第19話 公爵に嫁ぐのは・5


「アクアオーラ嬢との婚姻が成立したので次はこちらとお話しなければと思いまして。先に手紙を送っても良かったんですが、丁度アルマディン領の魔物討伐が入ったのでそれを終えて帰るついでに会いに来たんです。何か問題ありましたでしょうか?」


 突然の公爵の――ウェスト地方の頂点に君臨する紳士のアポ無し来訪に館の中は騒然となり、お父様は応接間にヴィクトール様を通すなりネクセラリアを迎えに行った。


 私ではネクセラリアを連れて来れないだろうと思ったのか、私にヴィクトール様の対応を私に任せたかったのか――判断つかないままひとまずマリアライト領で採れる中でも最高品質のハーブを使ったお茶をお出しする。


「ウィスタリア嬢は自分でお茶を淹れられるんですか?」


 私が作る姿をじっと見ていたヴィクトール様が意外そうに問いかけてくる。


「は、はい……自分で入れる方が好きな時に飲めますし、好みにあった物ができますので……メイドしかお茶を淹れていけないルールもありませんでしょう?」

「なるほど、一理ありますね」


 一言一言に気をつけて喋っているつもりだけど、ありませんでしょう? という言い方は不味かったかしら? 私が淹れるお茶は合うかしら?

 色々不安に思いながらヴィクトール卿がティーカップに口を付ける様子を見守る。


「……美味しいですね。香りも、この宝石を溶かし込んだような紫も良い。淹れ方を教えて頂いてもよろしいですか?」


 ティーカップ片手に微笑むヴィクトール様は今の所機嫌が良い――のだろう。いつもこんな感じだから推測する事しか出来ないのだけど。


「ヴィクトール様程の方でしたら自ら入れずとも上手に淹れる方がいらっしゃるのでは?」

「館にいる時はそうなんですが魔物討伐の時は一人なので……お茶が飲みたいと思っても水で我慢していたんですよ。でも自分で淹れられればいつでもお茶が飲める」


 確かに、ヴィクトール様は暇があればウェスト地方のみに限らず皇国全土の魔物討伐にあけくれていると聞く。


 空陸海、全ての魔物に対応できる紺碧の大蛇にまたがり神器とされる青の鞭や様々な魔法で無数の魔物を屠り続けるこの方は公爵の中でも滅多に授けられない『英雄ツヴァイ』の称号を授けられる日も近いと言われている。


 数年前、大海の遥か先にある帝国が群生諸島の端の島を襲撃し占拠した際に取り返しに向かった際、笑顔で人を殺していった様から帝国からも群生諸島の一部の人間からも酷く恐れられているみたいだけれど。


 フレンヴェールの失言は許せる事ではないけれど、私も同じ感想を抱いてない訳じゃない。

 軍事費を削減し騎士の命を守り民の税を軽減させる優しい公爵は、魔物も人も表情ひとつ変えずに笑顔で屠る気味が悪い公爵でもある。


(……ウィスタリア、自制しなさい。思っている事はふとした事で口から溢れるわ。そんな事、意識しないようにしないと)


 公爵の事から意識を逸らし、魔物討伐の方に意識をそらす。魔物討伐の際、公爵は1人で魔物に立ち向かう。中級の魔物の討伐ならまだしも巨竜や巨獣の討伐に騎士や従者を連れていっても足手纏いになったり無駄死にさせるだけだから。

 一仕事終えた後自分で好みのお茶を淹れて気分転換したいという気持ちは分かるけれど――


「……しかし私如きの茶の淹れ方などでよろしいのですか? それこそ館のメイドの方が」


 私はお茶の淹れ方を正式に学んだ訳じゃない。自己流だし美味しく淹れる事に特化した腕を持つ人間から教えてもらった方が、という心配から出た言葉に柔らかな笑顔を向けられ、その笑顔に似つかわしくない冷ややかな声が放たれる。


「私は今、貴方の淹れたお茶が美味しいと思ったから聞いたのですが?」

「し、失礼しました……!!」



 深く頭を下げた後、今使った茶葉やお湯の温度、蒸らす時間等を説明し終えた所でお父様がネクセラリアを連れて入ってきた。


 ネクセラリアの目が赤いのは泣いてたのを無理矢理連れてきたのだろう。大丈夫なのだろうか――不安に心駆られる中、ヴィクトール様が立ち上がる。


「初めまして、ネクセラリア嬢。一度貴方の祝歌を聞いた事があるのですが、なかなか綺麗な歌でした。余程強い魔力と精神力をお持ちのようですね」


 ヴィクトール様はネクセラリアに私に向ける笑顔を何一つ変わらない笑顔を向けている。

 意外だった。ここで開くパーティーで出会う殿方は皆、私と妖精のように可愛らしいネクセラリアとでは表情を変えるから。いくら人形のようだと言われる人でもネクセラリアを見れば少しは感情動かされるかと思っていた。


 私とネクセラリアを全く同じ目で見るヴィクトール様にホッとしたような残念なような何とも言い難い感覚を覚えていると、ヴィクトール様の首に垂れ下がっていた紺碧の蛇が動いた。


「ひっ! へ、蛇……!」

「こら、失礼だぞネクセラリア! この蛇は……!!」


 ネクセラリアが紺碧の蛇を見て後ずさったのを見てお父様が叱責する。


「ああ大丈夫です、この子はむやみやたらに噛みませんよ」

「……怖くないのですか?」


 そう問うネクセラリアにヴィクトール様がニッコリと笑う。


「ええ、怖くありません。触ってみますか? 少しヒンヤリしてて気持ちいいですよ? ああ、お二方もどうぞ」


 公爵にそう言われては触らざるを得ない。ツンと触れてみると蛇がキョロキョロしている。攻撃してくる様子は確かに見られないので、もう少し触ってみる。

 色こそ鮮やかな紺碧だけど見た感じも触った感じも普通の蛇と変わらない。


 お父様も遠慮がちに触って「ほう……?」と感心したような息をつく。そんな私達を見てネクセラリアも恐る恐る蛇に触れて――すぐに指を引っ込めた。

 どうやら駄目な感触だったらしい。そのまま後ずさって座る間もなく声を荒らげた。


「あ、あのっ……ヴィクトール様……!! この婚約はウィスタリア姉様とでは駄目なのでしょうか!?」

「ネクセラリア!?」

「いい加減にしなさい、ネクセラリア……! ウィスタリアはここを継ぐんだ!! 我儘を言うのもいい加減に……ごほっ、ごほっ!!」


 咳を抑える術も限界に来ているのか口に手を当てて咳き込むお父様の手に、微かに赤が滲む。

 慌ててハンカチを差し出した所で背後で予想外の声が響いた。



「いいですよ。ウィスタリア嬢でも」

「「え?」」



 ハンカチを受け取ったお父様と同時に声を上げる。今のお父様に喋らせる訳にはいかない。ここは、私が聞かなくては。


「ヴィクトール様、い、今何と……」

 恐る恐る出した声にヴィクトール様が笑顔で振り返る。


「聞こえませんでしたか? 私はどちらでも構わないと言ったんです。どちらにせよ愛せませんし、子作りするつもりもありませんので」


 優しい声で答えるヴィクトール様の言葉に私もお父様も――言い出した当人のネクセラリアすらも――呆然とするしかなかった。



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