第36話 致命的な誤解・1(※フレンヴェール視点)


 アスター伯爵家の次男として産まれた私は皇都のヴァイセ魔導学院ではなくウェノ・リュクスの貴族学校で学び、音楽の授業で才を認められた。


 その噂を聞きつけたウィルフレド様から『娘達にフルートとハープを教えて欲しい』と父を通して頼まれ、初めてマリアライト邸を訪れたのは14歳の時。


 マリアライト邸の大きな庭園と美しい館に圧倒される中、とても綺麗で心を打つ位に悲しい歌声が聞こえてきた。

 誰が歌っているのだろうかと辺りを見回すと、美しい花々が咲き乱れる中に建つガゼボで2人の幼い子どもが背を向けているのが見えた。


 館の従者に呼びかけられたのでその時はどちらが歌っているのか確認することが出来ず、ただその歌声がずっと耳に残っていた。


 ウィルフレド様から時間や給与等の説明を受けた後『娘を紹介しよう』と言われ、まず自室で本を読んでいらしたアザリア様を紹介された。

 その後先程のガゼボに案内される際、マリアライト邸の従者とすれ違った。


「ああ旦那様、先程ネクセラリア様がとても上手に歌を歌われておりました。失礼ですがウィスタリア様を歌い手にするよりは、ネクセラリア様にお任せした方が……」

「そうだな……ウィスタリアに歌まで求めるとあの子自身が辛くなるだろうしな」


 ああ、あの綺麗な歌を歌っていた方はネクセラリア様というのか。


 その後ウィスタリア様とネクセラリア様を紹介された。先程の会話に合わせてウィスタリア様の硬い表情とネクセラリア様の柔らかい表情も相まって、私はネクセラリア様があの歌を歌っていたのだと思い込んでしまった。


 あの歌を歌っていたにしてはあまりに幼すぎる――とは微塵も思わず、少しでもその寂しく悲しげな歌を歌う儚く美しい少女の心を癒やしてあげられたらと思った。

 そして話を聞けば聞くほど彼女が誰にも理解されない、また悩みを打ち明けられない辛い環境にいる事、頑張ろうとしている姿にまた心を打たれた。


 傷を負っている可愛らしい天使を守りたい、癒やしたい――その時の私の感情はただその一心だった。私の一生をこの天使に捧げたいと思った。


 男女の愛ではない。見返りもいらない。ただ、彼女の幸せを見守りたかった。生涯神に祈りを捧げる穢れなき修道女シスターのような、そんな気持ちに近いのかもしれない。

 少なくともあの頃の私の気持ちによこしまな気持ちは一切なかった。

 

 当時のウィスタリア様の事も悪く思っていた訳ではなかった。ただ、あの方は感情が表情にあまり出ない方で機嫌を察するのが大変だった。


 『アスター家の名誉を貶めないように頑張れ』と両親に言われている。失礼な事を言ってクビになるのが怖かったから常に気を張っていた。

 それ故に人の機嫌を察するのが得意になった事、人の表情と感情は必ずしも一致しないという事を学べたのはあの方のお陰だ。


 しかし――それ故にあの方の私に対する慕情に気づいた時はどうすればいいのか困った。


『お姉様達からいちいちフォークの使い方とか注意されたり「貴方は楽でいいわね」って言われたりするの。それがちょっとだけ辛いの』


 ネクセラリア様からそんな悩みを打ち明けられてから尚更私はウィスタリア様とアザリア様が授業のストレスをネクセラリアにぶつけたりしないようにと気を使っていた。

 ウィスタリア様がハープを上手く弾けない時もストレスをかけないように根気強く接した。その積み重ねがこんな形で返ってくる事になるとは思わなかった。


 私はネクセラリア様の心を癒やす為に生きたい。他の女性を愛する気にはなれなかった。ましてネクセラリア様の姉であるウィスタリア様が私の想いに感づきでもしたら――そう思うと余計、迂闊な行動を取れなかった。


 ウィスタリア様の慕情の扱いに思い悩んでいた時にメヌエット嬢に一目惚れされたのは都合が良かった。次男で兄に何か起きない限り家を継ぐ事はない私の縁談に両親も喜んだ。


 ただメヌエット嬢にこの想いを黙ったまま婚約するのは誠実ではないと考え、彼女には正直に想い人がいる事を話した。相手の名は言えないがただ想う事を、幸せを願う事を許してほしいと。


 メヌエット嬢は最初快く許してくれた。だから私もこの想いは胸に抱えてメヌエット嬢と生きようとした。だが――結婚直前で見事に裏切られた。


 最後の方は何度も言い争った。彼女が私の事を他の男に相談している事も知っていた。『他に想い人ができたのならば婚約を解消しよう』と提案もした。


 だが彼女は『貴方に密やかに想い人がいるのなら私にだって密やかに想う人がいてもいいでしょう!? もうこの状況じゃお互い逃げられないわ。お互い仮面夫婦としてやっていきましょう』と断った挙げ句――そいつと駆け落ちして私の前から消えた。


 3人それぞれに落ち度がある駆け落ち騒動のせいでアスター家とメヌエット家、駆け落ち相手のプルプル家も含めて互いの家の関係も都市の関わりも微妙なものになった。私の家の中での立場も居心地も悪くなった。その頃はもう全てが嫌になっていた。


 持ち込まれる縁談には行く。相手と二人きりになった所で私の愛を求めないで欲しいと言うと令嬢達は私の心を察して自分達から断ってくれた。


 『捨てられた令息』という実に不名誉なレッテルと貴族学校の女子生徒にウィスタリア様とアザリア様、メヌエット嬢、ネクセラリア様、様々な女性相手に対してどう言えば怒らせずにすむか、同情を誘えるかを考えて話し方を使い分けられるようになっていたお陰で私の悪名はそこまで轟く事はなかった。


 だがこんな事は逃げでしかなく――一度祝歌の日に響くネクセラリア様の美しい歌声だけを糧に過ごしながら微妙な技を使って逃げ続ける自分を歯がゆいと思っていた頃、ウィスタリア様との縁談が飛び込んできた。


『これが最後のチャンスだ。これが失敗したらお前はもうアスター家から出て行ってもらう』


 父上と兄上に厳しい顔をされて、これは本気だなと悟る。もう逃げられない最後の縁談相手がウィスタリア様とは一体何の因果だろう?


 6年ぶりに会ったウィスタリア様はとても気高く、お綺麗になっていた。上手く笑えたならきっと誰もが見惚れるだろうに――人を射抜くような濃い紫水晶の眼差しに本質は6年前と全く変わっていない事を悟る。


 この方は自然に微笑まれれば良いのだが、笑顔を意識すると顔に力が入って不自然になってしまうのだ。歯を食いしばる癖は収まったみたいだがその作り笑いの癖は変わっておらず、新たにちょっとでも気に入らない事があると眉間にシワが寄るという悪癖が追加されていた。


 これまでの令嬢と同じように彼女にも愛を求めないでほしいと言った。これでウィスタリア様を怒らせたらもう家には戻らずにマリアライト領を出て、吟遊詩人として皇国を転々としようと決めていた。


 ただ――ウィスタリア様がそれでも良いと言うなら私はマリアライト家の為に尽くそう。ここにはネクセラリア様もいる。ここにいれば間接的にネクセラリア様を助けられる。


 ウィスタリア様は私の条件を飲んだ。ただやはりかつての慕情を感じる。メヌエット嬢のようにしつこく絡まれるのも話を聞いてもらえない挙げ句に名誉を潰されるのも――二度とごめんだ。


 あの頃扱いに困っただけのあの方の慕情は、その頃の私にとって忌むべき物になってしまっていた。


 幸いウィスタリア様は引き継ぎであまり自由な時間が取れない位多忙だった。

 それでも接する時は全力で気を張る。言葉を選び顔色を伺う。かつこれ以上の慕情を向けられないように内心罪悪感にかられながら敢えて棘が出るような言い方をする。それに気疲れしてはネクセラリア様の笑顔に癒やされる。


 ネクセラリア様も子どもの頃に比べてすっかり背が伸び、可愛らしく美しい女性になっていた。しかし私に微笑みかける可愛らしい笑顔は変わっていなかった。

 また再び天使の傍にいられる。その幸せに比べればウィスタリア様に気を使う苦痛など大したものではなかった。



 しかし――アルマディン女侯の爵位継承パーティーの際のウィスタリア様の態度には肝を冷やした。


 私が少し見惚れてしまった程度で――美しく可愛らしい女性から微笑まれ愛称で呼ばれた程度であんな露骨に敵意を示す態度を取られてはかなわない。


 これ以上の慕情を向けられないように、程度の距離では駄目だと判断して彼女に苦言を呈して突き放した。だが明確に悪態づけばアスター家の名誉に関わる。

 ウィスタリア様の前でだけ地味に嫌な人間になる事で距離を保った。


 心が痛む。だが普段どおりに接すれば想いを寄せられてしまう。それを受け入れれば次に私からの愛を求められるのは目に見えていた。


 マリアライト邸の騎士達との雑談で案にウィスタリア様に気がある者がいないか探った事もある。答えは皆『恐れ多い』という答えだった。自分では到底釣り合わないからとウィスタリア様から三歩も四歩も下がった位置にいる。

 興味の無い高位貴族の女性に対して『恐れ多い』という断り文句は非常に便利だなと思った。


 溜まる心労から逃げるようにネクセラリアと話しているうちに、ネクセラリアへの想いが崇拝から男が女に抱く慕情に近いものへと変わっていくのにそう時間はかからなかった。


 彼女にハープを弾いていたのをウィスタリア様に気づかれた時には少し心が傷んだ。

 祝歌の日に愛称で呼ばれ、呼び捨てを許した時のウィスタリア様の強張った顔にも心は傷んだ。


 しかし素晴らしい歌を歌うネクセラリアの歌に傷んだ心は癒やされた。

 とても素晴らしい祝歌だったと褒め称えると彼女は『ありがとう』と喜んで微笑んだ。しかしその目は何処か寂しそうで――やはりネクセラリアは私が守らなければ、支えなければと思った。


 その後ウィスタリア様は『両者が一緒にいてはもし事故があった時に困るから』という理由で私は領外のパーティーに同行させなくなった。

 まだウィルフレド様がご尊命で、しかもまだ子もできていない状況でそう言われた時は何を言っているのだろうと思ったがパーティーに行かなくていい事で大分気が楽になった。ネクセラリアとの二人で食べる食事はとても安らいだ。


 祝歌の日以降、ウィスタリア様が私から極力距離を取ろうとしているのが伝わってきた。その心の内は分からないが、距離を取ろうとしてくれている人間に棘を刺す意味はない。あえて傷つくような言葉を言う必要がなくなっただけで大分心が軽くなった。


 私はウィスタリア様を不幸にしたい訳ではない。ただ、私に慕情をつのらせたり執着しないでほしいだけだ。お互い良い距離感で接する事ができればマリアライト家の為に生涯尽くしたい気持ちも嘘ではない。


 例えこの想いが報われずとも、14の時からずっとネクセラリアに抱いていた崇拝の想い通り、彼女の傍にいられるだけで幸せだった。


 このまま時間が止まってほしいと思いながら過ごしていたある日――ネクセラリアとヴィクトール様の縁談が持ち上がった。


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