第2話 アルマディン家の一人娘
コンカシェルがモーベット卿に見せた可愛らしい声、雰囲気、笑顔――それらは私がどれだけ頑張っても手に入れられないものだった。
日常生活や統治において、それらはさして重要なものではない。だけどこの学園生活内における伴侶探しにおいて、それらはとても重要だった。
それらを持っていなかった私は哀れな道化となり、その結果強い劣等感を植えつけられる事になってしまった。
私はいずれ侯爵になる身。公務を補佐する伴侶は有能であってほしいし自分で選びたい、という意思があって伴侶探しをしていたけれど、この学院を卒業したら親が決めた男とお見合いなり婚約なりしなくてはならない令嬢も多い。
その令嬢達の中には親が選んだ相手ではなく自分好みの伴侶を見つけたいと思う人間も少なくない。結果――奪い合いが発生する。
中等部の頃は噂なんて無かった。目を付けた令息とさり気なく少しずつ交友を深め、そろそろ話を切り出してもいいかと思った頃その令息から『別の令嬢から告白された』と笑顔で報告され、費やした時間と頑張りが無駄に終わった事が5度程あった。
どんな令嬢に告白されたのかと調べてみれば皆、可愛らしい娘達ばかりだった。
異性の奪い合いにおいて女性は可愛らしい声や雰囲気、笑顔は圧倒的強さを発揮するのだ。
(私が目を付けた男に手を出した下級貴族の女を1人2人脅しておけば、その後私が声をかけた男にちょっかいを出すような女はいなくなっただろうけど……)
それをすればまた別の噂が立っただろうし、そんな事で侯爵家という権力を武器に弱い令嬢を脅し潰しにかかるのはマリアライト家及び私の方針に反する。
それに向こうはけして私に対して喧嘩を売っている訳ではない。ただ、
だけど――敵わないのだ。いくら私も容姿端麗と言われても庇護欲唆られる愛らしい令嬢達に対して『ウィーちゃんって本当、女王様って感じだよねぇ……!!』と言われるような私は儚く可愛い女には敵わないのだ。
髪を伸ばして、流行りの服装や装飾品を取り寄せて、メイクにも気を使ったりして――色々頑張っては見たけれどこの6年間、殿方から熱を帯びた眼差しを向けられた事は一度たりともない。
もはや私に『容姿端麗』だの『お美しい』だのかけられる言葉は、私の『侯爵令嬢』という立場に気遣っての社交辞令ではないかと思う位に私の心は折れかけている。
でも、折れる訳にはいけない。モテないから心折れる女なんてマリアライト家の恥だわ。
スカートのポケットから折りたたみ式の小さな手鏡を取り出して顔を覗き込む。けして醜くはない。だけどキツイ目つきと全体的にキリッとした顔つきがマズいのだろう。自分の事ながら、可愛いとか守りたいとか思わせるようは要素が一切ない。
「もー、ウィーちゃん!置いていかないでよぉ!」
またうるさい美少女がやってきた。さっき彼女を抱きとめた赤紫は学科が違うから青紫だけ傍に控えている。
「何でウィーちゃんモテないのかなぁ? こんなに素敵なのに……!」
鏡を見てため息を付いていた私を見ていたのだろう。隣の席に座って肘を突いた両手に小さな顔を載せて困ったように私を見つめる。
この令嬢をじっと観察してみると、いかに自分と違うかを思い知らされる。
彼女の隣で彼女を熱を帯びた青紫の目で見つめているヴォルテール卿と先程彼女を抱きとめた赤紫のモーベット卿は私がこの学院に入って早々に目をつけた男達だ。
私が下調べをして声をかけた数日後にはこんな状態になっていた。
この放っておけない雰囲気を醸し出す儚い桃色美少女は一体どういうテクニックを使って彼らを落としたのか――聞いても「よく分からない、勝手に着いてくるの!」と困ったように苦笑いするだけなので推測するしかない。
(庇護欲……やはり男は庇護欲に弱いのかしら?)
顔から視線をそらし全体を眺め見る。灰色の地味な制服も可愛く着こなしたコンカシェルは女の私でも(この子は将来ちゃんと侯爵としてやっていけるのかしら?)と不安になる位華奢な体だ。恐らく男はこの姿を見て守りたい、とか自分がいないと、という発想になるのだろう。
「どうしたの、ウィーちゃん?」
コンカシェルは無表情で見つめる私に嫌悪感を示す事無く、可愛い笑顔で首を傾げてくる。私だったらこんな風に睨まれたら内心(何睨んでるのよ)と毒づきそうだけれど、この子は多分そんな事微塵も思ってないんだろうなと思わせる。本当にそう思っているとは限らないけれど。
「……シェリー、貴方の足、また変な呪いがかかってるけど……暗い緑色に心当たりは?」
見つめている内に足元にうっすらと暗い緑色のモヤが見える。それは魔力を使った呪術だとすぐに分かった。
この世界の人間は皆誰しも色のついた魔力を持っている――暗い緑色の魔力を持つ誰かがコンカシェルに呪いをかけたのだ。
「えっ……? どうりでちょっと足が重いなって思ったわ!」
「えへへじゃないわよ、もう……ちょっと左足触るけどいい?」
「うんっ!ありがとう!」
勢いよく左足を差し出すコンカシェルの屈託のない満面の笑顔は、きっと男が見れば何度も思い返すような宝物になるのだろう。
この子とは6年前――ヴァイゼ魔導学院の中等部入学当初、あまりに多くの女の生霊に取り憑かれたり呪いをかけられているから見かねて解呪してやったら懐かれた。
隣の領の次期侯爵、仲良くするに越した事はないと思って色々思う所はあるけれど付き合っている。
今コンカシェルにかかっている呪いも傍目には気づかれにくい、多少呪術を齧っている人間の呪いだ。まあこの程度の隠蔽、私の前では何の意味もないのだけど。
左足にかかる暗い緑のモヤに手をかざし、自分の――紫色の魔力を練り上げて言葉を紡ぐ。
「
呪術を解除する際はその強さに応じて魔力を消費する。今回の呪術はかなり強い怨念が籠もっていたのだろう、けして少なくない魔力を持っていかれる。
正直、今ここで生霊や呪いを浄化したとしてもいつかこの子は生身の女に刺されるのではないかと若干心配になる。
「ありがとう!ウィーちゃんこんなに優しいのに何でモテないんだろ?」
「……そう思うならヴォルテール卿かモーベット卿のどっちか譲ってくれない?」
この魔導学院にいる男で何とか私と肩を並べられそうな人間は今朝の男で最後だった。しつこい言葉への嫌味でもあったけれど正直なりふり構ってられなくなった焦りがポロッと零れ落ちる。
「え……譲るって、結婚、って事……? 男女的な意味で?」
「そうよ、私が有能な伴侶を探してる事知ってるでしょ? マリアライト侯爵の伴侶にふさわしい、気品と魔力と性格と知性と容姿の一定の水準を満たした男……」
マリアライト家は紫の魔力の家系だ。私の魔力もやや濃いめの紫色で、だからこそ跡継ぎとして育てられた。当然私の子どもも、『紫色と呼べる色の魔力』でなければならない。
子の魔力の色は親の色が混ざり合い、妊娠した時点で殆ど決まる。その為伴侶にも紫あるいは紫に近い色の魔力――あるいは彩度に影響しない薄灰や濃灰の魔力を持っている人間でなければならない。この様々な魔力の色の人間が多く混在する学院の中でその条件だけで約10分の1に絞られる。
その中でもコンカシェルの背後にいる2人の取り巻きは一定の水準を満たす優良な男達なのだ。もらえるものなら欲しい――私の切実な願いにコンカシェルは困ったように首を傾げた。
「うーん…………でも、結婚って相手の気持ちもある事だから……好みもあると思うし……2人共ウィーちゃんみたいにキリッとクールビューティーな美人さんは好みじゃないんじゃないかなぁ……? ねぇ、ヴォルテール君?」
「そうですね。例え愛のない政略結婚でも一生を共にするのならせめて見た目は好みの女性であっ」
ギロリと睨むとヴォルテール卿は黙り込んだ。コンカシェルはまだ首を傾げている。結局、可愛いとか何でモテないんだろ? とか言っておきながら本心では私を馬鹿にしているのだろう。
「うーん……私が男だったら喜んでウィーちゃんのお婿さんになるのになぁ……私、こんなにウィーちゃんに色々助けてもらってるのに、全然力になれない役立たずでごめんね……?」
目を潤ませて本当に申し訳無さそうに見つめてくる。今の話の流れで一体何をどうすれば目が潤ませる事ができるのか、私には全く理解できない。
「もういいわ……今のは聞かなかった事にして。貴方が侯爵になった後こっちの領地に一切迷惑かけてこなければそれでいいわ」
「分かった、私、頑張るね!ウィーちゃん、お互い侯爵になっても仲良くしてね? ずーっとシェリーって呼んでくれたら嬉しいな!」
絶対呼ばない。
伴侶探しが失敗に終わって家に帰るのがかなり憂鬱ではあるけれど、この美少女とのあだ名の呼び合いから逃れられる――自分がいかにこの眼の前の美少女に比べて可愛げがないか思い知らされる日々から解放されると思えば、悪い事ばかりでもないわ。
「あーあ、もうすぐ卒業かぁ……ねぇ、ウィーちゃんは侯爵になったら
祝歌――コンカシェルの口からまた嫌な単語が飛び出してきた。
マリアライト家は今現在、広大な領地とその領地の平和を保つ為に必要不可欠なな『大魔道具』の管理を任されている。
その大魔道具の名は
災害や悪天候、事故が起きた際の民の警告にも使われる事もあるがその大魔道具の真価は祝福の念を込めた祝歌や曲を領地中に響かせ、領地全体の生きとし生けるものの心を鎮め癒やす事ができる点にある。
数年前まで3節に1回、ワイドランジスピーカーの前で現マリアライト侯爵である父が演奏していたのだけど、ここ数年は家の中で一番魔力の大きな末妹が祝歌を歌いはじめ、父が伴奏し――年に1回の演奏で領地の治安が保たれるようになっている。
だからもし私が侯爵になったら祝歌を歌うのか? というコンカシェルの質問は自然なものだった。だけど――
「……私は駄目だわ。歌唱は演奏より当人の感情が反映されるから……妹を補佐する伴奏しかできそうにない」
歌唱力そのものに自信がない訳ではない。だれど祝歌を歌う力は末妹に圧倒的に劣る。それに感情も――今私が歌ったら自領の恋人夫婦達全員破局してしまいそうだから、とは流石に言えなかった。
相手の不幸を願えば呪い、幸せを願えば祝福――元々呪いも祝福も願う方向性が違うだけで『願う』という点では全く同じもの。その願いは感情に大きく左右される。本人は祝福のつもりで願っても呪いをかけている事だってありえるのだ。
負の感情が底に溜まっている私自身もちろん、何の負の感情も抱かずにただ幸せだけを、平和だけを願って歌を歌える人間はそうはいない。
「そっかぁ……ウィーちゃんの声って綺麗だし一回位祝歌聞いてみたかったんだけどなぁ。でも伴奏してくれるなら楽しみ!祝歌の日はマリアライト領に聞きに行くね!」
「その日は朝から晩まで大魔道具の前で演奏するから会えないわよ」
「それでもいいの!ウィーちゃんの演奏が聞けるだけで幸せなの!あーあ、本当私がお婿さんになれたら、ずっとウィーちゃんの傍で歌や演奏聞けるのになぁ……!」
明るく可愛く微笑むコンカシェルにはかなり迷惑している部分もあるけれど、こうやって自分を認めてくれる所は本当のような気がして――まあ、社交辞令で本心は違うのかもしれないけれど。
それでも、この失礼な美少女を心から嫌いになれないのは私も既にこの子に心の隙間に入り込まれているからなのかもしれない。
(まあ、卒業してしまえば毎日顔を合わせる事はなくなる訳だし……)
卒業――その二文字が改めて頭を過る。
入学当初はこの学院にいる間に私の片腕となるふさわしい伴侶を見つけたい――と思っていたのだけれどその点だけ全く上手くいかないまま、私は卒業の日を迎える事になった。
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