第27話 末妹が抱えるもの・3(※ネクセラリア視点)


 真剣な表情のフレンに手を引かれ、少し離れた通路の影に連れて行かれた。そこで防音障壁を張られてようやく発声阻止の魔法が解かれる。


「何で!? 何であの人達に何も言ってくれないの!?」

「ネクセラリア……表に立つ者はどんな人間でも陰口を言われるものです。ですがそれを権力や力で握り潰すのが許されるのは公爵だけです。貴方がここで声を荒げてしまってはマリアライト家の威厳は地に落ちてしまいます」


 フレンが困ったように私を見つめる。どうして? あの人達は私を馬鹿にしていたのよ?


「マリアライト家なんて、どうだって……」

「それは駄目です。マリアライト家が崩落した後は次の侯爵家になろうとする貴族達の醜い争いが始まる。この領地の治安が大きく乱れてしまう事になる」

「私が祝歌を歌って皆のそういう気持ちを洗い流すわ」


 そうよ、私が祝歌を歌えば皆が穏やかになって平和になる。あんな陰口も争いも私の歌の力があれば――

 だけど私の言葉に対してフレンヴェールは淡々と返す。


「それはマリアライト家が侯爵家であればこそ……超広範囲拡声器ワイドランジスピーカーが管理できる立場にあってこそです」

「そんなの……そんなの知らない! 私は……!」

「……ネクセラリア、今日はもう部屋に戻ると良い。今日のパーティーでは貴方にとってあまり良い話は聞けない」


 フレンの小さなため息にイラッとした。今日は私の17歳の誕生日なのに、私の為のパーティーなのに何でそんな風に言われないといけないんだろう?


 フレンはメイドを呼んで私を休ませるように言付けるとホールの方に戻っていった。一旦は戻ろうと足を進めたけれど納得行かなくて身をひるがえしてホールの方に向かうと、さっきの夫人達とフレンが話しているのが聞こえてきた。


「フレンヴェール卿、お気の毒にねぇ……ウィスタリア様を一途に愛していらっしゃったのでしょう?」

「ええ……ですが公爵に見初められてはどうする事もできませんから」

「代わりにネクセラリア様のとの縁談が上がっているという噂ですが……大丈夫ですの? ネクセラリア様を見ていると正直不安になりますの」

「確かに……まだネクセラリア様にはまだ至らない点は多いです。しかしどういう形になれど私はマリアライト家に尽くすと決めておりますので。私の命がある限りネクセラリア様をお支えしたいと思っています」


 フレンはそう言って先程私を馬鹿にしていた婦人達に微笑んでいる。ねぇどうして――どうしてフレンは怒ってくれないの? 私を守ってくれないの?


 ねぇ、私これじゃ歌えない、こんな、私を馬鹿にする人達を幸せにする歌なんて歌えない。でもそれじゃ私本当に、何も出来ない役立たずになっちゃう。


 歌が唄えたから皆大切にしてくれたのに、幸せにしようとしてくれたのに、歌すら歌えなくなったら――私、どうなってしまうの?


 不安に煽られるようにお姉様に何度も手紙を書き綴る。ねえお姉様、どうしてお返事をくれないの? どうして、どうして? 学院時代は私が手紙を送った時は3日と経たずにお返事くれたじゃない。


 嫌よ。助けて。お姉様、助けてよ。お返事ちょうだいよ。戻ってきてよ。私もう、嫌よ。


(返すから。フレンを返すから。私……侯爵になんてなりたくない!!)



 結局ウィスタリア姉様から手紙が返って来ないまま、私は殆ど部屋に閉じこもったまま日々が過ぎて――アザリア姉様の結婚式が近づいてきた。



 お父様はフレンを結婚式に連れて行く事を認めなかった。あまり顔を合わせなくなっていたフレンは見るからにやつれていた。

 何だかキラキラ輝いていたはずの物がくすんで見えて嫌な気持ちになる。それでもフレンは私に向かって「いってらっしゃいませ」と笑顔を向ける。それが痛々しくて、怖かった。


 そんなフレンと離れられる事で少し気が楽になったし、初めての馬車旅に少しだけ気が踊った。ウィスタリア姉様が出ていってから私の居場所が無くなったかのように窮屈になった館から出られる開放感もあった。初めてマリアライト領を出る喜びもある。


 だけどその爽快感は馬車旅を始めて2日目――マリアライト領を出て中央地方に差し掛かる森の中を走り出した頃に終わった。


「お前と違ってアスター卿のお前への愛はなかなかのものだな……」

「何でそんな風に言われなければならないのです!? 私の愛はお父様が壊したくせに……!!」


 隣に座るお父様が窓の向こうを眺めながらポツリとこぼした言葉はまるで他人事のように聞こえて、言い返すとお父様は視線をこちらの方に向けた。


「そうだな……だがなネクセラリア、私はお前達を『少し』揺さぶっただけだ。お前が本気でアスター卿を想うなら少なからず葛藤しただろう。だがお前は即座に嫌だと拒絶した。お前の愛は少し揺らされた程度で壊れる愛だったのだ。形だけは美しく繊細な飴細工のようにな」

「私は狩りも釣りもした事がありません。生き物を殺した事がないのですから仕方ないではありませんか……!! あんな、残酷な事……!!」

「ウィスタリアもアザリアも命術を使う為に10歳の時に同じ事をやったがそんな事は一切言わなかった……お前は愛がかかっていても、自分の手が汚れない事を望んだのだ。あの虫や魔物達の世話も命を断つのもそこまで手がかかるものでもないのに……社交も嫌な気持ちになるから、と全てアスター卿に任せているそうだな? お前がここまで心が弱い人間だったとは思わなかった……」


 お父様は最近自分の部屋に籠もられる事が多くなったから、気づかれてないと思っていたけれど――やっぱり誰かが私の態度を報告してるみたい。キッと向かいに座るメイドを睨むとそっと視線をそらされる。ああ、モヤモヤする。


「しかし……お前のその心の弱さは私にも責任がある……私のせいにしてもいい、ウィスタリアにちゃんと謝りなさい」

「……そもそも、姉様もフレンの事が好きならちゃんと態度に示せば良かったのです……!」

「それは私も思うが……ウィスタリアには幼い頃に侯爵は感情を表に出してはいけないと教えてきた。だから好意的な感情を表に出すのが下手な子になってしまった。私の責任だ」


 下手どころじゃない。ド下手だわ。もう姉様さえ戻って来てくれれば何でもいいから謝るけど。もうあんな所にいたくない。


 公爵様は愛を持てないって言ってた。エッチな事も出来ないって言ってた。でも不自由ない生活をさせてくれるとも言ってた。公爵様と姉様はまだ結婚してないから今からでも替わって貰う事は出来る。


 こんな状況でも頑張ろうとするフレンが恐い。もう皆恐い。逃げ出してしまいたい。でも、私――このまま逃げていいのかなとも思う。皆にいっぱい迷惑かけてこのまま逃げて良いのかな? 私は――私は、皆の役に立ちたいのに。


 そんな事を考えている間に馬のいななきが聞こえて馬車が急に止まった。

 向かい側に座っていた騎士が剣に手をかけて立ち上がろうとしたのをお父様が手で制する。


「……数が多い。私が始末する」


 窓から前方を確認したお父様は黒いお酒の容器スキットルを取り出して黒い液体を地面に落としていく。


 何をしているのかしら――お父様が何か呟いた後、周囲から酷い悲鳴が聞こえてきた。幾重にも重なる苦痛の叫びに思わず耳を塞いで、身を縮こまらせる。しばらくして何も聞こえなくなった。


 何? 何なの? 何が起きているのか分からない。


「お……お見事です、ウィルフレド様……賊を一掃するとは……」

 何故騎士が青ざめているのかもわからない。賊って何かしら? お父様は一体何をしたのかしら?


「そうでもない……もうまともにコントロールできん……お前は回復術を使えるか?」

「え、ええ。応急処置程度ですが……」

「ならば御者を確認してこい……怪我をしていたらこれで治せ。死んでいたらお前が代わりを勤めろ」


 お父様は今度は白いスキットルを取り出して騎士に渡した。騎士が降りる為にドアを開いた時にチラリと地面に血まみれで倒れている人が見えた――死んでいるのが一目で分かった。


 血の気も何もかもが体からサァッと引いていく。体が、震える。微かに立ち込める嫌な臭いに思わず吐きそうになって、手を抑える。


「ネクセラリア……マリアライト領でこういう事が起きるのは稀だが他の領はそうはいかない。時には自分の手で人を殺さねばならん。私はこういう世界をお前に見せたくなかった……本当にすまなかった」


 そう言って謝るお父様の言葉も私の心を通り過ぎていく。そして騎士が室内に戻って来ないまま、馬車が動き出す。


 嫌だ、恐い、こんな怖い世界にいたくない。早く姉様に謝ろう、謝って、仲直りして――



 だけど、私の考えは姉様に会って早々に潰された。



 皇都に着いてシルバー邸に行く前にラリマー邸を訪れたらお姉様は壊れてしまっていた。私の謝罪の一切を聞き流して、お父様の言葉に生気のない表情から鬼のような表情に変わって――私を攻撃した。『私とは二度と会いたくないといったはずだ』という言葉と共に。


 お父様が私を庇ってくれたから怪我はしなかったけれど、そのままラリマー邸を出てシルバー家へ向かう馬車内――お父様はずっと膝に肘を着いて伏せっていた。

 声をかけるのをはばかられる位、馬車内にはただただ重苦しい雰囲気が漂っていた。



 夢にまで見た皇都の美しい街並みも、綺麗な青空も、何もかもが色褪せて見えた。



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