第15話 公爵に嫁ぐのは・1


 これまで何度かお会いしたヴィクトール様にその度感じる何とも言えない違和感にお父様は迂闊に踏み込むのも危険だと判断したのか、ヴィクトール様と親交を深めるのを諦めたようだった。

 残り僅かな余命、一日でも多く私の育成に使いたいという気持ちもあったのかもしれない。


 そんなお父様が急にネクセラリアとヴィクトール様との縁談を持ち出した事に驚きつつ、先に声を上げたのはフレンヴェールだった。


「ネクセラリア様を、ですか? 何故……?」


 確かに何故かは気になるけれど、結婚相手としてはこれ以上にない相手なのに何故絶望したような言い方をするのかしら? 胸がまたザワつきだす。


「……先日の会合の休憩中、アクアオーラ侯がヴィクトール様に自分の娘を貰ってもらえないか、と持ちかけてな」


 お父様の重々しい言葉にフレンヴェールが硬直する。

 アクアオーラ家はマリアライト領の南隣に位置し、土地と隣接する海に点在する群生諸島を治める、私達と同じくラリマー公爵家を主とする侯爵家だ。


 数百年前の侯爵が領地の名を改め民や罪人の待遇を改善し、貴族の膿みを洗い流す事で海があるだけが特徴の田舎に過ぎなかった地を一気に海洋都市として栄えさせた。

 賢人侯と唄われる程に民と土地に尽力し、人から慕われ統治に優れた男が没しても彼が残した仕組みや道具、豊富に採れる海産物を生かして今でも栄えている。


 が――当の侯爵家自体は少しずつ堕落していき、ついには今の侯爵は愚人侯とまで称される程に自堕落で怠惰な生活を送っていると聞く。

 あくまで噂の範囲でしかないけれどパーティーで接する限りは確かに、有能な男、とは言い難い。


 賢人侯の伝説と愚人侯の現実――アクアオーラ家の水色の魔力にちなんで『水は流れねば腐ってゆく』と揶揄する声が同じパーティーでちらほらと聞こえてくる程だ。


「今のアクアオーラは群生諸島との仲が悪化していてな……そんな中ヴィクトール様が先節の魔物討伐の折、その群生諸島を取りまとめる島の長の娘を第二夫人として連れ帰ってきた事から焦ったのだろう。『島の娘を娶ったなら自分の娘も貰ってほしい』と言い出し、ヴィクトール様も快諾されたのだ。だが第二第三とアクアオーラ領の人間ばかり娶られてはこちらの面目が立たん」


 確かに少し前の新聞でヴィクトール様が第二夫人を娶られた事が記載されていた。その時は(これで群生諸島との関係も多少良くなるかしら)と思うだけだったのだけど、まさかそういう展開になるなんて。


「それにあの方はどうも純粋過ぎるきらいがある。それをアクアオーラ家が利用してあの領だけ優遇されるような事を防ぐ為にも、こちらも娘を嫁がせる必要があるのだ。アザリアが婚約していなければアザリアが適任だったんだが……」


 アザリアはシルバー家のヒース卿――私が学院を卒業する際にアザリアと共に見送ってくれた青年と順調に愛を育み、去年既に婚約している。

 アザリアが今年魔導学院の高等部を卒業次第結婚する事になっていて、既に皇都であげる式の日取りも来節に決まっている状態だ。


 シルバー伯爵家は皇都にあるヴァイゼ魔導学院を運営している有力貴族。次男坊とは言え今更婚約も結婚も無しにするのは大分都合が悪い。

 そして私はもうすぐ侯爵にならねばならないし、そのタイミングでフレンヴェールと結婚する。

 マリアライト家の三姉妹で公爵に嫁げるのは相手が決まってないネクセラリアだけだ。


「……向こうは承諾されたのですか?」

「アクアオーラ侯の願いを聞き入れた時に、それなら私の末娘ももらっていただけたら、と軽い感じで聞いたら是非に、と言われた」


 そんな簡単に伴侶を迎え入れて良いのかしら――とは思ったけれど公侯爵家の娘との縁談は政略結婚としてこの上ない良縁。

 直属の臣下であるアクアオーラ家ともマリアライト家とも確固とした繋がりがなかったヴィクトール様が承諾する気持ちは分かる。


「しかし……! ネクセラリア様が嫁いだら祝歌はどうなさるのです……!?」


 先程から食い下がるフレンヴェールに苛立ちを覚える。何故この人はそこまで食い下がるのかしら?

 私だってネクセラリアがいなくなるのは寂しいけれど、相手が相手だ。そこまでの食い下がる程の事ではない。


「ごほっ……祝歌の時期だけこちらに戻って歌ってもらえばいいだろう。公爵家ではここより良い生活も出来るだろうし、ここより下の貴族に嫁いでストレスを溜められるよりは余程良い……ただ、当のネクセラリアが強く反対してな。お前達からも、説得……ごほっ……」


 お父様が咳き込みだす。これ以上話すと負担をかけてしまうと判断してフレンヴェールと2人、執務室を出た。その足でネクセラリアの元へと急ぐ。



 すでにお父様から話を聞いていたネクセラリアは自室のベッドの布団に潜り込んでいた。


「ネクセラリア……ヴィクトール様と結婚してラリマー邸に行けばここよりずっといい暮らしも出来るのよ? それに一度も会っていないのに断るなんて失礼だわ」

「嫌です……! 会ってから断る方が失礼ではありませんか……!!」


 呼びかけているのに布団から顔すら出さずに叫ぶ聞き分けのない妹に1つため息をつく。

 確かに、ヴィクトール様のお年は30前後だったはず。まだ16歳のネクセラリアにとっては30前後の男と結婚しろと言われるのは受け入れ難い事かもしれないけど――


「ネクセラリア……ヴィクトール様は素敵な方よ? 背はまあ高いとは言えないけど貴方となら丁度いいと思うし、見目も悪くない。何よりこのウェスト地方全土の中級以上の魔物を殆ど一人で討伐されている素晴らしい人なの。貴方の祝歌の力で守られているこのマリアライト領でも遠く離れた辺境では魔物が暴れる所もあるわ。そういう魔物もあの方が討伐してくださってるの。その上自分が動く分軍事費を節約されて、貴族や民の負担を軽減してくださってるとても優しい方なのよ?」


 ヴィクトール様がどういう人であるかを分かりやすく伝えてみるが、ネクセラリアには全く響いていない――それどころかそんな事を知ってると言わんばかりに睨まれる。


「凄い方なのは知ってます……! でも……冷たくて何処となく不気味で、常に笑顔を浮かべている人形のような方なのでしょう? フレンから聞いてます……!! 私、怖い……!!」


 ネクセラリアから飛び出した信じられない言葉に思わずフレンヴェールを睨みつけた。


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