第28話 末妹が抱えるもの・4(※ネクセラリア視点)


 皆が押し黙ったままシルバー邸に着くとアザリア姉様とヒース卿達が出迎えてくれた。用意された部屋に通されるなり私は無意識にベッドに横になり、そのまま寝入ってしまった。疲れ切った心と体を休めようと本能で動いたのかもしれない。


 翌日――メイドに地味なドレスとメイクを施される。何でこんな服なの、と文句を言う気力すら無かった。


 用意された食事も美味しいとは思えなくて、式でのアザリアお姉様のドレスも全く美しいとは思えなかった。

 私の表情が暗くても誰も何も言ってくれなかった。だけど多分、『大丈夫か?』と声をかけられても私は何も感じなかったと思う。


 アザリア姉様の結婚式が終わって、夕方から懐妊パーティーが始まった。きらびやかなパーティーのはずなのに靄がかかったように霞んで見える。

 憧れだった皇都に来て豪華なパーティーに出ているのに、私の心にはずっと重いモヤモヤがかかっている。


 遠くでお父様やアザリア姉様、ヒース卿が色んな人達と談笑している。時折こちらを心配そうな目で見てくるけれど――あの輪の中に入りたくない。


 私の誕生パーティーの時のように、きっとあの輪の中には色んな悪意が渦巻いている。あの時の、これまで一度だって感じた事がない嫌な感じは私からパーティーに対する夢も憧れも奪い去っていった。


 皆作ったような気持ち悪い笑顔の裏でお父様達を利用しようとするどす黒い感情が透けて見える。

 私にいやらしい視線を向けてくる男達も少なくない。今日みたいに首から下、露出の一切ない地味なドレスでもその視線は消えない。女の人達の刺々しい視線も。


 絵本や物語の中のパーティーは皆朗らかな笑顔で美味しい料理が並んでいたのに。食べ方を笑われたりなんてしなかったのに。



『ネクセラリア、そんな使い方ではパーティーや晩餐会で笑われてしまうわ。フォークはこうやって持つのよ』

 


 ウィスタリア姉様からナイフやフォークの使い方や使う順番を注意されたり、歩き方をもう少し綺麗にって言われたり、うるさかったけれど――ウィスタリア姉様は他の貴族の人やアザリア姉様みたいに私を馬鹿にする事はなかった。

 今思い返せば表情に乏しくともその声には確かに優しさが込められていた。


 そう、ウィスタリア姉様は怖い印象だけれど、本当はとても優しい人。お母様の代わりに私のお世話をしてくれたり、絵本を読んでくれたり、綺麗な歌を歌ってくれたり――


 だけどあの日は歌も、それを歌うお姉様もとても悲しそうで――お姉様の心を少しでも癒やしてあげたいと思って歌を歌った。その時を思うと胸がチクリと痛む。


 あの頃に戻りたい。嫌な気持ちも、お父様やお姉様達やフレンに対するモヤモヤも一切感じなかったあの頃に。私が本当に『幸せ』だった、あの頃に。


 でもそれはもう叶わない――私とフレンがウィスタリア姉様を壊してしまった。私は、この世界の汚さを知ってしまった。お父様やお姉様が残酷な一面を持っている人達だって事も。


 それを考えると胸がギューッと苦しくなって頭が熱くなる。少し風に当たれば冷えるだろうか、とバルコニーの方に出るとどうやら先客がいたらしい。こちらを見て微笑まれた。


「お嬢さん……そんな暗い顔で何か困り事でも?」


 翠緑の厚手のコートを羽織り魅惑的な雰囲気を纏う長い緑の髪と目を持つ人と目が合うと、その人は酷く優しい声で私に問いかけた後、ゆっくりとこちらに近づいてきた。

 その方が近づいてくる事に嫌な気がしなかったのは、私を蔑んだ眼でもいやらしい眼でも見てこなかったから。

 

「……困り事なんてなければ私はずっと明るく笑顔で幸せにいられるのでしょうか?」


 魅惑的な雰囲気を漂わせる緑の紳士の優しい微笑みに私はつい弱音をこぼしてしまった。


「どうかな……困り事なんて生きていたら常に付いて回るものだからね。人は皆それを抱えながら生きなければならない。一生幸せでいられる人間なんていない」


 緑の紳士は私を慰めてはくれなかった。お父様と同じような事を言われ、目の奥が徐々に熱くなってくる。


「……私はこれまで家で大切に囲われた、幸せな世界で生きてきました。今更こんな恐ろしく汚い世界で生きろと言われても困るのです。嫌な目で見られて、汚い言葉を聞いて、命が奪われていく様を見て……こんな寂しい感情を抱えて生きる位なら、もうこんな世界から消えてしまいたい……!」


 両手を抑えて涙を流す。フレンの前で泣くと抱き締められる、お父様の前で泣くと肩に手を置かれる。以前は従者の前で泣けば何か出来る事はないか問われた――だけど、目の前の人は何もしてくれる様子はない。


 私の啜り泣く声だけが静かにバルコニーに響いた後、思い出したようにその方は呟いた。


「ふふ……君のような若いお嬢さんに消えてしまいたいと言われると心が痛むね……じゃあ、そうだね……消える前に一度、神頼みしてみたらどうかな?」

「神頼み?」

「この国の頂点に君臨する6人の公爵達が神のように崇められる理由を知っているかい?」


 知ってる。あの怖くて気持ち悪い紺碧の蛇をお父様は神だと敬う。何であんなのが神なの? 魔物が魔物を討伐してるだけじゃないの。恐い。凄く恐い。


「……色神様のご加護があるからでしょう?」

 

 あの蛇に様付けなんてしたくないけれど。そう答えると緑の紳士は小さく頷いた。


「その通り……そして色神の加護を受ける者は皆それぞれ特別な『神の魔法』が使える。残念ながら私が使う魔法は君の期待に応えられるものではないけれど、君の家が仕えているラリマー家の……ヴィクトール卿の魔法を使えばきっと君の願いが叶うと思うよ」


 あの気味が悪い公爵様の魔法なら私の願いを叶えられる――? 心が動くのを感じつつも一体どういう魔法なのか不安がよぎる。


「ど……どのような魔法なのです?」

「生物が持つ感情を思い通りに変えてしまう魔法……怒りや悲しみ、愛情といった感情を消したり、逆に生涯変わらぬ感情を植え付けたり……君が今抱える負の感情そのものが消えれば君は今後どんな悪意や敵意に晒さられても一切気にならず、いつでもどんな時でも幸せに生きる事が出来るようになるんじゃないかな?」

「そんな……そんな夢のような魔法をあの方は使えるのですか……!?」


 そんな魔法、聞いた事がない。思わず声を上げると緑の紳士は人差し指を自分の口元に当てて私に静かにするように促す。


「ああ。だけどこれは本来誰にも明かしてはならない秘密の魔法だからね……くれぐれもヴィクトール卿以外には言わないようにね」

「そんな秘密の魔法……何故私に教えてくれたのです?」


 声を抑えて問いかけると、緑の紳士は少しの沈黙の後に声を紡ぎ出す。


「……ネクセラリア嬢、貴方の祝歌はとても綺麗だ。美しい歌を歌う貴方には生涯美しい心で……幸せであってほしいと思ったからだよ。私だけじゃない……きっとマリアライト領に生きる者は皆そう思っているよ」


 鮮やかな緑の目を細めて紳士はそう微笑むと私の横を通り過ぎてホールの方へと去っていった。


 祝歌――そうだ、祝歌を歌えばお姉様の心も治るかもしれない。そうしたら私を許してくれる。

 それに私は歌う事しか求められていない。呪術も駄目、社交も駄目、歌う事でしか皆の役に立てないの。


 でも祝歌を歌う為には今この心の中にあるモヤモヤを消さなきゃ。モヤモヤを生み出す感情が消えたら――本当の祝歌を歌える。そうしたらきっと皆が、私を見直してくれる。



 そうしたら私はまた絵本の中のお姫様に戻れる――あの頃に、戻れる。


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