第22話 公爵に嫁ぐのは・8
離れ家を出ても、誰も追いかけては来ない。今頃2人また抱き締めあって悲劇に酔っているのだろうか――私には今こんな時ですら縋れる人間も支えてくれる人間もいないというのに。
そんな事を考えながら応接間に戻り、ソファに座るお父様の後ろ姿を見るなりまた怒りが込み上がってきて、抑えきれない言葉が自分の口から吐き出される。
「お父様!! マリアライト家はネクセラリアがフレンヴェールと結婚して継ぐ事になりました……!! どうぞ今からフレンヴェールとネクセラリアに色々お教えになってくださいな!! 私はヴィクトール様に嫁いでラリマー家に行きますから……!!」
「ウ、ウィスタリア、落ち着け……!!」
私の怒声に驚いたのかお父様がすぐ様振り返る。憔悴しきった表情が微かに心を掠めるけれど、私のこの勢いを止められる程ではなかった。
「ウィスタリア嬢がこちらに来ると色々困るのではないですか?」
この状況を作り出したにも関わらす変わらず笑顔を浮かべたまま問いかけてくる公爵にカッと苛立ちが込み上げてくる。
「それで困るなら人の愛を踏み躙りながら愛を育んでいたあの2人のせいですから存分に困ればよろしいのではなくて!? 私もう、疲れました……!!」
疲れた――そう言った瞬間体の力が抜けてその場に崩れ落ちる。
私はマリアライトの為を思って、皆の事を思って貴方に嫁ぐ決意をしたのに何故こんな惨めな目に合わないといけないのだろう?
想いを抑えて、それでも傍にいられたらという願いすら突き放されて。愛しい人と可愛い妹――そのどちらも崩れてしまった。
余命僅かなお父様にはもう無理はさせられない。そうよ、お父様にもう心労かける訳にはいかないのだから――そう呼びかける声も、遠い。ただただ堪えていた感情が吐き出されていく。
「皆、皆、私を美人だ綺麗だって持て囃すけれど、言葉ばかりで誰も私を熱を帯びた目で見てくれない! 見惚れたりしてくれない……!!」
私は、何を言っているのだろう? それでも言葉が止まらない。誰かに聞いてほしかった言葉。誰にも言えなかった言葉。涙が出てくる位憐れで――惨めな慟哭。
「私に愛嬌も愛想も無いから……誰も甘えさせてくれない、我儘も叶えてくれない……心も許してくれない……誰も、誰も私を選んでくれない……!!」
その場に崩れ落ちて蹲ってしまうだけでも情けないのに、最後の方は自分でも哀れなくらい情けない声が出た。
公爵にもお父様にも恥を晒して――ごめんなさい。でも、私、本当にもう限界なのよ。
誰か。誰か助けて。私をここから連れ出して――なんて、愛嬌も愛想もない女が望んだ所で誰も、誰も私の事なんて助けてくれない。
「すみません、本当に……さっきの言葉は言わなければ良かったですね。よく言われるんです。私は三言程余計だと。思ってる事を何でも口に出すなと」
公爵の穏やかな声に顔を上げたいけれど、もうそんな気力すら無い。私の背中を擦るのはお父様の手だろうか? その弱々しい手を振り払う事もできない。
「……分かりました。誰も貴方を選ばないと言うのなら、私が貴方を選びます。ウィスタリア、どうか私の第四夫人になっていただけますか?」
「同情で選ばれた所で微塵も嬉しくありません……!!」
キッ、と睨みつけるとソファから立ち上がる事無く私を見下ろしていたヴィクトール様が驚いた顔をする。初めて笑顔じゃないこの方を見たかもしれない。
「ウィスタリア……!」
お父様が困ったような声を上げる。どうすればいいんだと思われてるかもしれないけど、もう自分でもどうして欲しいのか分からないのよ。
ええ、そうよ。私こんな性格悪い女なのよ。言わせるように仕向けておいていざ言われたら拗ねるのよ。そんな、可愛げも何もない情けない女なのよ。
だから――だからフレンヴェールも私に惹かれてくれなかったのよ。フレンヴェールだけじゃない、学院の男達も、皆。
こんな態度の悪い女は殺せ、と言われるならもうそれでいい――とすら思っていた時、ヴィクトール様は困ったように微笑んで、穏やかな言葉を私に掛けた。
「同情という気持ちはよく分かりません……どちらかと言えばこれは責任感でしょうか? 私が何も言わなければ貴方はそこまで傷つかずに済んだのですから」
ソファから立ち上がったヴィクトール様は私の前で膝を付き、蹲る私と視線の高さを合わせる。
公爵に膝をつかせるなんてとんでもない事だ。とんでもない事だと分かっているのに、何の言葉も出ない。
「きっと遅かれ早かれ、貴方は今のように泣いたでしょう。ですが今貴方が泣いているのは私のせいです。いつか勝手に爆発する爆薬だったとはいえ、私はそれに火を付けてしまった責任を取らなければならない。夫としての役目が果たせない分、妻の願いは出来る限り叶えたいとも思っています……ウィスタリア、貴方は今どうしたいですか? 貴方の願いを叶えましょう。それで許してもらえませんか?」
律儀なんだか誠実なんだか残酷なんだか分からない言葉が落ちてくる。頭がごちゃごちゃして深く考える事もできずにただ、今、私はどうしたいのか――それだけ考える。
「……もう、あの二人の顔を見たくない……」
「分かりました。殺しましょう」
予想外の返答に激しく首を横に振る。殺して欲しい訳じゃない。どうして欲しいかも分からない。そんな私に困り果てたようにヴィクトール様は肩をすくめ、お父様の方に視線を移した。
「……困りましたね。嫌いな人間や会いたくない人間に対して私は殺す以外の方法を知らない。ウィルフレド卿、こういう時はどうすればいいのですか?」
狂ってる発言に物申す気力もなく、お父様に話が振られた事に不安と期待が滲み出る。
お父様は『あの二人を追い出すからここにいろ』と言ってくれるのだろうか? お父様は――私を選んでくれるのだろうか?
「ヴィクトール様……我が家の醜態を晒す事になってしまい誠に申し訳ありません。当主でありながら自らの死期に焦るあまり、この子の婚約者と末娘がそんな状態になっている事にも気づけず……末娘にもこの子の婚約者にも厳しく言って聞かせますので、その間どうか娘をラリマー邸で休ませては頂けないでしょうか?」
心の中で何かがガラガラと崩れ落ちる音が聞こえる。お父様は2人を叱責した後私を宥めて元の形にしようとしているのだろうか?
私はお父様に――何を期待していたのだろう? お父様はネクセラリアの父でもあるのだ。私だけを優先する事は、ない。
むしろ同じ娘なら優先するのは――愛嬌も愛想もない私よりネクセラリアの方に決まってるじゃない。
絶望の中で子どものような意地が急速に膨れ上がる。
「私は継がないって言ってるじゃないですか……!!」
睨みつける私にお父様は目を伏せ、小さく首を横に振る。
「あの2人には無理だ……それはお前も分かってるだろう? それをあの2人にも分かってもらう。お前はその間ヴィクトール様の所で休め。お前がそんな状態では私は死んでも死にきれん」
お父様の言葉はあくまで冷静で――でも、こんな時でさえ冷静なお父様が、辛い。
「分かりました。ウィスタリア、ウィルフレド卿の言われる通り少し私の館で休まれると良い。私は人肌を提供する事は出来ませんが、温かく美味しい食事と暖かく美しい部屋を提供する事は出来ます。私は貴方が侯爵になろうとならなかろうとどちらでも構いませんので、家の継ぐ継がないは少し日をおいてから考えてみればいいのではありませんか? ああ、そうだ……」
ヴィクトール様ががおもむろに立ち上がって、応接間の窓を開ける。
「アズーブラウ」
ヴィクトール様の言葉に首元で垂れ下がっていた紺碧の蛇が反応して宙に浮かび、窓の向こうへと飛んだ。
そしてみるみるうちに――巨大化していき、人が数人またがれそうな位大きな紺碧の大蛇と化した。
「ウィスタリア、お手をどうぞ。空を飛ぶのは良い気分転換になると思います。今から私の館までご案内しましょう」
皆から嫌がられるだろう私の見苦しい姿に、この方は一瞬驚いただけで変わらぬ笑顔を向け続ける。
こんな私に対して突き放す事無く自分の手を差し出してくれる主は――後ろの紺碧の大蛇の淡い青の輝きを背に、にこやかに微笑むヴィクトール様は、何処か神秘的で、哀れな人間に手を差し出す神様のように見えた。
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