第14話 婚約破棄の真相
この2年間、私が無理にフレンヴェールと接点を持とうとしなくなった事やネクセラリアにあれこれ言わなくなった事で、フレンヴェールに感じていた不穏な感じは潜まり、表面上は穏やかな関係を築けている――と思う。
でも、それだけ。私はフレンヴェールの心の表面上にしかいられない。その中にはきっと入れない。その辺はもう2年も経てば大分割り切れていたのだけど――
(だけど……結婚式の後は当然、初夜があるのよね……)
彼はどんな風に私を抱くのかしら?表面上優しいのは間違いない。だけど――裏側は?想像しただけで悲しさと虚しさで身が引き千切られそうだ。
そんな悩みを抱えて視線を伏せた所で、交尾に没頭するネズミ達が視界に入ったのは幸いだったのか、それとも不幸だったのか――
その日の呪術の引き継ぎが終わるなり、私は離れ家にあるフレンヴェールの部屋を訪ねた。私の部屋より一回り狭い部屋には最低限の家具が置かれ所々にセンスの良い小物が置かれている。
「相手に欲情する呪術、ですか……?」
「ええ、貴方は私を女性として好きではないでしょう? そんな貴方に初夜は辛いのではないかと思って。記憶を消せる仕様にも出来るらしいわ」
門外不出の情報を明かすのは気が引けたけれど、内容を伝える訳ではない。あくまでそういう呪術があるという情報だけならさして問題はない。
それより、男に対してこういう話を持ち出してどういう反応をされるかの方が心配だ。
実際、今こうやって話してフレンヴェールは明らかに怪訝そうな顔を向けている。
「ああ、たまたま今日習った呪術がそういう呪術だったから良かれと思って提案してみただけで、必要ないなら別に」
「……いえ、そういう呪術があるなら是非使って頂けますか?私もいざそういう状況になった時に役目を果たせるか不安がありましたので……その間の記憶を消して頂けるのであればとてもありがたいです」
自分から言い出した事ではあるけれど――はっきりそう言われると心が軋む。
『フレンヴェール君はとても物分かりが良いし、判断も的確で気も利きますし人当たりも良い――本当に良い伴侶に恵まれましたな、ウィスタリア様。これでマリアライト家の将来は安泰です』
フレンヴェールに引き継ぎしているマロウ伯は嬉しそうにそう言っていたけれど――正直『伴侶』という点においてはまだ、良いとは言えない。
「フレンヴェール……提案した私が言うのも変だけれど、その言い方は流石に傷つくわ。メヌエット嬢が駆け落ちしてからもう4年も経つのよ?いい加減少し位私を見てくれても……」
ポロッとこぼしてしまった言葉にフレンヴェールの表情が凍りつく。言い過ぎたかしら?
でも、もう結婚するのだから過去の失恋をいつまでも引き摺っていられても――
「メヌエット嬢……そう言えば彼女も貴方と同じ事を言っていました。『叶わぬ想いだと言うのならいい加減に私を見てくれてもいいじゃない』と」
その言葉に私の心も凍りつくのを感じる。じわじわとその冷えが心の芯に迫りこようとしている中で、不思議と冷静な頭が勝手に言葉を紡ぎ出す。
「メヌエット嬢を愛していたのでは……無いの?」
声が震える私に対してフレンヴェールは困ったように口元を歪ませる。
「愛していた? ……まさか! 私は彼女と出会うずっと前から、ある人だけを想っています。ですが私はその方とはけして結ばれない運命……だから私はこの想いを一生心に秘めて、家の為になればと彼女と婚約しただけです。この事は私に一目惚れしたというメヌエット嬢にも言いました。『私には想い人がいるから貴方を愛するつもりはない、それでもいいですか?』と。彼女はそれで良いと言ってくれたから婚約を受け入れたのです」
衝撃の事実に言葉を失う。まさか、メヌエット嬢も私と同じような事を言われていただなんて。
「彼女も貴方のように、いつか私が自分の方を向くと思ったのでしょう……ですが一向に心移さない私に耐えかねた彼女は他の男に心移して逃げたのです。わざわざ私の名誉を踏み躙って……!」
返す言葉が全く思いつかない間にフレンヴェールの怒りを帯びた言葉がどんどん積み重ねられていく。
「愛さなくても良いと言うから婚約し、私なりにメヌエット嬢に優しく接し、彼女の名誉を貶める事が無いよう婚約者として尽くした結果が、結婚一週間前に婚約破棄の挙げ句他の伯爵令息と駆け落ち……! そして私は『逃げられた男』のレッテルを貼られ、アスター家の名誉が貶められる事になった……! マリアライト家に拾われたのは家も私も感謝しています……ですが、私は貴方にも言ったはずです……私を愛さず、愛を求めないでほしいと……!」
最後はもはや怒りというより、嘆きにすら感じた。フレンヴェールもこの状況に苦しんでいるのだろう。苦しんでいるのだろうけれど――
「私からの愛は、一切受け取るつもりはないという事……?」
零れ落ちた私の言葉に一瞬フレンヴェールが怯む。少し視線を落として数秒の沈黙の後、私の目を真っ直ぐ見据えた。
「……私を拾って頂いた恩として、貴方の配偶者として最低限の義務は果たさせて頂きます。ですが、私が貴方を愛する事はありませんし、貴方からの愛もいりません」
それはハッキリとした――拒絶。
――ほら、やっぱり。分かっていた事じゃないウィスタリア。フレンヴェールは最初からそう言ってくれていたじゃない。
私が勘違いしていただけ、それだけの事――だから、砕け散った想いを拾って泣くのは、後にしましょう?
目の奥からこみ上げてくるものを抑えるように自分に言い聞かせるとそれに心が応えるように動悸が収まり、思考が少しだけクリアになる。
「そう……それなら貴方がそこまで想っている方の名前を聞いてもいいかしら?」
「言えません……私はあの方を悲しませたくないし、殺されてほしくもないのです。この想いは一生秘めていきます。私は貴方を裏切るつもりはありません……どうか安心してください。そしてこれ以上私の心を追求しないで頂きたい」
フレンヴェールがそこまで言う程頑なになる相手――人妻?あるいは、男?
(ああ、それならもうどうしようもないわね……)
何故かしら――致命的な絶望を突きつけられているはずなのに、何処かちょっと清々しい気持ちすら感じるのは。もう奪われる心配をしなくて済むからかしら?
そう。この想いは一生秘めていくと言うのなら、誰にも奪われる事はない――裏切るつもりもないと言うのなら、もうそれでいいじゃない?
私が恋い焦がれる人が私はおろか誰の物にもならないのなら、それで。
名前を知ってしまえば確かに相手を呪い殺してしまうかもしれない。そんな事をすれば誰一人幸せにはならない。
「そう……分かったわ。私も貴方を傷つけたくないわ、フレンヴェール。では初夜の際には呪術を使わせてもらうわね。大丈夫よ、慎重にやるから」
「ウィスタリア様の呪術の腕はウィルフレド様も褒めてらっしゃいましたから信頼しています」
「私は受胎魔法も知っているから……貴方が知らない間に全て終わっているわ。子どもは予備の子含めて2人は欲しいから2回使わせてもらうけど……耐えて頂戴ね」
「ウィスタリア様……あまりこういう話に念を押されても困ります。話がそれだけでしたら私も所用がありますので、そろそろ出ていってもらえますか?」
私を廊下に促してドアを締める音が、少し勢いが強かった。怒っているのだろう。
フレンヴェールが立ち去る姿をただ呆然と見送る。
何故怒るのかしら――私は貴方の為に色々配慮してあげているのに。どこまで私は自分の心をへし折らないといけないのかしら?
学生時代『恋愛は惚れた方が負けだ』という台詞が男女問わず聞こえてきた事を思い出す。それを聞いては恋愛感情に流されてろくでもない男を迎え入れる訳にはいかない、なんて決意を固めていたけれど。
いえ、フレンヴェールは眉目秀麗で文武両道で人当たりも良いから、けしてろくでもない訳ではないのだけど――ただ、惚れた側はこんなに惨めな思いをしなければならないのかしら? だから敗者のような言い方をされていたのかしら?
そんな事を考えながら離れ家を出ると、私を探していたサロメが駆け寄ってきてコンカシェル宛に手紙を出した事を報告される。
ねえ、コンカシェル――私、貴方が羨ましい。愛人侯と呼ばれようと、民に尻軽と呼ばれようと、夫達に大切に想われる貴方が羨ましい。
周りにどれだけ馬鹿にされようと、好きな人と好きなだけ結婚して愛を捧げられる貴方が心の底から羨ましい。
複数の男達の愛を捧げられる貴方が、今の私は――たった一人の愛しか要らないのにそれが永遠に手に入らない事を告げられた私は、どれだけ『可哀想』に見えるのかしらね?
きっと学院にいた頃、殿方と仲良くなれない私の事も『可哀想』だから気にかけてくれたのでしょうね。
(……気づきたくなかったわね。何もかも)
惨めな自分を認めたくなくて小さく首を振る。駄目よ、ウィスタリア。もうすぐ侯爵になろう者がこんな事ではいけないわ。
私は愛嬌も愛想もないから、弱みを見せたらいけないの。
フレンヴェールの心は本人と私以外誰も知らないはず。私自身さえ惨めだと思わなければ、惨めではないのよ。
お父様に心労かける訳にいかないし、アザリアやネクセラリアを心配させる訳にもいかないし。サロメに言った所で何がどうなる訳でもないしコンカシェルに相談すればフレンヴェールを狙われるも知れないし。
もういい大人なんだから自分の機嫌は、自分で取らないとね――そう、防音障壁を張って部屋の中で一人で泣き明かせばきっと少しはスッキリするわ。
その後――呪術の引き継ぎを終えてからお父様の体調が崩れていくのは早かった。歩くのに杖を必要とし始めた頃からはいつ爵位継承と結婚式の日が決まるのか――不安と心配に包まれた日々を過ごしていた矢先、お父様が年に1度皇国の公侯爵達が集まる会合から戻ってくるなり、私とフレンヴェールを執務室に呼んだ。
恐らく爵位継承と結婚式の事――そう思っていた私は心が、フレンヴェールは表情がそれぞれ重々しかったが、お父様が私達を呼び出したのは予想外な理由だった。
「ネクセラリアをヴィクトール様に嫁がせる」
パーティーで会う度に変わらぬ笑顔を浮かべる青い紳士が、頭に浮かんだ。
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