地震を使える能力者が主人公の話のアニメの放送当日に、大地震が起こって放送中止に――なんてことだってある訳だからな。それだって『面白さ』を言葉にできないのと同じで、博打だよ」


「博打、金、ね」


 兄のそんな言葉に、わたしは突っかかった。


 いや――誤解しないで欲しい。


 兄の言うことは正しいし、子どもみたいにそれに反論したいという訳ではないのだ。納得している。


 そして、自分でも面倒臭いことを思っているという自覚がある。思春期女子なんてメンドクサイの塊みたいなものだろう? 


 察して分かって理解しての三段論法で出来ているのだ。


 それを踏まえた上で、次のわたしの言葉を聞いてほしい。


「なんか、夢ないよね」


「夢?」


「そ、夢。わたしは漫画が好きだし、今度実写になるやつの原作も大好き。そんな好きを利用して、お金に替えてるなんてさ」


 まあ、世間知らずで夢見がちな子どもの戯言だと受け取られるだろう。


 実際そうだ。わたしはまだバイトもしていない、仕事の大変さはまるで分からない。ただの口だけが達者な中学生だ。大人の世界は知らないし、お金の大事さなんて何となくしか分からない。そしてやりがいや夢、努力や精進、そういう言葉を盾にして他人に無理矢理頑張らせる文化があることも、わたしは十分知っている。わたしが部活を辞めたのだって、それが嫌になったからだ。


 でも、それでもあまりにも。


 夢が無さすぎると思ったのだ。


 お金が人の幸せの基準なのなら――お金を持った人だけが生きていけばいい。裕福な人だけが、生きていればいいじゃないか。お金、お金、お金、何でもお金。お金があればできたこと、諦めてきたこと。まだ中学生だけれど、わたしにだって沢山あるし、それくらいは理解しているつもりだ。


 同級生は当たり前みたいに持っているものが――わたしにはないなんてことが、よくあった。


 でもお父さんにもお母さんにも、欲しがらなかった。


 偉いでしょ?


 分かっている。


 思うだけなら自由で――口に出すのには責任が伴う。


 責任を伴ったとしても、面倒くさがられたとしても、それでも。


 これだけは、言っておきたかったのだ。


 大人としてではなく。


 夢見がちな子どもとして。


「…………」


 兄は少し考えた後で、こう続けた。


「まあ、物語ってそういうものだろ。どれだけ面白い物語だって、何らかの手段で世の中に発信されてなければ、誰からも気付かれないまま埋もれて終わる。金の流れの最果てに、僕ら読者がいるからな。でもさなつ


「何?」


「物語を好きって思った今この瞬間は、大事にしろよ」


 兄はほんの少しだけ躊躇して、こう言った。



「お前が思った好きって気持ちは、誰にも買えないんだから」



 その言葉は、今までで一番兄らしくなかった。


 鼓膜で受信し、脳で認識するまで、数秒掛かってしまった。


 頭に届いて――ほんのちょっぴり。


 救われてしまったことは、兄には言うまい。


「は? え――ちょっと、ねえ、今、何て言った? もっかい言って」


「……何も言ってねーよ。ほら、勉強の邪魔すんな」


「えー。良い台詞セリフ言ったじゃん! 聞かせてよ! 響いた響いた! 録音するからさ」


「どうせ馬鹿にするだろうが。ったく、人がせっかく気を遣ってやったってのに」


 兄は照れているのかいないのか、勉強机に向かってしまった。


 全く、照れ屋さんめ。


 なんだかんだ言いつつ、妹離れできないパターンだろうな、こいつは。


 わたしも人のことは言えないけれどね。


「…………」


 気分が良いから、勉強でもしようかな。

 


 *



 くだんの実写映画は、友達と観に行くことになった。

 

 まあひどいひどい。B級映画というか、もう原作のげの字も残っていない。ついつい途中で笑ってしまいそうになったけれど――劇場特典の、原作者の書き下ろし短編を貰いに足を運んでしまった。

 

 あれだけぶーぶー垂れておいて、結局観に行ったのだ。

 

 だって欲しいじゃん!

 

 原作ファンとしてはさ! 

 

 上映後には、友達とスタバで愚痴会を開いた。まあその大半が、劇場特典についていた書き下ろし短編の考察になったことも、一応ここに記しておこう。


 兄に言ったら「ほら、出版社の策略にハマってやがる」などと言われた。


 反論はしたけれど、兄の言う通り。


 結局わたしも、お金の巡りの中にいる。


 でも原作を愛する――物語を愛する気持ちは忘れないでおこうと。


 そう思ったのだった。




(了)

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