第26話 末妹が抱えるもの・2(※ネクセラリア視点)


 私はもう8歳じゃないのに。でも私のせいでフレンが皆から『幼い少女に慕情を抱ける男の人』として見られるのも嫌だった。


 たとえ私と結婚してくれなくてもフレンがまたこの館に来てくれる、また私の話を聞いてくれる。優しい義兄上として来てくれるだけでも凄く幸せな事じゃない? なんて自分を説得してなんとかモヤモヤを抑え込んだ。


 でも、フレンの相手がウィスタリア姉様なのは心配だった。


 だってウィスタリア姉様はフレンから楽器を教えてもらってる時からフレンに対して凄くぎこちなかった。固い表情でフレンを見てた。今みたいに眉間にシワは寄せてなかったけど、何が気に入らないのか歯を食いしばって。


 フルートを吹いてる時はそうでもないのにフレンの話を聞いてる時は私から見ても分かるくらい歯を食いしばって体を強張らせていたからウィスタリア姉様はフレンの事が苦手なんだなと思った。だから上手くやっていけるか心配だったの。


 その心配は当たってウィスタリア姉様は歯を食いしばったりはしないものの、せっかくフレンがいるのにお父様と地下に籠もったり、上がってきたかと思えば執務室に籠もったり。


 フレンも忙しそうだったけれど何度か従者や騎士達と談笑している所をみたし私にも会いに来てくれた。なのにウィスタリア姉様がフレンと二人きりで話している姿を婚約から数節経っても一度も見た事がなかった。


 苦手でも婚約したのだからちゃんと接してあげればいいのに。食事の時間だけで十分でしょ? と言わんばかりにウィスタリア姉様はフレンに構わなかった。そんな姉様にもフレンは優しく接していたから尚更フレンが可哀想だった。


 フレンともっと話せばいいのに、と言ってみた事もある。だけど姉様は『忙しいから時間が取れなくて……』と苦笑いするだけだった。


 ウィスタリア姉様に子どもの頃みたいに口うるさく言われるようになったのも嫌だった。ウィスタリア姉様は私には優しいし嫌いじゃないけど、マナーだとか礼節だとか言われるのがわずらわしかった。

 私はこの館から出られないんだからそんなの必要ない。私にはそんな物いらないの。私が笑えば皆が笑ってくれるし私が唄えば皆が幸せになるんだから。


 お姉様は私以上に何でも持ってるじゃない。この土地を治める女王様になるのはお姉様だし、皇都だって他の地方だって自分が行こうと思うだけで行けるじゃない。


 それなのにフレンの前では何が不満なのか、いつも眉間にシワを寄せて、厳しい顔して――


 そんな私の不満やモヤモヤをフレンは子どもの時と同じように聞いてくれた。そして私を励ましてくれた。あの時と同じようにハープを奏でて慰めてくれた。フレンは分かってくれてるの。私が一生懸命モヤモヤを押さえて歌っている事を。


 何でウィスタリア姉様はこんなに優しくて逞しいフレンが苦手なんだろう? 私だったらフレンを大切にするのに――なんて気持ちは抑えていた欲を私の奥底から引きずり出してくる。


 ウィスタリア姉様が大切にしてないのなら、その分私がフレンを大切にしてあげなきゃ。だってフレンは私の大切な人だもの。私の苦しみを分かってくれるたった一人の人だもの。


 私がお姫様になれるのはこの館の中だけなの。だから館のものは全部私のものにしたって良いじゃない。お姉様は他の場所で好きな人を見つければいいじゃない。


 だって姉様、フレンの事苦手でしょう? アザリア姉様にだって男の人をあげたんでしょう? アザリア姉様言ってたもの。


『私は姉様が目をつけてた男と付き合ったってだけでも気まずさがあるのに姉が気に入っている物を奪った挙げ句、平気で捨てて無かった事にできる貴方は本当どうかしてるわよね』って。


 それを言ったアザリア姉様の顔は凄く怖かったわ。その手に錆びついた汚らしいブローチらしき物を握りながら悪意が籠もった視線で私を睨んでいた。


 アザリア姉様は嫌い。祝歌が歌える私に嫉妬してるから。ウィスタリア姉様のように跡継ぎになる訳でもなく、私のように祝歌を歌える訳でもない冴えない人。物語に出てくる健気なお姫様を虐める意地悪なお姉様のような人。


 私がフレンと仲良く話しているのも目も耳もすっかり遠くなってしまってるお父様に告げ口して、本当に――



 『――嫌な子ねぇ……本当、嫌な子!!貴方を見かけどおりの姉想いの優しい子だと思っていた私が馬鹿だったわ……!!』



 違う――違う、違う、違う……!!



 何で――何でそんな風に言われなきゃいけないの!? 何でウィスタリア姉様はそこまで怒っているの!? だってウィスタリア姉様はいつだってフレンを放っていたじゃない!!


 忙しいとか言ってずっとお父様と一緒にいて!フレンに素っ気なくて!!好きなら眉間にシワなんて寄せないで可愛い笑顔の1つも浮かべて見せれば良かったのに。愛称で呼んであげたら良かったのに!!!


 私はウィスタリア姉様を馬鹿になんてしてなかった!!嫌々結婚しないといけないウィスタリア姉様もフレンも不幸だと思った!!フレンと結婚できず人形のような公爵に嫁がされる私も……皆、不幸だと思ったのに!!!


 『ヴィクトール様に悪印象を抱いてないウィスタリア様が嫁ぎ、アザリア様がマリアライト家を継げればいいのですが……』とフレンが言っていたから。私も良いアイデアだと思ったから……!


 そう――アザリア姉様が私に嫉妬するのはきっとこの家に自分の居場所がないから。居場所を用意してあげたらきっと私に口うるさく言わなくなるはずだと思ったの……!


 嫌いでも姉様だもの。何だかんだで助けてもらったり教えてもらった記憶だってある。居場所をあげる事で仲直りできるならそれでいいじゃない……!?


 それに――そうなったらフレンヴェールもようやくウィスタリア姉様から開放される。そして代わりに私がフレンと結婚すれば皆幸せになれる。心に立ち込めるモヤモヤも消える。そう思ったのよ!


 本当よ? こんな事になるなんて思わなかったの。お姉様がこんなに怒るなんて思ってなかったの……私に対してここまで怒る人がいるなんて思わなかったの……!だって皆私の幸せを望んでいるから!!


『マリアライト侯爵となる私の婚約者を奪い取ったのだから貴方が侯爵になりなさいな……!!』


 ウィスタリア姉様が何を言っているのか分からなかった。涙が止まらない私をフレンはギュッと抱きしめてくれて――その後、離れ家にやってきたお父様は私とフレンを館の地下に連れて行った。


『ウィスタリアがお前達に継がせればいいと言ってここを出ていった……お前達がここを継げるかどうか試させてもらう。無理だったら2人ともウィスタリアに謝って別れなさい』


 お父様は何故私とフレンを叱らないのかと思った。だけどその理由はすぐに分かった。書庫の地下に通されると、もう思い出すのも悍ましい位に気持ちの悪い虫や魔物達が檻やケースの中で蠢いていた。


『ここではいざという時の呪術を使う為の生き物を飼育している。いざという時が来たら、こいつらの純粋な魔力を抽出する為にこの手で息の根を止める。こんな風にな』


 お父様は手掴みでトカゲを掴んだ。その後の事は思い出したくない。



 気づいたら自室のベットに寝かされていた。無表情のお父様がトカゲを掴んだ姿が脳裏に焼き付いてしまっている。


 嫌よ。生きたトカゲやスライムに触れて魔力を抽出するのも、おぞましい魔法を人にかけるのも嫌。何でそんな事しなきゃいけないの?

 そう言ってフレンに泣きつく。フレンは優しく頭を撫でてくれた。だけど――


『ウィスタリア様の事は諦めてこれから2人で頑張っていきましょう、ネクセラリア』


 駄目、私には出来ない。こんな事、お姉様がすれば良かったじゃない。

 嫌、嫌よ。何でフレンはそんなに前向きでいられるの? 泣きじゃくる私をなだめるフレンの声は少しだけ震えていた。


『呪術は私が学びます。汚れ仕事も全て私がやります。貴方は貴方の出来る事をすればいい』


 フレンにそう言われて私も頑張らなきゃ、と思った。でも何を? ああ、パーティーで皆に挨拶したり――そうだ、一週間後には私の誕生日のパーティーが開かれるからまずはそこで頑張らなきゃ――と思ったのだけど。


 パーティーの当日、お父様に執務室に呼び出された。


『今日のパーティーでヴィクトール様とウィスタリアの婚約を公表する……ヴィクトール様はお前との婚姻の為に訪れたが、お前とウィスタリアを比較して選んだ、という理由にする……ヴィクトール様も了承済みだ』

『な……何故そんな理由になるのです!? あの方は誰も愛さないと、どちらでも良いと言っていたではありませんか……私の誕生日パーティーで何でそんな事を……!』


 私の誕生日パーティーで『私と婚約する為にやってきた公爵が私と姉様を比較して姉様を選んだ』って発表するなんて、そんなの恥ずかしいじゃない……!!


『ネクセラリア……お前は公爵との縁談が嫌だと言って既に婚約者が決まっていた姉を嫁がせた非常識で我儘な妹という目で見られたいのか? 事実が知れてみろ……パーティーからゲストが消える。公爵との縁談を嫌がるとはそういう事だ』


 何も言えなかった。公爵がどれだけ偉大な存在か、お父様もお姉様もマロウ伯もこの館にいる皆に教えられてきたから。そんな公爵との縁談を断った私をメイドも騎士達も冷めた目で見るようになったから。

 それに関してはウィスタリア姉様が館の応接間で泣き叫んでいる姿を見た、とメイドや騎士達がウィスタリア姉様に同情している事も大きいかもしれないけれど。

 私とフレンに対する館の人達の視線も、かけられる声にもウィスタリア姉様がいた頃の温かみはもう感じなかった。



 結局、マリアライト領の貴族達が集まる私の誕生日パーティーの始めにお父様はヴィクトール様とウィスタリア姉様の婚約を公表して私は招待客達から好奇と哀れみの視線に晒される事になった。そしてフレンとの再婚約の話は出なかった。


 ウィスタリア姉様、何で応接間なんかで泣き叫んだの? 何で部屋に行って泣かなかったの? 何で私は今こんな目にあっているの?

 ウィスタリア姉様がちゃんとフレンに愛情を示していたら私のモヤモヤはここまで濃くならなかったのに。


 私が幸せな状態じゃないと祝歌を歌えないのに、何で皆そんな目で私を見るの――と隠れるようにお手洗いの方へと向かった時に聞こえてきた酷い言葉。


『ネクセラリア様はお美しいし、歌も確かに素晴らしいですわ。でも…………ねぇ?』

『ええ……歌も顔も素晴らしいですけれど、ねぇ……?』


 その「ねぇ?」から誰かの嫌な言葉を引き出そうとしているのが分かる。


『ウィルフレド様もお気の毒に……私、ウィスタリア様ならウィルフレド様と同じように何事にも動じず、甘言にも惑わされず健全にこの地を統治してくれるだろうと思っていたから残念ですわ』

『本当に……私、ウィスタリア様のあの威厳と自信に満ちた美しい姿、女侯爵となるのを楽しみにしておりましたのに。ネクセラリア様が継がれると思うと心配ですわ。こんな事を言ったらアレですけれど、歌と容姿は素晴らしくても頭と心が、ねぇ……?』


 明らかな侮辱にカーッとなってその場に行って叫ぼうとした所で発声禁止ボイスレスの魔法がかかり、手を掴まれる。



 ――私の手を掴んだのは、フレンだった。


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