第17話 公爵に嫁ぐのは・3


「何馬鹿な事を言ってるの……? 私はお父様から直々に侯爵となる為の引き継ぎもマリアライト家当主としての呪術の引き継ぎも済んでいるのよ? お父様の余命が後数節も無い中で、私以外の誰が侯爵になれるというの?」


 眉間に力が入り、口元が引きつるのを感じながら冷静に言葉を出すように務めると、フレンヴェールは乾いた笑みを浮かべる。


「アザリア様がいらっしゃるではないですか。ヒース卿は次男なので家を継ぐ必要はありません。ですからアザリア様が出産されるまでウィスタリア様が侯爵代理として役目をこなし、アザリア様が出産された後、ヒース卿を連れてここに戻ってきてもらえばいい。そしてウィスタリア様がアザリア様に改めて呪術や侯爵として必要な知識を教え直した後でヴィクトール卿に嫁がれれば何の問題も無いですよね? ウィスタリア様はあの方を悪く思っていないのですから」


 その発想はなかったわ――私の積み上げてきた物も、私の存在意義も、何もかもをぶち壊しにするその発想は。

 何故眼の前の男はそこまで私に対して心無いことが言えるのだろう? そして理屈としては通るのがなお忌々しい。


「ねえ、フレンヴェール……婚約した時に約束したでしょう? 2人でこの地をもっと栄えさせようと。私は貴方とこの家を、マリアライト領を盛り立てていきたいのよ。何度も言っているけれどヴィクトール様とネクセラリアはまだ一度も会っていないの……一度会えば心変わりするかも知れないじゃない……!」


 冷静な頭とは裏腹に私の口は悲痛な言葉を紡ぎ出す。ねえ、ウィスタリア。もういいじゃない。縋った所で――ほら、またフレンヴェールの顔が歪んだ。


「人の心はそんなに簡単なものではありません……!! ネクセラリアはまだ16歳のあどけない少女です! 政略結婚の犠牲になるのは可哀想だと思わないのですか!?」


 私が政略結婚の犠牲になるのは可哀想だと思わない訳――? とは言えない。アザリアもネクセラリアも政略結婚の犠牲にしようとした上にアザリアのお腹の子を呪い殺す発想だってしたのだから。こんな姉を持った2人の方が余程可哀相よね。


 でも――でも、今の発言は次期侯爵として許す訳にはいかない。


 大きく息を吸って押し殺すように吐いた後、怒りを抑えるように言葉を吐き出す。


「おだまりなさい、フレンヴェール……!! まだ会わせてもいないのにそこまで拒むのはおかしいわ……! 貴方も貴族なら分かるでしょう!? 皇家や公爵家に嫁ぐ事は貴族の女にとって何よりの名誉……!! 犠牲なんて言い方はやめなさい……!!」

「本当にそう思っているのですか…!? あんな突然現れた、本当にラリマー公爵家の人間かどうかもわからない薄気味悪い不気味な人間に可愛い妹を嫁がせるなんて……!!」


 敬意の欠片もない発言についに堪忍袋の緒が切れる。


「いい加減このウェスト地方全土をその身1つで守る我らが主をそのように言うのはおやめなさい!! ましてこの地を統治する侯爵家の長が決めた事を1伯爵家の子息如きにそこまでとやかく言われる謂れはないわ!!」


 耐えきれずに吐き出した私の怒声で部屋が静まり返る。いつになく重い沈黙を感じた後、俯いたフレンヴェールが冷たい言葉を漏らす。


「1伯爵家の子息如き……ですか……」


 しまった――と思った時にはもう全てが遅かった。


「ウィスタリア様……貴方はその顔立ちや態度から多くの人に誤解されるだけで、本当は聡明で心優しい方だと思っていたのに……どうやらそれは私の思い違いで、本当にその一切の可愛げのない顔どおりの人のようだ……!!」


 怒りと諦めの表情と辛辣な言葉に、心に今まで感じた事もない程鋭い刃が突き刺さる。そのショックに対応できないでいる内に押されるように部屋を追い出された。


「貴方には失望しました……!」


 突き飛ばされなかったのは彼のギリギリの優しさ――ただ、激しく閉められたドアが彼の怒りと私に対する嫌悪を激しく物語っていた。



 ――分かってるわ。謝ればいいのよ。



 でも、納得いかない事を言われてごめんなさいと謝れる程、私のプライドは低くない。



 かといって婚約破棄できる程、貴方への想いも薄まってくれない。



 何なの恋って、何でこんなに厄介なの――嫌われてるのに、どうして、この胸に抱える想いは消えてくれないの――?

 ねぇ、ウィスタリア。過去のあの人は幻なのよ。いえ、フレンヴェールは幻なんかじゃないわ。きっと私だから駄目なのよ。私だから――



 それ以上何も考えられないまま、ただ自分の部屋へと向かっていると私を探していたらしいメイドに呼び止められた。どうやらお父様が私を呼んでいるらしい。フラフラと歩く足の目的地は執務室へと変わった。



 執務室ではお父様が一通の手紙を手に椅子に座っていた。


「……ウィスタリア、お前がアザリアに干渉したからアザリアが子を作る事になったのは分かっているな?」


 お父様の弱々しくとも厳しい声に、また心が軋む。


「……はい。もしかしたらと思って送ったのですが……浅はかでした。申し訳ない事をしたと想っています……」

「ヒース君とまだ2人の時間も欲しかった時期だろうに……ウィスタリア、もう二度と姉妹の幸せを崩すような愚かしい真似をするな」


「お父様もそう言われるのですね……そこまで言われなければならない程、私は……愚かな娘で……本当に、申し訳ありません……」


 涙がこぼれ落ちる。駄目よ、駄目――弱みを見せたら駄目なのに。お父様は関係ないのに。


「ウィスタリア……? どうした?」


 優しい声に戸惑う。でも、こんな事言ってお父様に負担をかけてしまっては――いいえ、これは言うべきよ。これは報告しなければいけない事よ、ウィスタリア。


「いえ……フレンヴェールから……突然現れた不気味な公爵に……可愛い妹を嫁がせるなんて失望した、と言われたので……」

「何だと……!?」


 自分の中で抑えきれない言葉が漏れると、急に立ち上がったせいかお父様がふらついて机に手をつく。ああ、お父様にはもう無理をさせてはいけないのに――


「ごほっ、こほっ……まだネクセラリアとヴィクトール様は会わせてすらいないのだぞ? まして私が公爵に貰ってくれないかとお願いしたのに会わずして頑なに拒むなど……!! ウィスタリア、フレンヴェール君の言葉など気にしなくていい……2人には私からキツく言っておく……!」


 お父様は眉間にシワを寄せてそう怒ると、また椅子に座って片手で額を抑える。酷く疲れたようなため息の後、お父様は顔を上げた。


「……ウィスタリア。先程の話だが、こちらの事情を一切慮らず強硬手段に出たアザリアにも非はある……お前だけを責めているように聞こえてしまったならすまなかった」

「お父様……?」

「子どもの頃のお前の負の感情は声に出やすかった……特に悲哀がな。それを今久しぶりに思い出した。お前はネクセラリアと4歳しか年が変わらんというのに……本当に、すまなかった」


 お父様の言葉に洗い流されていく過去の傷と、失望されてしまったような絶望が混ざり合う。いけない、これ以上――お父様に弱みを晒してはいけない。



「大丈夫か?」と心配そうに問うお父様に「大丈夫です」と伝えてお父様の部屋を出る。そして自分の部屋へと戻った瞬間再び涙が溢れてきた。



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