第35話 歪んでいく心


 離れ家に入り、従者に人払いするように命じてフレンヴェールの部屋へと向かう。


(本当は感情の再操作が可能になる一週間後まで会わない方がいいのでしょうけど……)


 そう、冷静に考えればネクセラリアのように異質な存在になってしまっているであろう人間に自ら会おうとするのは悪手でしかない。だけど――


『今なら貴方が何をしてもアスター卿の愛は消えませんから、今のうちに恨み辛み打ち明けてみるのもいいかも知れません。今の彼なら貴方の言葉を心から受け止めて反省し、泣いて貴方に縋り付いて愛を乞うと思いますよ。』


 ヴィクトール様が残した言葉が耳に残る。


(確かに、元に戻った後にあれこれ言っても絶対スッキリしないのよね……)


 元に戻った後で今私の中に抱える闇をぶちまけても、逆に恨み辛み言い返されてこっちの方がダメージを受けるのが目に見えている。


 これまで、私の言葉も想いも何一つ受け止めてくれなかったフレンヴェールに一言位言ったっていいでしょう?

 私にもお父様にも責任はある。だけどこの状況を作り出したのはフレンヴェールのせいでもあるのだから。

 嫌味の4つや5つ位叫んで傷つけた所でバチは当たらないわ。


 フレンヴェールの部屋の前で立ち止まり、1つ息をつく。

 今から会う彼はこれまでの彼とは違う――そう思うと体を巡る血の温度が急に冷えたかのような感覚を覚える。


 愛の対象を変えて大きさを固定しただけだとヴィクトール様は言っていた。つまりフレンヴェールはネクセラリアのように壊れてしまった訳ではない。


 ネクセラリアを愛するように、私を愛してくれている――そう考えると想いが散って荒れ果ててしまった場所にまた何かが芽吹こうとしている。

 頭は物凄く冷えているのに心に感じる温かな疼きが酷く不快に感じる。


(愛そのものは変わらずとも、その対象を書き換えられているのならそれは本物の愛とは言えないのよ、ウィスタリア……それはけしてすがっていいものじゃないの)


 その愛はネクセラリアに向けられていたものなのだから――そう自分に言い聞かせて心の疼きを抑えた所でそっとドアに手をかける。



 薄暗い部屋に通路の光が差し込んでベッドに腰掛ける、寝巻き姿のフレンヴェールがうっすら照らし出される。


「……ウィスタリア様!?」


 その縋るような表情と声に抑えていた心がまた激しく疼きだす。


(え、まさか……本当に私を、愛して)



「私、は、違う……私が愛しているのはネクセラリアだ……!! 感情を変えてまで、貴方は……私を手に入れようとしているのか、この、女狐……!!」


 縋るような表情が一転、軽蔑と嫌悪にまみれた怒りの形相に変わり疼きがシンと収まる。


(ああ……貴方がすんなり私を愛するなんて、そんな訳ないわよね)


 予想外にも怒りと絶望を通り越して、安堵が込み上げてきた。優しい貴公子の風貌を持ちながらとても強い意志を持っているフレンヴェールに感動すら覚える。


 だってそうでしょう? 彼のその精神は、その愛は――神が使う魔法にすら抗える物だったのだから――と思った所で、突然フレンヴェールが頭を抱えて取り乱す。


「す、すみません、ウィスタリア様、違う、私が愛しているのは、私は……!!」


 床に倒れ込んで震えるフレンヴェールに安堵も通り越して哀愁を感じはじめる。


(……やっぱり会うんじゃなかったわね。こんなの残された所で……)


 今はもう消え失せた想いでも、名誉も心も傷つけてきた相手でも――それでもかつて好きだった人が苦しむ姿は見ていて気持ちが良いものではない。

 視線をそらして無言で部屋から出ていく。


 一週間後、元に戻してもらってマリアライト家から出て行ってもらおう。

 マリアライト家について嫌な噂を広められそうだし本当は始末した方が良いのだろうけれど、記憶を封印する呪術を使えば別に、殺さずとも――


 通路を歩く足が震える中、突然後ろから抱きしめられる。


「行かないでください……!!」


 すぐ耳元で悲痛な叫びが私の心に響いてゾクゾクと体を震わせる。その声は確実に私の心の中の何かを芽吹かせた。

 フレンヴェールの力なく縋るその腕はスルスルと私の肩から離れ――たと思うと強く突き飛ばされる。


(本当に中途半端な男ね……!!)


 一瞬甘い夢を見させてくれたかと思えば絶望を突きつけてくる厄介な男に激しい怒りを感じつつ振り返ると、フレンヴェールがその場にうずくまっていた。


「私は……私、は……!!」


 フレンヴェールはその拳をダンダンと床に打ち付ける。理性と感情が戦っているのだろう。哀愁すら通り越して次に疼くのは――悪戯心いたずらごころ


 そっとフレンヴェールの傍にしゃがみ込んでささやきかける。


「ねえフレンヴェール……ネクセラリアは貴方の愛なんかいらなかったらしいわよ?」

「ぐっ……」


 その明らかに傷ついて絶望を浮かび上がらせる表情に溜飲が大きく下がっていくのを感じる。


「貴方はネクセラリアを愛していたのにねぇ? 可哀想にねぇ? あの子、あれから10日も立たずに私に謝罪の手紙を送ってきたのよ? フレンヴェールを返すからって。貴方、あっさり捨てられたのよ?」

「違う……ネクセラリアは……いや、違わない……違う、違う、私は……!!」


 その姿があまりに憐れで手を差し伸べれば振り払われる。かと思えば慌てて震える手で振り払った手を取って縋ろうとして――躊躇される。



 ああ、これ、いいかもしれない。



 ――イラッとはするけれど、こういうフレンヴェールを見るのはゾクゾクして悪い気分じゃないわ。まるで悪い魔女にでもなったみたいな背徳感はフレンヴェールに対して愛しさとはまた別の感情を与えてくれる。


 目の前にいるのは私と婚約したくせに、私の愛は拒否して、私の妹を愛した男。そしてあっさりと捨てられた挙げ句その愛を私の方に捻じ曲げられてしまった可哀想な男。


「ねぇ……貴方を開放してあげたいんだけど、貴方はマリアライト家の事を知りすぎているわ。だけど今この状況で貴方を手放したら、貴方が本当はネクセラリアを愛していたという話が広まってしまう……私は年端もいかぬ幼児を想い続けた変態のダシに使われた哀れな女侯爵、というレッテルが貼られて格式高いマリアライト家の名誉は地に落ちてしまう……私、憐れまれるのも馬鹿にされるのも嫌なのよねぇ……」


 言葉を連ねる度、フレンヴェールが声にならない声を上げる度、戻してもらおうと思っていた気が失せていく。


「後ね、貴方の心を元に戻してもらったら貴方はまた私に歯向かうでしょう? それも困るのよ。それに私……貴方に対して物凄く怒ってるし……だから……」


 先程私の耳元で叫んだように私もフレンヴェールの耳元に口を寄せて小さくささやく。


「一生私にそうしてなさいな」


 床に頭擦り付けて嘆くフレンヴェールの叫びが、嬉しくて、寂しくて――また、心の何処かが疼いた。



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