第21話 公爵に嫁ぐのは・7


 いえ、まさか、ねぇ? 単に可愛い義妹が不気味な男から解放されて喜んでる、だけ――なんて虚しい擁護は続くネクセラリアの言葉で打ち砕かれた。


「……これで私がフレンと一緒になれば誰も悲しまないわ。私ももう16よ? もう年の差や義理なんて気になさらないで。誰もが仕方ないと思ってくれるはずだわ」


 抱きしめあう形から少し離れて、ネクセラリアがフレンヴェールを熱を帯びた眼で見上げている。

 ねぇ、待って、何でネクセラリアはそんな目でフレンヴェールを見るの?


「ネクセラリア……私と一緒になってくれるのか……?」


 フレンヴェールは私に背を向けていて表情が見えない。ただその声は熱を帯びているのが分かる。ねぇ、本当、待ちなさいよ。え、もしかして本当に、フレンヴェールの想い人って――


「いや、しかし……ウィスタリア様が許さないかもしれない。私はウィルフレド様を裏切る訳には」


 私が許さないのはともかく、何でお父様の名前が出るのよ――そこは私を裏切る訳には、じゃあないの?


 フレンヴェールが続けようとした言葉を遮るようにネクセラリアがフレンヴェールを再び抱きしめる。フレンヴェールも自然にネクセラリアの背に手を回した。

 その自然な動きはと嫌でも分からされる。


 私は、抱きしめられた事など、ないのに。フレンヴェールから敬語を崩された事も、熱を帯びた言葉で呼ばれた事もないのに。愛称で呼んだ事だって――


「フレン、私、今凄く幸せ……」

「ああ、私も……私もだ、ネクセラリア……」

 

 ああ、そうだ。フレンヴェールはずっとネクセラリアを見ていたのだ。


 私にも優しかったがそれは表面上で。フレンヴェールは私には一度もそんな優しい熱を帯びた声をかけてくれた事はなかった。


 幸せ、幸せ、幸せ――


 愛する人の幸せの為なら私の名誉や幸せは踏み躙ってもいいって言うの?

 他人の幸せを踏み躙って得る幸せってそんなに美味しいの?


 いつから――いつからなの? 公務に、呪術に、忙しくて気づかなかった――いいえ、違う。忙しくても気づいていた。それだけフレンヴェールもネクセラリアもおかしかった。なのに、どうして――


(そうだ、祝歌だ……祝歌を聞く度に心のモヤが消えて、考えすぎだと思い続けて……!!)


 2年間――少しの時間フレンヴェールと一緒にいられる時間を、幸せを大切にしていた私は――なんて滑稽な存在なのだろう? その間に2人は叶わぬ愛を育み、酔いしれていたというのに。


 フレンヴェール、自分の名誉を踏み躙られたその痛みを私にも味あわせる事に何の罪悪感も抱かないの? 名誉も恋も同じよ。踏み躙られたら痛いに決まってるじゃない。

 14歳と4歳、18歳と8歳――年の差に躊躇して他人を隠れ蓑に添い遂げる姑息な男なんて――


 心が急激に冷えていく。フレンヴェールへの愛も、妹への愛も何もかもが急激に冷めて綺麗な感情が崩れていく。

 枯れ果てた花畑にしぶとく生えていた雑草もやっと枯れていき、更地に冷たい風が吹きすさぶ。


 しつこく醜い恋心が砕けた穴を埋めるのは、沸々と湧き上がってくる怒り。


 ずっと、騙されていた。一生心に秘めて、と言っておきながら、私という邪魔者がいなくなったらさっさと愛を確かめあって――この2人は私を散々欺いておいて幸せになれるなんて思ってるのかしら?


 このマリアライト家の侯爵となる私を欺いて、影で馬鹿にして――ただで済むと思っているのかしら?


 駄目よ、ウィスタリア――そう自分を諫める声が、遠い。


「……これは一体どういう事かしら?」


 頭は物凄く冷静なのに心がそれに追いつかない。私の震える言葉に2人が抱き合ったままこちらを振り返る。


「姉様……!?」


 人の物を奪っておいて、何故そんな驚いた声をだすのかしら――まあ今はネクセラリアはどうでもいいわ。


「フレンヴェール……貴方、いつからネクセラリアとそういう仲になっていたの? 私は、ヴィクトール様から侯爵としてここに残ってもいいと言うから、体を交わらせるような事はないと言うから結婚を承諾したのに、貴方達を守れると思ったから私は、なのに、貴方達は……!!」


 冷たい頭が冷静になれと警鐘を鳴らすけれど、怒りに駆られた熱い心がボロボロと言葉を吐き出していく。


「ネクセラリアは何も悪くありません! 悪いのはネクセラリアを想いながら貴方と婚約した私が……!!」

「そんな事聞いてないわ……いつから好きだったのかを聞いてるのよ!! 質問に答えなさい、フレンヴェール!!」


 私がちょっと威圧した程度で怯えて震えるネクセラリアを抱き寄せながら、フレンヴェールが言葉を紡ぎ出す。その開き直った態度が忌々しい。


「……惹かれたのは初めてお会いした時からです。ネクセラリアの可愛らしい容姿とその綺麗で寂しい歌声に惹かれました……」

「そう……やっぱりまだ体も出来上がってない未熟な4歳の女児に惹かれたのね?」


 私の冷めた言葉にフレンヴェールは視線を伏せて言葉を続ける。


「……その頃はネクセラリア様を性的な目で見ていた訳ではありません。純粋に、あの年であんな悲しく綺麗な歌を唄う愛らしい女児が哀れだと思った。少しでもその心を癒やしてあげたかった。ですが貴方のように下卑た発想に至る人間は多い……アスター家の名誉に関わる事は避けたかった。そんな中でメヌエット嬢に見初められ、この恋を表に出さぬまま生きる事にした。しかし彼女に婚約破棄され、貴方との婚約の為に再びこの館を訪れた時……あの時よりも更に可愛らしく、美しくなっていたネクセラリアに恋をしました」


 苦しそうな声で答えるフレンヴェールからネクセラリアに視線を移すと、ネクセラリアは自分にも同じ質問を向けられていると思ったようで、涙を浮かべながら相変わらず可愛らしい声を紡ぎ出す。


「フレンは滅多に館から出られない私に色々優しくしてくれたの……凄くカッコよくて、優しくて演奏も素敵で……好きになっちゃったの……」

「……演奏?」

「お父様に怒られたりお留守番してる時にハープ……弾いてくれるの……小さい頃も、2年前にまたここに来てくれてからも……」


 ああ、そうね――それは気づいていたわ。フレンヴェールがネクセラリアにハープを弾いてあげていた事は。私には一度だって弾いてくれなかったのにね。


 ああ、ああ、そう――そうね。私はいつだって、愛されなかったじゃない。

 なのに、長い付き合いの中で、子どもが産まれたりしたら、きっと何か芽生える物もあるんじゃないかなんて、今まで何を――夢見ていたのかしら?


「……もういいわ」

「ウィスタリア様……?」


 諦めが紡ぎ出した言葉にフレンヴェールが怪訝そうにこちらを見据える。こんな時でも私を心配するような視線を向けてはくれないのね。


「貴方はずっとネクセラリアを愛していた……きっと私と結婚した後も影で愛を育むつもりだったのでしょう? それに気づかなかった私が馬鹿だったのよ。2人も私を馬鹿にしていたのでしょう?」

「そんなつもりはありません……!!」

「あら、それじゃあ私に想いを寄せられて2人して悲劇に酔っていたのかしら? お邪魔虫でごめんなさいねぇ……!?」

「ウィスタリア様……私はずっとネクセラリアの事を諦めていました……それが今、叶うと思って言葉に出してしまっただけで……私はけして貴方を裏切っていた訳ではありません!!」


 フレンヴェールの言葉も何処か遠い。そうね――貴方にとってはそもそも表がないものね。私の愛はいらない、愛さないでくれって言っていたものね。表がないのに裏切るも何もないわよね。


 でもね、私に対しては頑なに敬語も敬称も崩さない貴方がネクセラリアには愛称で呼ぶ事を許し、ネクセラリアを呼び捨てにする――これで諦めていたって言われても何の説得力もないのよ。

 想いを秘めて生きるって言ってる割には中途半端なのよ、貴方。


 次々と言葉が浮かび上がるのに、言葉に出せない。私は心の何処かでまだ、フレンヴェールを傷つけたくないと思っている。その良心を掻きむしって心からこそぎ落とせたら私はどれだけ楽になれるかしら?


「姉様……アザリアお姉様には男の人を譲ってあげたじゃない! どうしてアザリアお姉様は良くて私は駄目なの……!?」


 妹の声が酷く煩わしく聞こえる。


「ヒース卿の事? あんなの別に好きでも何でもなかったからよ……だけど、フレンヴェールは違う……ずっと……ずっと好きだったのよ!!」


 私の声は酷く哀れに聞こえる。


「ああ……そう言えばここに帰ってくる前にアザリアが言っていたわ……! 貴方は人の物を奪い取るのが好きだから気をつけろって……!! ヴィクトール様も貴方が優越感に浸っていたって言ってた……嫌な子ねぇ……本当、嫌な子!! 貴方を見かけどおりの姉想いの優しい子だと思っていた私が馬鹿だったわ……!!」


「姉様酷い、私……!」


 涙をこぼすネクセラリアを強く抱きしめるフレンヴェールの悲痛な表情が痛い。そしてこちらを真っ直ぐ見るその目に宿った敵意も。


 もういいわよ。もう、終わりにしましょう。でも――


「ネクセラリア……愛だろうと意地悪だろうと、人の物を奪ったならそれ相応の責任を背負わなきゃいけないのよ? マリアライト侯爵となる私の婚約者を奪い取ったのだから、貴方が侯爵になりなさいな……!!」

「えっ……で、でも私、何もお父様から教えられ」


 この期に及んで狼狽える愚かな妹に一喝する。


「知らないわよ!! 私はアザリアにも貴方にも何も教えない!! まあ貴方にはそうやって庇ってくれるフレンヴェールもいるしねぇ!? せいぜいコンカシェルみたいに男に頼って縋って何とかやってみせなさいな!! 私はずっと一人だったけれど愛嬌ある貴方ならフレンヴェール以外にもたくさん男が寄ってくるから、私が統治するよりきっと平和で素晴らしい領地になるわ……!!」


 全力で威圧した後、振り返る事もなく部屋を後にする。


 頭が追いつかない。心が抑えられない。感情の行き場もない。醜態を晒しているのにそれを抑えようとする気力も沸かない。



 ああ、私は今、とても――とても惨めだ。



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