第33話 幸せを願う家族達・3


「妹を……ネクセラリアを元に戻してください……!!」


 妹が異質な物に成り果てた恐怖に先程の怒りさえ凍りついて、私はヴィクトール様の両腕に縋り付いて叫んだ。だけどヴィクトール様は小さく首を横に振って拒絶の意思を示す。


「戻した所で彼女が不幸になるだけです。私は彼女を元に戻したくありません」

「そうよお姉様、私は今の私が好きなの。嫌な感情も悪戯心も抱かない今の私が大好き! 私をこんな風にしたお父様にも早くに亡くなって皆を悲しませたお母様にも私を辛い目に合わせたお姉様達にも大好きだったアスター卿にも嫌な感情を抱かない今の私が大好きなの!」


 負の感情を無くした妹の言葉が、グサリグサリと心に突き刺さっていく。縋る腕がズルズルと下がり、その場に崩れ落ちた頃にはマロウ伯がメイドを呼んでネクセラリアをここから遠ざけていた。


 ネクセラリアの声が段々遠くなり、聞き取れなくなった頃、最大の疑問を問いかける。


「ヴィクトール様……フレンヴェールの愛を私に向けたというのは……」

「言葉通りです。彼は先程の貴方と同じように私に対して非常に目障りな感情を抱いていました。それを恐怖心に置き替えるついでにネクセラリアの願い通り貴方を愛するようにしただけです」


 顔を上げる程の気力が沸かなくて、俯いたまま問いかけた言葉に残酷な言葉が返される。分かっていた。フレンヴェールのこの方に対する敵意を悟られたら何かしらの罰を受けるだろう事は。


 だけど、ヴィクトール様――その罰はあんまりではなくて?


「私は、偽物の愛なんていらない……! そんな事してまで彼を手に入れたかった訳じゃない……!!」


 無理矢理愛情を植え付けて愛を囁かせた所で――そんなの、私が、一番嫌だった事じゃない。

 無理矢理言わせても何も嬉しくない。虚しいだけ、惨めなだけ。それが分かっていたからこれまで呪いの中に想いに関する呪いがあってもフレンヴェールに対して使おうとはしなかったのに。


「偽物ではありませんよ。アスター卿がネクセラリアに向ける愛の対象を貴方に切り替えて愛の大きさを固定しただけで強引に疑似感情を植え付けた訳ではありません。ただ、私が操作できるのはあくまでも『感情』だけでして……理性がそれに馴染むまでは抵抗もあるかと思います。それでも今のアスター卿は貴方に焦がれているのは間違いない」


 その、感情そのものを弄った言い方――呪術を遥かに超える神の力に言葉を失う。崩れ落ちて未だ顔を上げられない私の傍で、また別の声が聞こえた。


「……ウィスタリア様、ウィルフレド様の所に行きましょう。誰か、ヴィクトール様を応接間に」


 私の前に手が差し出され、マロウ伯の声が落ちてくる。そのマロウ伯の声は冷たく、私に対してではない何かに対する怒りが隠れているのが感じ取れた。


 マロウ伯手を借りてゆっくりと起き上がり、震える足で歩き出すと背後からヴィクトール様の声が響いた。


「義姉上……ネクセラリアはともかく、アスター卿に関しては貴方が望むなら元の彼に戻しましょう。ただ心はとても繊細な物なので操作した後すぐ再操作する、という事はできません。1週間ほど様子を見て頂けますか? それに今なら貴方が何をしてもアスター卿の愛は消えませんから、今のうちに恨み辛み打ち明けてみるのもいいかも知れません。今の彼なら貴方の言葉を心から受け止めて反省し、泣いて貴方に縋り付いて愛を乞うと思いますよ」


 ヴィクトール様の声は穏やかだった。ただ私の方に返答する気力もなく、マロウ伯と共にその場から離れた。


 彼に対しての想いが散ってしまっている今、彼に泣いて縋り付いてこられても――


 そこに続く言葉が浮かばないままお父様の部屋に入り、お父様が横になっているベッドの傍に置かれた椅子に座る。


 お父様はどうやら眠っているようだ。息も浅く、ネクセラリアの言う通りいつ亡くなってもおかしくない位すっかり痩せこけてしまっている。手なんてもう骨に皮が張り付いているだけのよう。

 その手を力なく握ると、まだほんのりとした温かさを感じた。


『ウィスタリアか……?』


 頭にお父様の声が響く。お父様の目が微かに開いて――微笑んでいるように見えた。


『もうお前には会えないと思っていた……私の事も家の事も、もう何も気にしなくて良い。ネクセラリアが壊れたのも私のせいだ……』


 悲痛な声と目から零れ落ちる涙も心に刺さる。お父様の涙を見たのはお母様が亡くなった時以来。

 ネクセラリア――あの子を生み出してしまったのは父。でも、あの子をあんな風にしてしまったのは私――


 私が何もかも飲み込んでもう少し早く戻ってきていればあの子は壊れなかったのかしら? フレンヴェールもあんな感じになってしまったのかしら?


 フレンヴェールはずっと前からネクセラリアへの愛を貫いていたのに――二人の愛を私が歪めてしまった。


 私がもっとしっかりしていたら、私が初恋に見切りをつけられていたら。私が恋や愛に心乱されるような人間でなければ――今こうしてお父様が嘆くような事にはならなかったのに。


 粒になった涙が目からボロリボロリと溢れ落ちて、ベッドのシーツを濡らしていく。あの時のように癇癪を起こす気こそ無いけれど、この涙も抑えられそうにない。


「お父様、ごめんなさい……」


 あの時の私はもう限界だった。あの時も今も涙を零す事を抑えきれない私はきっとお父様のように良い侯爵にはなれないのだろう。


 それでも――私はお父様の後を継ぎたい。このままマリアライトの名を消えていくなど、マリアライト家の後継ぎとして育てられた私自身のプライドが許さない。


『ウィスタリア、お前が謝る事はない……これまで、本当に……何もしてやれなくてすまなかったな……こんな私がリラに会いに行っても良いのだろうか……』


 お父様の弱々しい声に手をぎゅっと握る。お父様が亡くなったらもうすぐ私は何処にも縋れる相手がいなくなる。支えてくれる人間にあまり負担をかけないようにもしなければならない。今、亡くなろうとしているお父様にも心配をかけてはいけない。


「……お父様はこれまで私達の為に色々してくださいました。どうか何を悔やむ事もなくお母様に会ってください……後の事は、全て私が何とかいたしますから」

『もういい……もういいのだ、ウィスタリア、私は、お前達さえ幸せなら……』


 お父様の声は最後まで優しい。優しいからこそ私の意識は鮮明になっていく。


「いいえ、よくありません。私が、何とかしたいのです。何とかしなければならないのです。私はお父様の娘……マリアライト家の人間ですから。私自身がこの家を継いでお父様が守ったこの地をより素晴らしい地にしていきたいと思っているのです。それをなくして、私は幸せになどなれないのです」


 微かに震えるお父様の手――この手を握ったのなんて本当、いつぶりかしら?


 過去を掘り返してみてもお父様がアザリアやネクセラリアと手を繋いでる姿しか思い出せない。


 それでもお父様が静かに目を閉じる直前――微かに、微かにお父様と手を繋いでいた小さな頃の記憶を思い出せた。



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