第24話 動かなくなった心


 ラリマー邸で数日過ごす内に、この館とこの館で過ごす夫人達の雰囲気が段々掴めてきた。


 第一夫人のエリザベート様は淡々としている。パーティーでお会いした時とほぼほぼ印象は変わらない、しかしその表情に乏しくとも凛としたたたずまいは何処か神秘的で『愛嬌も愛想もないけれど美しい』静かな美を醸し出している。


 私もこの人と同じ意味で綺麗だ美人だと言われていたのだろうか? 分からない。違うような気もする。今となってはもうどんな意味で言われていても心に響かない。


 第二夫人、群生諸島の長の娘であるリオネラは群青の長い髪を何箇所かで縛って肩に流す、髪と同じ目を持つ活発な女性。

 18と言う割にかなりあどけなさが残る少女はヴィクトール様に魔物討伐で命を助けられたらしく、容姿も物腰も理想的だからとあの方に心酔しているようだ。


 愛も接触もない白い結婚は辛くないのか聞いたら『あの方が生きて動いている姿を傍で見られるだけで幸せだ』と言う。少しでもお役に立ちたいからと今懸命に貴族教育を受けているらしい。


 確かにヴィクトール様は冷たい訳では無い。嫌味もない。ただ、優しい。あの方を好きになって傍にいられるならそれは幸せなのかもしれない。


 第三夫人――緩やかな薄水色の髪が綺麗なアクアオーラ侯の娘、オフェリアはその儚げな容姿とは裏腹に自由気ままに過ごしている。アクアオーラの一族は怠惰で娯楽好きだと言うけれど『公爵の面子を潰すな』というルールは守っているようだ。


 『面子を潰すような遊びは十分堪能したからいいんだけど、こんな所に連れてこられても何したら良いか全然分からなくて困るのよね』なんて理解できない悩みを聞かされた時は呆れた。


 アクアオーラ領は賢人侯の時代に群生諸島から伝わったという祝福や加護を装飾品や刺繍に込める祝具作りが盛んだと聞いた事がある。だから祝具でも作ってみては? と言うと作り飽きたらしい。それなら楽器でも嗜んでみてはと言ったら『じゃあ貴方が元気になったら教えてくれる?』と言われた。


 この館に来てから私は寝てばかり。私に起きる気力がないので夫人達が様子見がてら食事を運んで来てくれる。私の事なんてメイドに任せればいいのに。


『面子と言えばあの方が出かけられてる時は各自好きなように食事するのだけど、おられる時は必ず皆揃って食事をする決まりなのよ。エリザベートいわく家族ですから、って。貴方の様子を私達が見に来るのもそう。家族ですからって。でもあの人達と一緒に食べててもつまらないのよねぇ。エリザベートは家族家族言う割に雑談に乗ってこないしリオネラは一生懸命だけど今いち話が合わないし……話が合いそうな人が来たと思ったら凹んでるし……何があったのか知らないけど、元気だして』


 それぞれ全く性格も外見も違う夫人達は何も出来ない、何もしない私に対して優しかった。皆何を思って私に話しかけているのか分からない。

 だけどその日々は心の隅にある空っぽだった入れ物に一滴一滴少しずつ温かで心地よい何かが落ちてきて満たされていくような感覚だった。



 10日程そんな風に過ごしてようやく食事の為に部屋を出られる位の気力が湧いてきた頃、ネクセラリアから謝罪の手紙が届き始めた。



<ごめんなさい。お姉様がそこまでフレンを想っているとは知らなかったの。前の婚約者の方にもお姉様にもぞんざいな扱いを受けるフレンが可哀想だったの。姉様お願い、どうか戻ってきて。フレンは返すから>


 ほら、やっぱり――ネクセラリアはフレンヴェールを愛してなどいなかったのだ。まるでフレンヴェールを物みたいな言い方して。こんな妹をずっと想い続けてきた彼が哀れに思えてくる。


<私には呪術も命術も無理。こんな状況じゃ祝歌も歌えない。トカゲとか蜘蛛とか恐いし気持ち悪いし、ウサギさんや鳥さんを殺さなきゃいけないのも辛い。お茶会でもパーティーでも皆からクスクス笑われるの。皆私を変な目で見てくるの。今までそんな事なかったのに。お姉様、本当にごめんなさい>


 反省している――のかしら? 分からない。だって皆、私の事を褒め称える割に利用するだけだもの。私には誰も甘えさせてくれないもの。今こうやって謝っているのだって、本当に心から謝っているのか分からない。


 それに私がいつフレンヴェールをぞんざいに扱ったっていうのよ? ああいう事になる前の『1伯爵家の子息如き』って言葉以外はいつだって気を使ってきたわよ。


<私には無理、私が悪かったの、お姉様お願い、戻ってきて――>


 以前の私ならそう言われたら勝った喜びを噛み締めて『仕方ないわね』なんていって自信を取り戻して館に戻ったのかもしれない。


 でも――戻ろうなんて気が一切沸いてこない。何もしなくても責められる事無く、焦る事も無くただ優しくしてもらえる今の状況が今の私にはとても心地良い。


 離れたくないのよ、この優しい場所から。


 そんな理由で愛していたはずの妹から何度も送られてくる切実な手紙に全く心動かされる事無く、この館に来てから1節を過ぎようという頃、お父様とネクセラリアがやってきた。

 皇都で開かれるアザリアの結婚式とお披露目をかねた懐妊パーティーに出る為だ。


 この世界は授かった命を大切にする。産まれた時点でも祝うけれど宿った時点でも祝うのだ。もし不幸があったとしても、子どもが楽しく暖かな雰囲気を思い出してまた戻ってきてくれるようにと。

 パーティーとはいえ妊婦はつわりがあったりで別室で休んでいる事も多いけれど、アザリアはどうなのだろうか? もう何に対しても興味が持てない。


「お姉様、本当にごめんなさい……!!」


 起き上がる気力がなくて自室に通してもらったネクセラリアに深く頭を下げられても何も言う気になれない。ネクセラリアは目に涙をいっぱいためて俯いた。


 良いわね、可愛らしい子は泣く姿も可愛らしくて。


「ごほっ……戻ってきてくれ、ウィスタリア……見ての通りネクセラリアにマリアライトは継げん。虫や動物を媒体にして魔力を構成する媒体術はおろか、魔力を人や生き物の生命力に置き換えただけの命術にすら抵抗を示すのだ。祝歌が歌えても命術も呪術も使えぬ者にマリアライトは継げん……あまり家の裏の面を知られては祝歌に影響が出るしれないときちんと教えてなかった私の責任だ。本当にすまない」


 その咳が演技ではないと頭では分かっていながら、全く心には響かない。

 ――そう、お父様的には1節もすれば私の気が済んで戻ってくるだろうと思っていたのね。丁度アザリアの結婚式もあるし、それを機に私を連れ戻せばいいと考えたのでしょう。


「私など呼び戻さずともアザリアが子を産んだ後に頼めばよろしいのではないですか?」

「無理を言うな、私の命は後2節も持たん……マリアライトを継げるのはお前しかおらんのだ、ウィスタリア。アスター卿はまだ頑張っているが、ネクセラリアはもう完全に音を上げ心が折れかけている。この様子では女侯爵はおろか侯爵夫人も務まらん」


 その言い方にお父様が既にフレンヴェールを見限っているのが感じ取れた。だけどという言い方が気にかかった。


「……フレンヴェールは今どうしているのです?」

「今はまだ館にいる。私が教えた呪術に抵抗感を示しつつも、何とか使いこなそうとしている。あっちを説得するのはまだ時間がかかりそうだ」

「……まだ彼を追放してないのですね」


 どうして私をここまで追い詰めた人間を追放してくれないのだろう? 私を愛していないヴィクトール様は何の躊躇もなく『殺しましょう』と言ってくれたのに。


「お前の補佐として色々教え込んだ人間をすぐに手放す訳にもいかなくてな……ネクセラリアから突き放されれば改心してくれるかと思っていたんだが……ウィスタリア、まだ戻りたくないならそれで構わん。だが明日のアザリアの結婚式には……」


 殺してほしくはない。不幸になってほしくもない。ただもう2人の顔を見たくないだけなのに――それすらお父様は叶えてくれないのね。


「マリアライト、マリアライト……お父様は私よりも家が大事なのですね?」


 私だって何よりマリアライトの名を、家を、この領地を大事に思ってきていた。だから権力を使って人を追い出したいと思った時も、人を呪い殺してやりたいと思った時も我慢した。

 マリアライト家の名誉に関わるから。家と民を大切にしなさいとお父様から教えられたから。


 だけど実際はどうだ。お父様はマリアライト家の名誉を貶める2人を追放せず、癇癪を起こした私を遠ざけた。今の私の言葉に黙り込んだのが何よりの答えだった。


「ウィスタリア……」

「……お帰りになってくださいますか? 結婚式にもパーティーにも行きません。そもそも私はネクセラリアにも二度と会いたくないといったはずです……!! お父様はそんなに私を追い詰めたいのですか? 少し位は私の意向を優先してくださってもいいではないですか! 私だって……私だってお父様の娘なのですよ……!? 何故いつもこの娘ばかり……!!」


 魔力を固めた弾をネクセラリアに向けて放つと、お父様が防御壁を張ってそれを弾いた。はじかれた弾はテーブルに当たって倒れ大きな音が響く。


 防御壁に包まれた2人はそのまま出ていった。駆けつけてきたエリザベート様が心配したがテーブルを破壊してしまった事を謝り、そのまま眠った。



 翌日のアザリアの結婚式と懐妊パーティーにも出なかった。迎えに来たヴィクトール様から「いいのですか?」と念押しされたけれど、微塵も行く気にならなかった。上半身を起こして小さく首を横に振るとヴィクトール様は眉を下げて微笑んだ。


「そうですか。それなら私も行くのを止めましょう」

「……私の事など気になさらず……」


 懐妊パーティーは主役である妊婦が重いドレスを纏えない事が多い。だから招待される女性ゲストは控えめな服に身を包む。

 だが男性側は普段のパーティー通りきっちりと礼服に身を包み髪も整えて参加する。念押しされた時、ヴィクトール様は既に準備が出来ていた状態だった。


「そう言いながら本当に私だけで行ったら貴方は傷つくでしょう? 私はもう貴方を傷つけたくないのです、ウィスタリア」


 優しい笑顔で、穏やかな声で部屋を出ていくヴィクトール様は責任感からそう言ったのだと思う。そこに愛情はない。だけどその言葉は溶けてしまいたい位温かかった。


 愛とは一体何なのだろうか?

 望む相手からの愛は何より尊い物なのに、望む相手以外からの愛は疎まれる。


 分からない。だけど愛が重い物なのは間違いない。愛から開放された私は今とても体が軽い。

 そして愛などなくても誰かに自分が望む言葉と態度を示されれば心は自然と癒えていく。


 この時の私も多分、幸せだったのだと思う。そう言える位にはここでの生活は平和で、心地よかった。


 だけどこの時、私が心の整理をつけてヴィクトール様と一緒に結婚式と懐妊パーティーに出ていたなら――私達は誰も歪まずに済んだのかもしれない。



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