第23話 ラリマー家の当主
仕える主に、これから夫となる方に思いきり醜態を晒してしまった事をどう詫びれば良いのか――これから家はどうなるのか、お父様はどうするつもりなのか――
遥か下に点在する都市や豊かな自然が視界に入りながらも、それに感動する余裕さえ無い位に、私の頭も心も絶望と羞恥に埋め尽くされていた。
「……こういう時は私から何か言った方が良いのでしょうか?」
「い……いえ! そっとしておいて頂いたお陰で頭の整理ができて助かりました……取り乱してしまい、本当に申し訳ありません……」
唐突に声をかけられて慌てて首を横に振ってお礼を言うと、ヴィクトール様がゆっくりこちらを振り返る。その顔はやはり微笑みを浮かべていて、気を悪くした様子はない。
「いいえ。貴方が取り乱してしまう事を言ってしまったのは私の方ですから。エリザベートからもよく叱られるんです。私、訳あって公爵になるまで一切社交界に出てなかったんですが、20過ぎた身でマナーや礼節がなってないのは言い訳にならないそうで……私のフォローをする彼女にはずっと苦労をかけています」
その訳とやらに好奇心が疼いたけれど、これ以上不快な思いをさせてはいけない――ただ、どうしても聞いておきたい事があった。
「あの……ヴィクトール様は本当に誰も愛していないのですか?」
「ええ。これまでそれで特段困った事はなかったんですが……今の貴方に何を言えば元気づけられるのか困っています。私が人を愛せる人間だったら、きっと貴方の悲しみを理解して適切な言葉をかけて元気づけてあげられたのでしょうね」
それは――どうかしら? 人を愛せる人間でも私の悲しみは理解してもらえなかった。それどころか何もかも踏み躙られてばかりだったから、『そうですね』なんて肯定する言葉はこの方相手でなくても紡げない。
「失礼な事を申し上げますが……性欲も無いと仰られていましたがいずれ跡継ぎを作られるのでしょう? お辛くないですか?」
この世界の貴族は政略結婚が当たり前。まして有力貴族になってくるとその魔力の色をそのまま引き継がせる為に魔力を持たない異世界人を召喚して交配し子を成す『子作り婚』も存在する。
色神を宿す公爵家の跡継ぎは僅かな色の違いも許されない事からほぼ間違いなく異世界人との子作り婚を余儀なくされる。
「ああ、その辺は大丈夫ですよ。何とかしますから」
サラリと流された途端、羞恥心がこみ上げてくる。
「そ、そうでしたか……私、その手の呪術もいくつか把握しておりますので、お力になれたらと思ったのですが……出過ぎた事を言って申し訳ありません」
「そんな事に関する呪術もあるのですか……呪術は奥が深いですね。分かりました、もし困った事があったら相談しますね」
そう言ってヴィクトール様は再び前を向いた。怪訝な顔をされず純粋に善意を受け取ってもらえた事が酷くありがたく感じた。先程の私の失態に対しても大して不快には思っていないようだ。
醜態を晒した不安が小さくなった分、余裕が出るかと思ったけれど、余裕の代わりに湧き上がってきたのはあの2人の愛の発覚やそれに対する私の醜態の記憶――それらが私の心を押し潰して来るような感覚に駆られて、私は現実から逃げるように眠ってしまった。
ガゼボで幼いアザリアがフルートを吹いている。その隣ではフレンヴェールが石台に座り小さな竪琴を奏でている。今のような眼で私を見ない優しいフレンヴェール――夢で会えたら、なんて願っていたのはいつの頃だっただろう?
会いたくなくなってから会えるなんて、何て因果なのだろう? 幼いネクセラリアがフレンヴェールの隣で微笑んでいるのが忌々しい。
『お姉様、学院で頑張ってください』
演奏を終えたアザリアが微笑む。ああ、これは私が学院に行く前の最後の授業の夢。この頃にはフレンヴェールは既にネクセラリアに想いを寄せていたのだ。いいえ、この時の、ずっと前から。
どの想い出のフレンヴェールもネクセラリアを想っていたと思うと、美しかったはずの大切な想い出がまるで沼の中に落ちてしまったかのようにドロドロに穢れていく。
『ウィスタリア様、どうかお元気で』
そう笑うフレンヴェールは何を思ってその言葉を言ったのかしらね? 考えるのも辛い。私はもう、どの想い出も捨てた方が良いのかもしれない。
そうよ、もう何もかも捨てればきっと楽になれるわ、ウィスタリア――
「ウィスタリア、そろそろ着きますよ」
その言葉でヴィクトール様の背にずっと寄り掛かって寝ていた事を知って、慌てて離れて謝罪する。頭を下げた際にすっかり日が暮れて星明かりが照らす都の街並みが見えた。その中にひときわ大きく眩しい皇城と、そこから西の方向にラリマー邸も見えた。
皇都にあるラリマー邸にはパーティー等で過去に何度か訪れた事がある。
その時はその広さと様々な青色を使用した美しい館と水の庭園に目を奪われたけれど今は真夜中に近いらしく、街灯を置いてないらしい館と庭園は星明かりでぼんやりと照らされ、美しさというよりはどことなく寂しさと不穏な感じを漂わせていた。
中庭に降りたつと紺碧の大蛇は再び小さな蛇となりヴィクトール様の首に垂れ下がった。大蛇が纏っていた淡い紺碧の光が消えた代わりにヴィクトール様は右手の手の平を上に向けて小さく「
館の前に立つ兵士から敬礼を受けて中に入ると中も窓から入る星明かりしか入ってこない、暗く静寂な空間が続いている。
そのままヴィクトール様の後に付いていくと、廊下の奥から淡い青の光が見えた。同じ
「おや、エリザべート。起きていましたか」
ヴィクトール様より確か5、6歳程上だと聞くエリザベート様はヴィクトール様に比べてずっと表情に乏しく、パーティーでお会いしていた時に喜怒哀楽の表情を見た事がない。
「……ヴィクトール様、何故ウィスタリア嬢を連れてきたのですか? ネクセラリア嬢を迎えに行ったのでは?」
今の全く抑揚の無い声も含め、私はこの方よりはまだ愛想があると思いたい位、エリザベート様は感情が見えない方だった。
「ウィスタリアと結婚する事になったんです。その際に私が余計な事を言ったばかりに自分の妹が自分の婚約者と愛し合っていた事を知って
事実ではあるし分かりやすい言い方でもあるけれど、言い方が辛辣すぎて心に刺さる。だけど口を挟む気力は沸かない。
「……分かりました。そして当人を前にそこまで赤裸々に語ってはいけません。事実といえど、そうやって人の恥を明け透けに話す人間は嫌われます。こういう時はやむを得ない事情があって保護しました、と言った上で当人がいない場で詳細を話すものです」
「そういうものですか……分かりました。以後気をつけます」
私が言いたい事を言ってくれたエリザベート様に感謝する。
「それよりアクアオーラの群生諸島で水竜が現れたそうです。漁場に居着いてしまったので討伐して欲しいとの手紙が届きました」
「分かりました。それでは私はこのまま討伐に行きますのでウィスタリアをお願いします」
「かしこまりました。お気をつけて」
エリザベート様が深く頭を下げるとヴィクトール卿はこちらを振り返って私を見据えて微笑む。
「それではウィスタリア、ゆっくり休んでください。何か必要な物があれば全てエリザベートに」
ヴィクトール様はそう言ってこれまで歩いてきた道を戻っていった。
こんな深夜から出かけずとも――まさか、大蛇に乗ったまま寝るのかしら?
魔物討伐に明け暮れているとは聞いていたけど、寝る間を移動に使ってまで戦っているだなんて――
「ウィスタリア様、既にマリアライト家の奥方用に1室用意してございますのでそちらへご案内いたします」
疑問はエリザベート様の声に一旦遮られるも、どうしても気になって先を歩記出したエリザベート様に問いかける。
「あの……失礼だけど1つだけ聞いてもよろしいかしら……あの方、いえヴィクトール様は何か事情がお有りの方なのでしょうか?」
その言葉にエリザベート様は足を止め私を振り返った。その評定からは何の感情も読み取れない。ただじっと見つめられた末に言葉が紡がれた。
「……そうですね、事情はあります、とだけ。ご自身の命が大切であればそれ以上の事は探られない方が懸命です」
どの家にだって1つ2つ他に漏らせない事情はある。産まれた子が必ずしも健康で正常な子とは限らない。公爵家ともあればそうやって脅す位の事情もあるのだろう。
「ただ……あの方が失礼な事をしていたら先程の私のように遠慮なく言って頂けると助かります。あの方は根は温厚ですのであの方自身を馬鹿にするような言い方をしない限り、大抵の事は素直に聞き入れてくださいます」
「……分かりました」
自分が仕える主がまともではない、というのは正直ショックではあるけれど――
(……気にしないようにしましょう、気味が悪くても今私に一番優しいのはあの方だし……)
あの方の優しさに応える為にはこの好奇心を抑えるのが一番なのだろう。感情が見えるというのなら尚更、余計な感情を抱いてはならない。
そう考えた所で用意された部屋につく。自分の部屋と同じ位の部屋は様々な紫色の家具で統一されていた。
「紫色の家具を取り寄せてみましたが、何か気に入らない物があれば遠慮なく仰ってください」
ベッドに寝そべった後、触り心地の良い羽毛布団を被る。泣く気力も怒る気力もなく、今日の出来事を振り返る気力すら沸かず、意識はすぐに暗い闇の中へと沈んていった。
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