第18話 公爵に嫁ぐのは・4


 一人で泣くようになってから、すっかり涙もろくなってしまった。学院で目をつけた男に対してことごとく失敗した時だって、悔しいばかりで泣かなかったのに――好きな男に徹底的に拒絶される事の痛みは、そんなものよりずっと心の奥底に刺さった。



 その後――お父様はフレンヴェールを呼び出して叱責したらしい。『これ以上ネクセラリアの縁談に物申すなら、君が公爵を侮辱した事を理由にウィスタリアとの婚約を破棄し、マリアライトの名においてアスター家が持つ爵位を全て剥奪する』と警告するとフレンヴェールは押し黙った後、非礼を侘びたそうだ。



「フレンヴェール君には困ったものだな……普段はいいんだがネクセラリアの事になると酷く過保護になる。ネクセラリアが祝歌を歌う上でフレンヴェール君の存在は頼もしいが家の事に干渉してくるようでは困る……!」


 深いため息をつくお父様に罪悪感を抱きながらを昼食を終えてその場を後にする。ネクセラリアはヴィクトール様との婚姻の話が出て以降、食堂に来ずにメイドが部屋まで食事を持っていくようになった。


(フレンヴェール……大丈夫かしら?)


 館を出て離れ家に向かおうとした所で足が止まる。

 今フレンヴェールに会って何を話せばいいのだろう? 叱責された直後に行けばまた冷たい言葉で切りつけられてしまいそうだ。

 それに私は彼を慰められる言葉を持っていない。


 外に出た理由を失ってしまったものの、ただ館の中に戻るというのも抵抗があり、晴天と淡く咲く紫の花達につられて久しぶりにガゼボに立ち寄ってみる事にした。


 庭園の花が一望できるように柵を作らず6本の石柱で支えられたガゼボの中央に置かれた大きな石台に腰掛ける。

 ずっと屋内や地下で引き継ぎが行われていたからこうしてガゼボに立ち寄ったのは何年ぶりだろうか?


 子どもの頃は歌劇場の歌姫に憧れてこの石台の上でアザリアと一緒によく歌った。でもネクセラリアの歌に圧倒されてフレンヴェールに楽器を教えられるようになってからは歌姫を気取るような事はしなくなった。


 綺麗に整備された庭園もガゼボもあの頃と変わっていないのに、人の立場や心はあの頃と重なる部分がない位に変わってしまった。その事に一抹の寂しさを覚える。


 フレンヴェールが素直にお父様に侘びた理由は明確だ。家の事を持ち出されたからだ。お父様のやり方は正しい。説得できないなら脅迫して黙らせればいい。私にもその手は使えた。

 だけど――出来なかった。そんな手段を使わずにフレンヴェールと分かり合いたかったから。


 そういえばフレンヴェールに楽器を習い出した頃、フルートこそ上手く吹けたけれど上手く弾けないハープに挫けてフレンヴェールに八つ当たりした事がある。

 それでも彼は私に優しく根気強く接してくれた。それで上手く弾けるようになるとちゃんと褒めてくれた。


『苦手な物でも諦めずに根気よく接すれば、何かきっかけを掴んで得意になるかもしれません。だから諦めないでください、ウィスタリア様』


 ――ここで笑顔でそう言ってくれたフレンヴェール。きっと私の事もそうやって苦手な中に良い何かを探しながら、根気よく接し続けてくれていたのだろう。


 アザリアに手紙を出す事を提案したのがフレンヴェールだと知られていたら、きっとお父様は本当にアスター家の爵位も剥奪していただろう。あの時全てを言わなくて良かったと思う。


(こんな状況でもフレンヴェールを守ろうとする私、本当に馬鹿みたいだわ……)


 現実から目を背けて想い出に縋る自分が愚かだという自覚はある。それでも私はフレンヴェールを手放したくない。どうせ私を愛してくれる男なんていないんだから。それなら傍にいてくれる男はせめて自分の好きな男がいいのよ。彼が良いの。彼に傍にいて欲しいのよ。


 幼い頃の慕情も、想い出も、彼の能力も、私以外に対する人への態度も、魔力の色も――全部捨てがたいのよ。


 だからフレンヴェール。もうこれ以上私の心を壊すような真似をしないで。好きじゃなくていいからせめて無関心でいなさい。

 怒りや軽蔑の視線さえ向けてこなければもう、それで、構わないから。


 想いは消えずに心がどんどん歪んでいくのを感じる。そう言えば数節前にお父様から想いや感情を制御する呪術も習ったわね。

 もしこの想いがまた誤った判断をしかけた時はそれを使わなきゃいけないかも知れない――


 そんな所まで自分で管理しなければならない、情けなくて惨めな自分にどうしようもない虚しさを感じながら石台から身を起こしてガゼボを出る。

 柔らかい風も、美しい景色も、優しい花の香りも懐かしい想い出も、私の心を癒やしてはくれなかった。


 酒や煙草ならどうかと思ったけれど――ただでさえ呪術師はその性質上寿命を縮めるのに、体に負担のかかる娯楽に手を付けて尚更縮めるような真似はできない。


(はぁ……いい加減自分だけで自分の機嫌を取るのにも疲れてきたわ……神様が本当にいるのならコンカシェルばかり優遇しないで、私にも私を慕ってくれる男の1人位くれてもいいのではなくて?)


 誰かから想われればフレンヴェールの事なんてどうでも良くなるかもしれない。

 私にもメヌエット嬢のように手を差し伸べて『私と共に逃げましょう』と言ってくれる殿方がいてくれたなら――


(……分かってる。私はその手を取れない)


 その手を取って逃げるには私は背負っている物が多すぎる。それでもその想い出を一生大切にして生きれそうな気がする。


 一人で良い。殿方に心から愛されてみたい。誰でもいいから男性が女性に向ける愛を向けられてみたい――ああ、誰でもは駄目ね、見るに耐える容姿の男に限るわ。


 咲き誇る様々な紫の花々達と視界一面に広がる青い空に申し訳なく思う位薄汚い思考を抱える中、空に違和感を覚える。


 違和感の正体は快晴の空に見える紺碧。それは徐々にこちらに近づいてきた。

 動いているようだから魔物かと思って身構えたけれど、それが大蛇のような形をしていると思った途端徐々に小さくなり、代わりに青い服を身に纏った紳士が上空からフワリと降りてくる。


 まさか、神様が本当に私に殿方を降らせてくれた――? そんな私の哀れな妄想は見事なまでに打ち砕かれる。


「お久しぶりです、ウィスタリア嬢。この度は貴方の妹を頂きにあがりました」


 突然侯爵邸の園庭に舞い降りて、紺碧の蛇を首に垂れ下げて微笑む青い紳士――フレンヴェールが『気味が悪い笑顔の人形』と罵った青の公爵が小さく頭を下げた。



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