第16話 公爵に嫁ぐのは・2


「フレンヴェール……何故この子にそんな事を言ったの……!?」


 他の公爵に仕えている家の出身ならまだ分かる。だけどフレンヴェールはヴィクトール様に仕えるマリアライト家の家臣なのだ。私達は絶対にあの方を悪く言ってはいけない。


 もし公爵がそれを聞いて不快に思えば、愛する婚約者と言えど血を分けた妹と言えどその首を切って、詫びの言葉と共に差し出さねばならない位の無礼だ。


 なのに――睨みつけたフレンヴェールの目は厳しい。


「事実ではありませんか……たまにパーティーでお会いするあの方は常に笑顔を崩さない。ウィスタリア様はあの精巧に作られた人形のような方に対して一度も気味が悪いと思った事はないのですか!?」


 フレンヴェールの嫌悪感を帯びた言葉に怒りと同時に冷えた感情が押し寄せる。


 ああ、駄目――これは流石に、駄目だわ。


 私に対しての振る舞いはまだ私が受け入れればそれで済むけれど、主に対しての非礼を看過かんかする訳にはいかない。ただ――ネクセラリアの前でフレンヴェールと言い争うのは避けたい。


 こみ上げてくる怒りを押し殺してネクセラリアを部屋に残し、私の部屋へ誘導しようとした所、部屋の前で止まられる。


 ネクセラリアの部屋には入ったくせに私の部屋には入らないなんて、私はどれだけ警戒されてるんでしょうね? もうこの程度の事では少しも心傷まないわ。成長したわね、私。


 ただ、フレンヴェールから先程の勢いは消えている。ただ苦しそうな表情でじっと私を見つめている。この様子なら少しは冷静に話し合えそう――と口を開いた時先にフレンヴェールの方から言葉が紡がれる。


「ウィスタリア様……先程は感情のままに声を上げてしまい申し訳ありません……ですが何か他に手段が無いかを考えてみませんか? 例えば一度アザリア様に手紙を出して相談してみるとか……もしかしたらヒース卿と仲が悪くなってるかもしれませんし……」


 アザリアは滅多に手紙をよこさない子だから最近の様子は分からない。もし今あの2人の仲が悪くなっているようなら確かにこの話は助けにもなるだろう。


「……分かった。無駄だと思うけれど聞くだけ聞いてみるわ。だけどフレンヴェール……二度とヴィクトール様の悪く言わないで頂戴。公爵への非礼の侘び方は貴方も知っているでしょう……? 私は貴方を殺したくないのよ」

「はい……申し訳ありませんでした」


 侯爵相手の非礼はまだ、その上にいる公爵が仲裁に入って穏便に解決する事ができる。が――公爵相手の非礼は当の公爵が相手を庇ったり許したりしない限り、当人の命を持って詫びるというのが暗黙の了解となっている。


 果たして自分に向かって『気味が悪い人形のようだ』と罵る人間を庇ったり許したり出来る人間がどの位いるかしら?


 もし私が誰も逆らう事が出来ない絶対的な権力を持つ公爵だったら――非礼を働いた相手に対して無言を貫く事が『死んで詫びろ』という答えになるのなら――笑顔で無言を貫かせてもらうわ。


 そして私もその状況でフレンヴェールを庇う事は出来ない。庇えば代わりに自分の首が飛びかねないのだから。


 何故ネクセラリアにそんな風に言ったのか聞きたかったけれど、これ以上フレンヴェールのその苦しそうな顔を見るのも辛くて、警告以上の言葉を紡ぎ出せずにそのまま部屋に入り、机の引き出しから便箋と羽ペンを取り出す。


 アザリア宛てに調子や体調を気遣う言葉を綴り本題に入ろうとした所でふと、我に返る。


 本当――何やってるのかしら、私。フレンヴェールの顔色なんて伺う必要無いのに。何で、彼が願う通りになれば良いなんて考えてるのかしら?


 何で願いどおりになってくれたら、彼は本当の笑顔を私に向けてくれるかしら――なんて考えちゃうのかしらね?


(メヌエット嬢……貴方もこんな気持ちを抱いたの?)


 学院に入る前に何度か会った記憶こそあるけれど顔もよく覚えていない令嬢に今更ながら同情する。好きな人に振り向いてもらえない日々はさぞかし辛かったでしょうね。


 私、今なら貴方の幸せを心から願えるわ。フレンヴェールの名誉を貶めたのはけして褒められた事ではないけれど――どうか、貴方自身を愛する男と、末永く幸せになって欲しい。


(私は……)


 こうしてアザリアに手紙を書いている時点でまだ、諦められないみたい。



 そうやってアザリアに一縷の望みをかけた手紙を送って数日後――<ご心配ありがとうございます。ですが彼とは今も順調に愛を育んでおりますので。心配不要です>と容赦なく望みを断つ手紙が届いた。



 念の為に聞いてみただけよ、と謝罪の手紙を送った後再度ネクセラリアを説得してみても嫌だとごねられ、説得が難航している内にアザリアから<妊娠しました>と懐妊の連絡が来た。



 先手を打たれた――私がそう思った時点でアザリアの判断は間違っていない。



 女は妊娠した時点で魔法が使えなくなるからすぐに分かる。既にそういう関係があったというよりは手紙を見た後、強引にヒース卿と引き離される事を恐れて事に及んだのだろう。

 受胎魔法は館の、マリアライトの人間にしか入れない書庫の本に記載されている。


 あの子は知識量や魔力量、呪術を扱う技術は私にこそ負けているけれど、酷く劣っている訳でもないし、話術や頭の回転力、決断力は私より凄い。

 そして同じマリアライト家の人間――呪術を学んでる相手だけに胎児を呪い殺す手段も悟られてしまう可能性があるから使えない。


(妹相手に堕胎の呪術なんて……我ながら酷い姉ね……)


 自分の残酷な発想に自嘲しながら冷静に考え直す。流石に他の男の子を宿した女を貴族の頂点である公爵に嫁がせる事は出来ない。胎児を殺さねばならない状況であればフレンヴェールも諦めるでしょう。


(さあ、フレンヴェール……貴方は何と言うのかしら?)


 もし彼が諦めなければ今度こそ私の諦めが付く。私の妹が宿した小さな命を潰せなんて言うような男ならきっと幻滅できる。彼が人妻を想っていようと男を想っていようと未だ消えない私の想いもようやく潰せる気がする。


 不安と淡い期待を持って離れ家にいるフレンヴェールの元へと向かい、アザリアの懐妊を告げると彼はやはり苦しい顔をして――そして、諦めたように微笑んだ。


「懐妊されたとあってはもう、どうしようもありませんね……」


 ああ、そう、それでいいのよ、良かっ――


「ウィスタリア様、私と婚約解消いたしましょう……この状況での婚約解消はアスター家も仕方ないと思ってくれるはずです」

「フレンヴェール……貴方何を言っているの!? まさか……私にヴィクトール様に嫁げと……!?」


 フレンヴェールの予想外の言葉に声を荒げるとそのとおりだと言わんばかりに厳しい眼差しを向けられる。


 ああ、私――本当にフレンヴェールに嫌われているのかもしれない。



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