第20話 公爵に嫁ぐのは・6


 ――何なの? フレンヴェールといいこの方といい、ウェスト地方の上位貴族の間では女に対して「貴方を愛するつもりはない」って言うのが流行ってるの?


 呆然とする私とお父様をよそに、ヴィクトール様は笑顔で話を続ける。


「これは他言しないでほしいのですが、私は俗にいう無性愛者アセクシュアルでして……愛や性欲といった感情に一切縁がないんです。なので妻にそれを求めるつもりはありません。私が求めるのはあくまでも家と家との繋がりです。アクアオーラに続いてマリアライトとも縁を結べるなら、と思ってウィルフレド卿の申し出を受けただけで、娘さん個人に興味があって来た訳ではないんですよ」


 無性愛者アセクシュアルの存在は聞いた事がある。愛はあるけど性的接触に興味がなかったり嫌悪感すら抱く人、愛は理解できないが性的接触には興味がある人、愛も性欲も無い人――実際に目にするのは初めてだけど。


「私の妻として来られる方には皇都にあるラリマー邸あるいはウェスト地方にある別邸にて不自由無い生活をお約束します。ただ、私からの愛や性交渉に対しては先程申しました通り、一切提供する事が出来ませんので『そこは全く問題ない』と言ってくれる方と結婚したい。こちらも嫌がっている方と無理に結婚するつもりはありません。館の空気が悪くなるのは嫌ですからね。そこは個人の意志を尊重させて頂きます」


 どんな政略結婚だって同じ館で暮らす事になる以上、自分の好みの容姿だったり性格が合いそうな人間の方を選ぶだろう。公爵の方が地位が高い上にこちらから繋がりを求めている立場なのだから尚更だ。


 だからと言ってここまでストレートに『家との繋がりは持ちたいが個人として繋がるつもりは一切ない』と言い切られた家がかつてあっただろうか? 『どちらも素晴らしいお嬢さんだから選べないのでどちらでもいい』とかそういうお世辞すらも無い。


「あ……アクアオーラ侯の娘も、それを了承したのですか? 群生諸島の娘も……第一夫人も?」

 お父様が酷く戸惑っているのが伝わってくる。それを一切気遣う事無くヴィクトール様は頷く。


「ええ、皆も全く同じ条件で了承して頂いたので結婚しました」


 アクアオーラが先に言い切られていた。メヌエット嬢やこの方の婦人達、そしてネクセラリア……これを言われたのが私だけでなかったのは少し気が軽くなったけれど、でも――理由は違えど2人の男性から『貴方を愛する事は無い』と言われたのは私だけでしょうね。


 ただ――女性に対してどちらでも構わない、と言う失礼極まりない方ではあるけれど言い辛いだろう事情をハッキリ話す辺り、誠実でもある。


 ある意味、この方と結婚すれば楽かもしれない。それに今の言い方だと、もしかしたら――


「相手を愛す事もなく性交渉もしない……ただ家の繋がりのみ求めるという事であれば……例えば私が貴方様と結婚した後、ここで侯爵として生活する事もお許し頂けるのでしょうか?」


 恐る恐るの質問にお父様が何か言いかけたけど、先にヴィクトール卿の言葉が紡ぎ出される。


「構いませんよ。何か私にしてほしい事や聞きたい事があれば手紙を送るなり会合で仰って頂ければ誠実に対応させて頂きます。ああ、ですが……他の男と重婚されたり堂々と愛人をはべらかすようでは私の『名誉』に関わりますので困ります。私の公爵としての面子を潰すような行いはやめて頂きたい」


 その言葉は今の私には救いの光のように感じた。


 この方と結婚すればネクセラリアを守れる。フレンヴェールと結婚こそ出来ないけれど、私の補佐としてこれから先もフレンヴェールは傍にいてくれる。


 フレンヴェールと結ばれなくても――彼と共にいられるならそれでいい。


 どうせ彼の心は私にはない。彼は誰の物にもならない。それならせめて妹の代わりに身を差し出す良き姉だと見直されたい。


 公爵との婚姻の為なら婚約解消も穏便に出来るだろう。単純な主と家臣という立場になれたら、もうフレンヴェールから軽蔑の視線で見られる事もなくなるはずだ。


「……分かりました。是非、私を第四夫人にして頂けますか?」

「ね、姉様……!?」


「構いませんが貴方は確か婚約者がいらっしゃったはず。そちらの方は宜しいのですか?」

「公爵家との繋がりは何より優先される事……彼も彼の家も私がヴィクトール様に嫁ぐ分には納得してくれますわ」


 元々向こうからも提案されていた事ですから、なんてお父様の前では言えない。アスター家が潰れてしまう。私が侯爵になる事は変わりないからかお父様から特に反対の言葉はない。


「ネクセラリア……困らせてごめんなさいね。私がヴィクトール様と結婚するからネクセラリアはもう何も心配しなくていいわ」


 憑き物が落ちたようにスッキリした気持ちでネクセラリアに優しく微笑みかける。

 これで姉妹間の仲もこれ以上悪化せずに済む。お父様も私が侯爵を継ぐのだから安心できるだろう。これでいい、これでいいのよウィスタリア。


「あ、ありがとう姉様……!! あの、私、皆にも報告してくるわ……!」


 ほら、ネクセラリアが本当に嬉しそうに微笑んで頭を下げた後、応接間を早足で去っていく――報告なんて後でも良いのに、公爵様を置いて何処に行くのかしら?


 再びヴィクトール様の方を向き直ると彼もニコニコと微笑んでいる。



「良かったですね。貴方は立場を守れて、ネクセラリア嬢は貴方の婚約者を合理的に手に入れる事が出来る。私は自分が夫としての役目を果たせないので結婚にはあまり乗り気ではないんですが、こうして人の役に立てる結婚ができたなら嬉しいです」

「え……?」


 ヴィクトール様が目を細めて微笑みながら言った言葉の一部が理解できなくて声に出そうとしたのを、お父様が遮った。


「ヴィクトール様、何を仰っているのですか……? ネクセラリアは」

「ああ、すみません……私は人の感情が見えるんです。貴方が私と結婚すると言った時、それまで不安一色だった彼女の感情は見事に喜びの色に染まった。そして婚約を解消するといった時、彼女の感情はより濃い喜びと優越感で満たされたのでそう言ったのですが……今貴方達はまた不安になっていますね? 私は今、何か不味い事を言ってしまったのでしょうか?」


 きょとんとした笑顔の公爵に苛立ちと絶望がこみ上げてきつつ、呆然としているお父様を置いてネクセラリアの後を追いかける。


 引き止めようとするお父様の声が聞こえたけれど、足は止まらない。外で待機していたサロメに聞くとネクセラリアはエントランスの方に向かったらしい。

 ここの執事やメイドに言うのでなく館の入り口に向かうって事は――


『ネクセラリア嬢は貴方の婚約者を合理的に手に入れる事が出来る』


 ヴィクトール様の言葉が再び頭を過る。全身に嫌な悪寒も走る。まさか、ねえ、まさか。


 もしネクセラリアがフレンヴェールに恋をしていたとしたら。確かに私との婚約が解消されて宙に浮いたフレンヴェールを合理的に手に入れられる。


 いいえ、私が公爵と結婚するから、アスター家に申し訳ないから、代わりに自分が――ええ、そういう優しさよね? いいえ、それならあんな嬉しそうな顔はしないわ。


 ネクセラリアはフレンヴェールが好きなのよ。きっと、私と同じように。


 でもフレンヴェールは――相手になんかしないわよね? 想ってる人がいるんですものね? それに18歳と8歳よ? ずっと想ってた相手が、ネクセラリアなはず――ないわよね?


 不安がツタのように心に絡みついて締め付けてくる中、どこか宙に浮いたような感覚で走って離れ家に到着し、フレンヴェールにあてがわれた部屋へと向かう。


 部屋のドアが開いている。きっとネクセラリアが勢いよく開けたのだろう。


 ――ああ、そう考える時点で私ももう、分かっているのかもしれない。ただ、認めたくないだけで。


 でも認めたくないからといって見なかったフリをする訳にはいかないのよ、ウィスタリア。はぐらかす事無く、ちゃんと現実を受け止めないと。

 貴方はもうすぐ侯爵になるのだから――それに、まだそうと決まった訳じゃないじゃない?


 この期に及んでまだそんな事を思う自分を自嘲しつつ、音を立てないようにそっと部屋の方へと近づいていく。


「良かった……君があんな不気味な男に穢されてしまうと考えたら、私は……」


 ドアが開いているにも関わらず人目も憚らず抱きしめあう2人が、見えた。



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