第30話 末妹が抱えるもの・6(※ネクセラリア視点)


「ネクセラリア……!!」

「フレン!? ずっと聞いていたの……!?」


 紺碧の蛇がヴィクトール様の首に垂れ下がってなかったのは、蛇が苦手な私を気遣ってではなかったのね――なんて考える私をフレンが縋るよう目で見上げてくる。


「どうして……何故なんだ、何故こんな事を……!?」


 どうして? どうしてかしら――何故今貴方を見ても少しも心動かないのかしら? 少し前までは確かに、貴方に救われていたはずなのに。


――ううん。その答えは、出てる。


「ごめんなさい、フレン……私は貴方よりも自分が大切なの。だって私が幸せにならないとマリアライト領は駄目になってしまうもの」


 私の言葉にフレンはこの世の終わりが来たかのような顔をして、嘆く声も止まる。沈黙の中でヴィクトール様の穏やかな声が響く。


「……緑の公爵が言うように感情操作の魔法は一般に広まると都合が悪い、言葉通り『秘密の魔法』です。今の会話を広められても困りますし、今貴方は私に対して強い敵意を持っている。その感情は非常に目障りです。ただウィスタリアは貴方を殺してほしくないみたいですから殺す事もできない……感情操作するついでにその敵意を恐怖心に変えておきましょう。それも良い感情ではありませんが敵意よりは目障りではないので。ネクセラリア、何か問題ありますか?」

「いいえ。ヴィクトール様の好きにしてください」


 私に問いかけてきたので小さく頷いて答えると再びフレンの慟哭が聞こえてくる。


「ネクセラリア……何故……どうして、こんな……!!」


 紺碧の蛇にグルグル巻き付かれながら嘆くフレンから少し離れた距離にしゃがみ込む。


「ごめんなさい、フレン……姉様は私の事を人の物を奪い取るのが好きだとか優越感だとか言ってたけれど、貴方は間違いなく私の初恋だった。そして愛でもあったわ……だから誤解に気づいてもずっと言えなかったの。誤解が解けたら貴方が離れていかないか心配だったから」

「ご……誤解……!?」


 恐怖と驚きに包まれたフレンの表情にも心は傷まない。スラスラを言葉が出てくる。ずっと言いたかったこと。ずっと――言えなかった事。


「ねえフレン……貴方は初めて会った時、私の透き通るように綺麗で悲しい声が綺麗だったって言ってたでしょう?」

「ああ、そうだ……あの日、透き通るように綺麗で、悲しい声に心打たれて」

「それ、ウィスタリア姉様よ」

「え……」


 顔が固まる、というのはこんな時に使うのかしら? フレンの顔は見事に凍りついたように固まった。


「だってあの頃の私、ずっと小さかったし歌の訓練も受けていなかったから訓練を受けてる姉様の声よりずっとつたなかったもの。だからフレンは元々お姉様の声に恋していたのよ」

「なっ……嘘だ! あれは、確かに……!!」


 ああ、フレンがこんなに物分りの悪い人だとは思わなかった――これ以上は話してもきっと分かりあえない。分かりあう必要もない。立ち上がってヴィクトール様を見ると既に彼もソファから立ち上がっていた。


「ネクセラリア嬢、感情操作は端から見ると刺激が強いので、部屋を出ていた方がいい」

「分かりました……あの、感情操作って痛いのですか?」

「痛くはありません……ただ抵抗すればするほど理性と反発し合って気持ち悪くなるようです。無抵抗ならそれほど気持ち悪くないはずです。安心してください」


 ああ――抵抗しなければ痛くもないし気持ち悪くもない、それなら大丈夫ね。


「分かりました。それじゃあフレン、また後で。私も後で負の感情を消してもらうの。これで皆幸せになれるのよ。ヴィクトール様って凄いわよね。感謝しないとね?」


「ネクセラリア、待ってくれ……ネクセラリア!!」


 絶望して縋るように叫ぶフレンの声は流石に心に響いた。だけど、そのまま私はドアを閉めた。

 その後、フレンの叫びが聞こえてくる。だけどヴィクトール様が防音障壁を張ったのか悲鳴はすぐに聞こえなくなった。



 ああ、フレン――祝歌の日に力尽きて倒れる私を抱えてベッドまで運んでくれた貴方は本当に王子様のように輝いていた。



 だけどその後、ベッドまで運んでくれた貴方は『素晴らしかったです』と酔いしれて祝歌を褒め称えるばかりで。あの時の私の中で溢れかえる貴方への感情や姉への劣等感にはまるで気づいてくれていなかった。


 それで気づいてしまったの。幼い頃に貴方が惹かれた歌は私じゃなくて姉様の歌だった事に。


 貴方が時折話してくれた、初めて出会った日の綺麗で悲しい声――私、そんな悲しい声を出した記憶ない。

 ただただ綺麗で切なく悲しい姉様の歌声が心に響いて、そんな姉様を慰めたくて必死に歌ったの。


 貴方は何故かその歌を私が歌ったものだと誤解して、私に話しかけた。私は自分のモヤモヤに気づいてくれる人がいたと誤解して、貴方に恋をした。


 私はあの時から貴方を出迎えて、見送って――貴方は私の歌を聞く機会がなかった。姉様も私が歌を習いだしてから歌わなくなった。お互いの誤解が解ける機会はあの祝歌の日まで来なかった。


 祝歌の日に私は誤解に気づいた。だけどその時はまだウィスタリア姉様はフレンが苦手なのだと誤解していたから、気づかないフリをしてしまった。


 フレンが惹かれたのは負の感情を隠すのが下手な姉様の歌。でもフレンはそれを私が歌っているものだと思ってるからこんなに優しくしてくれる。その優しさを手放したくなかった。


 誰も悪くないの。フレンの誤解はこれまでの私をずっと支えてくれたから。

 たとえ誤解でもモヤモヤを必死に抑えている私にたった一人手を差し伸べてくれた貴方に救われたのは間違いないから。


 でも――悪い事をしたら罰が当たるって本当ね。悪い事しちゃったからちゃんとお姉様に返してあげないと。

 それに私はもうフレンがいなくても大丈夫。ちゃんと幸せになれるもの。神様が幸せにしてくれるもの。


 そしてウィスタリア姉様にフレンを返せばきっとお姉様も幸せになれる。私達が幸せな姿を見てお父様も幸せに死ねる。


 この胸の刺すような痛みも、もうすぐ消える。

 今溢れ出てくる涙も、もうすぐ止まる。


 

 私はこれからずっと幸せでいられる。



 だから、ねぇ、フレン――どうか貴方も幸せになってね。



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