第12話 祝歌の日
マリアライト邸の1階――館の最奥、薄紫の壁に覆われた広いドーム状の空間にそれはある。
ドームの中央には屋根を超える程長く太い紫色の魔晶石の柱。宝石という程のギラつきはないけれど、宝石として磨かれる前の鉱物の神秘的な透明感を宿したその魔晶石の中には様々な形の金属が重なった物が埋め込まれている。
どうやって巨大な魔晶石の中に金属を埋め込んだのか――それは古代文明が完全に紐解かれないと分からない。この魔晶石の柱こそ過去に生きた人間達が作り出した失われた技術の結晶――
この大魔道具を長き間に渡ってマリアライト家が管理し、この領土の平和を保っている。
近くには大魔道具の響く範囲や音量などを調節する為の台座、他には大きなピアノとハープが置かれている。他に様々な楽器が収まった箱が空間の隅に綺麗に積み重ねられている。定期的に点検しているのだろう、楽器や台座、箱に埃など一切付着していない。
「すごいですね……」
見事な魔晶石の柱を見て素直に感嘆の声を漏らすフレンヴェールに少し心が弾む。
「フレンヴェールはここに入るのが初めてかしら?」
「ええ……いつも祝歌を聞きながらお祭りを楽しむ側でした。ネクセラリア様の祝歌を生で聞けるのは嬉しいです」
そう微笑む顔は本当に楽しみにしているようだ。祝歌の日は魔導学院の長期休みと時期が合わないから私も久々にネクセラリアの祝歌を聞く。またあの美しい祝歌が聞けるのが楽しみだ。
私が魔導学院に入っている間にネクセラリアは歌のトレーニングをしなくなった。お父様曰く『無理に訓練させるよりは好きに唄わせてやった方が良いと判断した』らしいけれど――どんな風に歌うのか、ちゃんと歌えるのか、少し不安もある。
「フレン様!姉様!お待たせしました!」
お父様と一緒にネクセラリアが入ってくる。
フワフワのレースやフリルをあしらった薄紫色のドレスをまとっている。見慣れないイヤリングは何処となくフレンヴェールの魔力の色と似ている気がしたけれどネクセラリアも薄紫色に近い魔力だからそこは気のせいだと思いたい。
同じ親から産まれても姉妹それぞれ微妙に魔力の色が違う。同じ紫ではあるけれどよりフレンヴェールに近い色のネクセラリアが羨ましく感じた。
「ああ、ネクセラリア様……とても綺麗で可愛らしいドレスです。貴方によく似合っている。素敵です」
私も今着ている濃いめの紫のスレンダーなドレスに対して『お綺麗です』とは言われたけれど、『よく似合っている』とも『素敵』だとも言われていない。
一言――いや、二言の有無がチクリグサリと心に刺さる。可愛げの差だとしたら本当にネクセラリアが羨ましい、けど――
「駄目よネクセラリア、フレンヴェール様、でしょう?」
「あ、ご、ごめんなさいフレンヴェール様……」
コンカシェルの時と同じ過ちは犯さない。眉間に力を入れないように笑顔を貼り付けて努めて優しく語りかける。
「私は構いませんよウィスタリア様。ネクセラリア様はいずれ義妹になるのですから他人行儀なのは寂しいです。是非フレンと呼んでください」
「ありがとう、フレン……!私の事も様付けなんてしないで!妹に様付けなんておかしいわ」
「……分かりました、貴方がそう仰るのであればそうお呼びしましょう、ネクセラリア」
――私は?
その問いに応えるように再会した時の彼の言葉が頭に響く。
『貴方は私の主となられる方ですので呼び捨てになど出来ません。そして私に敬称など付けてはなりません。貴方はいずれ侯爵になられる方なのですから。』
敬称は断っていたけれど、愛称は許されるのかしら?
『私の立場と名誉を救ってくれたマリアライト家に応える為に貴方の忠実な片腕として生きる所存ではありますが……どうか私を愛さず、私からの愛も求めないで頂きたいのです』
思い返した言葉からは愛称で呼ぶ事は許されないのだろうと痛感する。
(私を主と言う割に、私の妹は義妹扱いするのね? いえ、でも……それは仕方ないのではなくて? どこの政略結婚も、きっとそう……そうなのかしら?)
グルグル巡って冷静な答えを出せずに考えるのを放棄するのはもう何度目だろうか?
(ああ……今日は伴奏しなくて良かったわ……この心境では伴奏すらまともに出来ない……)
結局2人のやりとりにそれ以上の口は挟めず、大人しく用意された椅子に座るとフレンヴェールも少し離れた椅子に座った。
懐中時計を確認したお父様がそれをポケットに仕舞って台座に触れる。
「この柱が光り輝いている間、この部屋の音を拾う。極力音を立てず、私語も一切慎むように」
そう言えばネクセラリアが歌い初めて2年目の時『もう疲れたー』なんてちょっと愛らしい言葉とそれを励ますお父様の言葉が入った事があったわね――なんて少し懐かしい想い出が過る。
それは微笑ましいアクシデントとして片付けられたのに、何で私は――
また薄暗い感情が過った時、魔晶石の柱が淡く輝き出す。中の金属が見えなくなる位まで輝くと、お父様のピアノの音色が響き始めた。
――そして、ネクセラリアが祝歌を歌い出す。
見事な祝歌に圧倒される。まるで心の中が優しく洗い流されていくような感覚を覚える。こんな間近で受ける祝歌はこれまで聞いた祝歌よりずっと強くて優しいものだった。
嫉妬も、劣等感も、少しずつ洗い流されていく心に理性が語りかけてくる。
ウィスタリア、もう愛に拘るのは止めましょう。初恋の人が婚約してくれたから、つい独占欲が湧き出てしまったのよ。
フレンヴェールは言ったじゃない。愛するなと、愛を求めるなと。私は愛されない女だし、フレンヴェールはまだ傷ついているのよ。
名前なんて好きに呼ばせればいいじゃない。身の程をわきまえなさいなウィスタリア。私がフレンヴェールの心を癒そうと思ったのが間違いだったのよ。
コンカシェルには渡せないけれど、ネクセラリアがフレンヴェールを義兄として慕う事で――家族愛として癒してくれるなら、私は逆にネクセラリアに感謝するべきではないかしら?
ネクセラリアには素敵な兄が出来て、フレンヴェールには可愛い妹ができて。互いに満たされない感情を、傷ついた感情を癒せるのであれば。
それにお父様の命はもう短い。ネクセラリアはきっとお父様の死にはショックを受けるわ。でもフレンヴェールがいればネクセラリアはちゃんと祝歌を歌えるはずよ――
朝の9時から21時まで響いた音色は私の心に巣食っていた闇もすっかり消してしまっていた。ネクセラリアがいればお前の代も安泰――お父様がそういう気持ちがよく分かる。
ただ、お父様の体調は祝歌に支えられても完璧には引きこなせない程に悪くなっているようだ。所々で僅かにキーを外してしまった。それもすぐ気にならなくなる位ネクセラリアの歌声は素晴らしかった。
フラリと崩れ落ちかけるネクセラリアを抱きとめようとすると、フレンヴェールが先に抱きとめた。そのまま彼女を抱き上げて部屋へと連れて行く。
誰もがおかしいと思う光景だったかもしれない。だけど闇を取り払われたばかりの私にはそれはただの優しさにしか見えなかった。
こうして祝歌の日も過ぎ、また勉強と引き継ぎと鍛錬の日々に戻ってあっという間に時間が流れていく。
フレンヴェールと休憩時間が合わなくなり、領地視察にも全く付き添えなくなってしまったけれどその分朝と夜の食事の時間を大切にした。
1日1日の僅かな時間、彼の優しい声と言葉、父と共に聞く領地視察の報告や気になる点の今後の改善策などの的確さに今なお慕情は降り積もっていく。
父がいて、フレンヴェールがいて、ネクセラリアがいて、学院の長期休みに入ればアザリアもいて――家族と、家族になれる人と一緒にいられるその食事の時間、私は間違いなく幸せだった。
ただ、フレンヴェールに何かしら不穏な物を感じなかった訳じゃない。ネクセラリアを見る目が何処となく熱を帯びているのでは、とそんな不安がよぎっては打ち消す事が何度かあった。
アザリアからも『あの2人の仲の良さは義家族というには異常なのでは?』と心配されたりもしたが、私が目をつけた男に手を出しておいて私を心配するアザリアに少々イラッとしたのもあってそれは素直には受け入れられなかった。
ただアザリアがそう言った数日後、フレンヴェールは離れ家で食事するようになった。どうやらアザリアはお父様にも同じ事を言ったようで、重く受け止めたお父様は『異常だと思われるほど仲が良いのは困る』とフレンヴェールに叱ったようだ。
残念だと思うと同時に、安心する自分がいた。食事中の二人の仲睦まじい姿は私にとって思った以上にストレスになっていたようだった。
翌年の祝歌の日はお父様が運悪く体調を崩されたので、代わりに私がフルートで伴奏した。やはりネクセラリアの祝歌の力は凄い。無意識に抑えつけていた暗い感情が溶かされて消えていく。
始まる前は傍で見ていたフレンヴェールのその優しい眼差しを疑っていたけれど終わる頃にはそんな気持ちは微塵も無くなって。
祝歌を歌い終えて倒れ込むネクセラリアを抱えるフレンヴェールにやはり私は何の疑問を抱かず、『良い音色でした』と私に微笑んでネクセラリアを抱えて歩いていくフレンヴェールの後ろ姿を見送る。
良い音色でした――私はその言葉を何度も脳内で繰り返しながらその場に一人倒れ込んでその日はそのまま眠ってしまった。
こうして、私とフレンヴェールが婚約してから2年の月日が経過した。
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