彼方なるハッピーエンド

増田朋美

彼方なるハッピーエンド

その日は珍しく晴れていて、雲ひとつ無い青空という言葉がふさわしい日であった。その日は本当に、美しい空であると言えるのであるが、そんな日に限って、事件は起こるのである。

杉ちゃんとジョチさんは、富士川の河川敷を散歩していたときのことであった。前方に、警察関係の車両が沢山止まっている。中から、刑事と思われる人たちが出たり入ったりして、どうやら事件があったらしい。杉ちゃんたちがしばらく見ていると、白い布を被せた担架が2つ運び出されていった。そうなると、死亡者は、二名か。どんな二人が亡くなったのだろう。若い人か、年寄りか、それとも働き盛りの中年か。いずれにしても、二人の人物はなにか深い訳がある。そうしなければ、殺害とか、自殺とか、そういう事には至らない。

杉ちゃんとジョチさんは、その様子を眺めていると、突然若い女性の笑い声がして、二人はびっくりして顔を見合わせた。

「これで良かったんです。父も母も、死ぬことができて、悲しいのではなく、喜ぶと思います!」

一緒にいた婦人警官の隣にいた手錠をはめられた女性が、高らかに言ったのだ。白い着物を着て、全身ずぶ濡れになった彼女は、おそらく、死亡した男女の娘さんだろう。

「しかしこれで良かったなんて、言えることではないでしょう。なぜ、お父さんやお母さんが亡くなったのに、喜ぶなんて言えるんですか?」

婦人警官は、変な顔をして彼女を見た。

「一体どうしたんですか?何があったんです?」

ジョチさんが、近くにいた華岡にそうきくと、

「いやあね、富士川の渦中で、高齢の男女の遺体が見つかりました。なんでも、三人揃って、川に飛び込んだようですが、父親と母親は、死亡しました。娘一人だけが生き残っていますが、悲しむのではなく、喜ぶべきだと言っています。」

華岡は、困った顔をして言った。

「喜ぶなんて、死んで喜ぶやつがいるかな?そんな事ありえるわけないじゃないか。」

と、杉ちゃんが言うと、

「通常の人間だったら、喜ぶことはしませんが、特殊な事情にある人であれば、ありえるかもしれません。こういうときは、お医者様を呼びましょう。影浦先生に来てもらったほうがいいと思います。」

ジョチさんもそういった。華岡も、白い着物を着ている女性を見て、そうだね、そうかも知れないと言って、影浦先生に、電話することにした。スマートフォンを取って、急いで影浦先生に電話した。

「しばらくお待ち下さい。今、影浦先生が来てくれるそうです。それより、びしょ濡れに濡れたままでは、風邪を引きます。まずこれに着替えましょう。」

と、華岡は、婦人警官から渡されたジャージ上下を彼女に渡したが、

「ええ。そんなものいりません。私は、そんな物を着ることができる身分では無いです。身分が低いというのは、そういう事です。喜んでも行けないし、贅沢をしてはならないのです。」

と、彼女は言った。

「でも、ずぶ濡れになったままでは、取り調べも何もできませんよ。それだけは、俺たちは困るから、ちゃんと、着替えて貰えないでしょうか!」

と、苛立って華岡が聞くと、

「そうですが、私は、そのような身分ではありません!私だって、本来は、死ぬべきだったんだ。それを、通行人が邪魔したから、私は、それができませんでした!本当は、父母と一緒に死ぬべきだったんです。それを、邪魔した責任は重いですよ。だって私達、何も、収入が無いんですから。そうなれば、殺されたほうが、よほど良かったんです!」

と、彼女は答える。華岡は、困った顔をして、彼女に対して、どう言ったらいいのかわからない顔をしていた。

「警視、影浦千代吉先生が到着しました。」

目の前に、パトカーがやってきて、婦人警官と一緒に、影浦千代吉先生が降りてきた。医者であることを示している、黒い着物に、白い十徳羽織を身に着けた影浦が来ると、女性は、嫌そうな顔をした。

「ああ、よく来ていただきました。先生。よろしくおねがいします。」

とジョチさんが言うと、患者は?と影浦先生は言った。

「この方です。なんでも、ご両親と一緒に富士川に飛び込んだようで、濡れた着物を脱ぐことも、嫌がっています。」

ジョチさんは、すぐに説明した。影浦先生は、彼女に近づいた。確かに、髪も着物も、びっしょり濡れている。せめて着替えてほしいと華岡は思うのであるが、彼女はそれさえもしないようであった。華岡が、じれったそうに、

「せめて、着替えてもらえないかな。」

と言うと、風がぴーっと吹いてきた。それは、彼女の体にもあたった。彼女は、一回だけくしゃみをした。それを見た影浦先生が、着替えましょうとだけ言った。彼女は、小さく頷いた。急いで婦人警官が、彼女を警察用のワゴン車の中に入れて、彼女に着替えさせた。彼女は、びしょ濡れの着物姿から、ジャージ姿になった。

「影浦先生。彼女を取調べしたいんですが、できますでしょうか?」

と、華岡が言うと、影浦先生は、

「いや、それは無理だと思います。しばらく、病院に入院させて、状態が落ち着くのを待たないと無理だと思いますね。」

と、言った。華岡は、それでまた嫌そうな顔をした。

「それでは、事件解決までは。」

「ええ、どれだけかかるか予測がつきませんが、いずれにしても、彼女が正常な判断ができるようになるまでは、取り調べは無理だと思います。それに、あなた方が、求めている、正確な事実が得られなくなる可能性があります。それでは、警察としても、困るでしょう。」

影浦先生は、医者らしく言った。

「そうですか。じゃあ、俺たちも、治療が成功することを祈っております。」

華岡は、困った顔をしていったが、

「彼女が落ち着いたら、また連絡をして差し上げますよ。もう少し、時間をください。彼女が、正常な判断をできるようになるまでは、お待ち下さい。」

影浦先生は、華岡にそういった。華岡は、やれやれという顔をしたが、

「華岡さん、なんでも、事件をスピード解決させることにこだわってはいけませんよ。それは、かえって警察がいい加減な組織になると思われてしまいますよ。」

ジョチさんに言われて、華岡は、そうだねと言った。とりあえず、彼女を、影浦医院に収監します、と影浦先生が言って、彼女は婦人警官と一緒に、パトカーに乗った。そして、影浦先生と華岡と一緒に、影浦医院に向かって、走り去っていった。

「あの女性は、どこかおかしくなってしまったのだろうか。なんでも、人を殺して喜ぶなんて。」

と、杉ちゃんが言った。その間に、被害者である二人の男女の検死が進んでいた。二人の男女は、80歳前後の高齢の男女で、男性のほうが、女性の方より少し背が高かった。服装は、女性はパジャマを着ていて、男性はTシャツとジーンズだった。まあ、誰でも着られる服装であるが、

「このキャラクターは、10年前に流行った漫画のキャラクターですね。」

と、ジョチさんは、すぐに女性の着ているパジャマを見て言った。

「ええ、そうですが、それをなぜこんなおばあさんが着ているんですかね。」

一人の警官が、不思議そうに言った。

「確かに、おばあさんがキャラクターものの、パジャマを着ているとは、ちょっと不自然なところもある。」

と、杉ちゃんが言った。

「それでも、10年前には、テレビや雑誌などでよく使われてたキャラクターですから、よく覚えています。確か、対象年齢は子供向きのキャラクターでした。でも、その後も、保育関係者などに人気があって、キャラクター商品が、フリマアプリでものすごい安い値段で売られていることもありましたよ。」

ジョチさんが、思い出した様にそう言うと、

「そういえばそうですね。うちの妻が、フリマサイトでよく買い物しているんですが、その画面に、そのキャラクターのグッズが売られていたのを見たことがありますよ。」

と、刑事の一人がそういった。

「つまり、そういうわかりやすい柄を使っていたということは、やっぱり、なにか訳があったんじゃないのか?なにか、精神疾患というか、そういうものがさ。」

と、杉ちゃんも言った。

「精神疾患と言うものは、たしかに、金食い病ともいいますからね。ある意味では、悪性腫瘍よりも恐ろしいかもしれないですね。」

ジョチさんが杉ちゃんの話に付け加えた。

「まあ、あとはうちで、しっかりやりますから、理事長さんたちは、手を出さないでくださいね。」

と、刑事たちが二人の遺体に改めて布を被せた。杉ちゃんたちは、大きなため息をついて、遺体が運ばれていくのを見送った。

それから、数日後のことである。製鉄所で、水穂さんにご飯を食べさせようとしていた杉ちゃんに、華岡が訪ねてきた。いつもどおり、近所の人に聞いたら、ここにいると聞いたと言ってやってきた華岡は、なんだかしょんぼりしてしまっているようだ。

「どうしたの。華岡さん。なにかあったのか?」

と、杉ちゃんが聞くと、

「はい。困ってしまいました。なんでも、影浦先生に何度も取り調べを許可してくれと言っているのに、まだ無理だまだ無理だと言われてしまうので。」

華岡は、嫌な顔をしていった。

「それはしょうがないでしょう。彼女の容態が回復するのを待たなければならないことだってあるよ。あのとき、名前を聞かなかったけど、あの変な女性はなんていう名前なの?」

杉ちゃんがそう言うと、

「はい。堀井由美子という女性だった。両親の名は、堀井陽子と、堀井隆。」

華岡は、ボソリと言った。

「堀井由美子。なんか、聞いたことある名前ですね。」

と、水穂さんが小さな声で言った。

「何だ、お前、知っているのか?なんだか、両親を殺害して、悲しむべきではなく、喜ぶべきだと思うなんて、おかしなことを口走っているけど、彼女、若い頃から、そうだったのかな?」

と、華岡は水穂さんにすぐ聞いた。

「ええ。なんとなく覚えています。確か、由美子さんが、中学生くらいの頃だったと思います。だから、もう20年以上前でしたけれど。僕のところにピアノを教えてくれと、お母さんと二人で来ました。それで彼女に、僕はピアノを教えることになりましたが、彼女は、もっと偉い先生を見つけたからと言って、数ヶ月でやめていきましたけどね。」

水穂さんは、思い出しながら言った。

「どんな生徒だった?」

と杉ちゃんが聞くと、

「ええ。どうしても、音楽学校に行きたいんだという雰囲気がわかる感じの方でした。なんでも、一度しか音楽学校を受験できないので、先生、この子を鍛えてやってくださいとお母さんも、気合を入れていました。」

と、水穂さんは答えた。

「そうなのか。俺たちが、彼女の学歴を調べて見たんだが、彼女は、音楽学校に入学したという形跡はあったが、卒業はできなかったようだ。多分、受験のストレスに耐えられず、それでおかしくなってしまったと思われるが、、、。」

華岡は、水穂さんの発言にすぐに言った。

「そうか。それでおそらくだけど、ずっと家の中で、大事に大事にされてきたんだろう。でも、なんか知らないけどさ、そうなると人間、居心地いいと感じることは、あまり無いようだな。それよりも罪悪感とか、申し訳ないとか、そういう気持ちが上回っちまうらしい。それは、なんでかな。やっぱり、人間って、不完全なもんなんだんだろうね。」

と、杉ちゃんは、腕組みをしてそういった。

「まあね。確かに、周りの人も、自立しろとか、そういうことを言うことだろうし、決して、そういう女性は、幸せになれないんだよね。人間なんで、そういうふうに、誰もが幸せになるっていうことは、できないんだろうね。」

「ええ、それは思います。ですが、彼女は、僕みたいな特殊な身分では無いですし、どこかで幸せになれるんだろうな、と思っていたんですが。」

水穂さんが、杉ちゃんに言うと、

「まあねえ。水穂さんのような身分の人だげが、人種差別されているという時代じゃないよね。なんでも、ルートから外れた人は今は白い目でにらまれる。人と違う生き方とか、レールに乗らない生き方とか、誰かに世話してもらう生き方は、皆いけないこととされるんだよね。それは、僕らもなんでなのかよくわからないけど、誰でもそうなっているみたいだな。」

と、杉ちゃんは答えた。

「そうですか。彼女もどこかで立ち直るきっかけがあれば、また変われたのかもしれないですけど、なかなか、それを持てるという人も、難しいのかな。普通の人は、変わることも変えることもできないで、成り行きに任せるしか無いですからね。」

水穂さんも杉ちゃんにあわせて言った。

「まあ、俺たちはよくわからないけどさ。俺は、変わるきっかけってあると思うんだけどな。確かに、彼女、つまり、堀井由美子は受験のストレスで引きこもり、それが長期に渡りすぎてしまって、いわゆる、8050問題の典型というのかな、それで、生活に困窮してしまって、親子共々自殺しようとしたんだろう。誰にも助けを求めないと、結局そうなってしまうのが、今の社会ってもんだよな。」

華岡は、警察らしくそういった。流石にそういうところは、今まで事件を扱ってきた華岡だから、すぐに連想できるのだろうが、大体の人は、そういうことはできないと思う。

「そうだったとしてもだよ。まだ、理由がわからないところもあるな。」

と、杉ちゃんが言った。

「なんで、堀井由美子は、こんな人にまっ広げにわかってしまう富士川を死に場所にしたんだろうか?まあ確かに、日本でも有数の暴れ川だよ。だけど、死のうとするんだったら、観光名所としても有名な川で、やろうとするかな?僕は、人目を偲んでひっそりとやると思うんだけど?それは、違うんかな?富士川は、雁金堤もあり、人柱を祀った、五所神社とか、観光客が訪れるところだよ。まるで、わざわざ、観光客に見つけてくださいって、言っているようなもんじゃない?」

「そういえばそうですね。」

と、水穂さんが言った。

「でも、電車に飛び込んで死のうとするやつもいるわけだから、最期は誰かに見てもらいたいと思ったんかな?」

杉ちゃんがそう言うと、華岡もうーんと悩む顔をした。

「よし、杉ちゃん、それは、本人に聞いてみよう!」

華岡が、手を叩いて、そうひらめいた様に言った。

「ですが、彼女は、まだ、影浦先生のところにいますし、彼女から、話を聞くのは、難しいのでは?」

と、水穂さんがそう言うが、華岡はすぐに、出かけるぞといった。こういう、思いついたらすぐになにかしてしまうのが、華岡である。だから、警察の評判を落としている、と言われてしまうような気もするけど。

水穂さんが止めたことも無視して、華岡は、杉ちゃんを連れて、影浦医院に行った。受付に行って、堀井由美子と話をさせてもらいたいのだが、と、言うと、

「だから、彼女はまだ、状態が回復していないので、今の所、お話はできませんと、何回もお話したはずですよね。」

と、受付は、でかい声で言った。

「そうかも知れないが、彼女と話をさせてくれ。なぜ、彼女は、あんな人目につく観光名所で、自殺を図ろうとしたのか、そこを知りたい。もう自殺した理由とか、そういうことはなんとなく目星が着いたけど、そこだけは、どうしても、話を聞かないとわからないから!」

と、華岡が言うと、

「華岡さんは、本当に、事件の解決しか見ていないんですね。」

と、影浦がいつの間にか出てきて、華岡に言った。

「それだから、警察は困りますよ。ここへ来る人達は、みんな重大なことを抱えてます。それを、事件を解決させたいからという軽い気持ちだけで、安易に、聞き出そうとするのは、困るんです。かえって、患者さんの容態を悪化させてしまうことだって、十分にありえます。それを、考慮しないで平気で取り調べしてしまうのは、やめてください!」

「そうなんだけどねえ。」

と、杉ちゃんが言った。

「確かに、医療関係はそう言うけどさ、でも、事実として、二度と繰り返させないために、ここで話をさせてくれということだって、十分ありえるんだよ。広島の原爆だってそうだろう。かくして置きたくても、隠せないことはいっぱいあるじゃないか。まああれだって、肯定否定、いろんな意見があるけどさ。とりあえずこういうことがあったって、伝えることは、悪いことじゃないと思うけどね。」

「わかりました。」

影浦先生は、呆れた顔をして、杉ちゃんたちに言った。

「特別ですよ。30分だけ、面会を許可します。ですが、その後、十分な結果が得られなくても、これ以上話を続けることはしないと約束してください。そうしなければ、面会はできません。」

「わかりました!」

喜び勇んで、杉ちゃんと華岡は、影浦先生のあとについて、彼女、堀井由美子のいる病室に言った。部屋は二重扉になっていて、鍵をかけなければ、出入りできない様になっている。杉ちゃんと華岡が、部屋に入ると、影浦が、扉の鍵を閉めた。影浦の手には、安定剤を入れた注射器が握られている。

「刑事さんが来てくれたの。」

と、堀井由美子は、にこやかに話した。

「はい。華岡さんは、刑事です。」

と、杉ちゃんが言うと、

「そうなの。じゃあ、あたしを捕まえたら、喜んでくれるでしょう?すぐに、捕まえてよ。あたしなんて、生きている価値など無いのよ。」

と、堀井由美子は、そういった。

「だったらなんで、お父ちゃんとお母ちゃんまで、巻き込んで、川に飛び込んだの?それも、観光名所として、人がしょっちゅう来るような場所で。」

と、杉ちゃんがそうきくと、

「あれは、お父さんが、やろうといったのよ。私のせいで、仕事がなくなって、もう生きて行けないからって。みんな私のせいだから、私は、逆らわなかったわ。お母さんも、私をやっつけることはできないから、一緒に逝こうって言ったのよ。だけど、そうね、最期だけは、善良な人として、お父さんやお母さんが拾われてほしかったから、私は、富士川を選んだのよ。」

と、堀井由美子は答えた。それは、なんともメチャクチャな答えだったけど、彼女には、真剣そのものなのだという顔をしているので、嘘はないとわかった。

「そうか。お前さんの答えは、それだったのか。まあ、生は問いかけであり、死は答えであるというが、、、。お前さんは、そうだったんだろう。」

杉ちゃんは、静かに言った。

「いずれにしてもハッピーエンドで終われるやつなんて、ホントに少数になっちまったんだな。」




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彼方なるハッピーエンド 増田朋美 @masubuchi4996

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