第10話 愛嬌も愛想も


 よく晴れた空の下、鮮やかに彩る様々な紫の花が見渡せるガゼボの中でフワフワの薄紫の髪と大きく綺麗な瞳を持つ少女が私を見上げて微笑んでいる。


『ねえさまぁ、お歌うたってー』


 ああ、これは夢だわ――このネクセラリアを見る限り、ずっと昔の夢。ネクセラリアが小さい頃、よくこうして館の庭の、柔らかな風が吹くガゼボで歌ったり絵本を読んであげていた。


 夢と気づいても私が宿る体は自由には動かせず、私の意志とは関係なく歌を歌いだした――が、歌は何故か私の耳には響かない。何故かしら? 自分の声だから? 夢だから?


 ただネクセラリアには私の歌はちゃんと聞こえているようで、少し悲しい顔をした後に私の真似をして歌いだした。


(あら、もしかして、この夢は……)


 体力こそないから小さな声だけれどその愛らしい容姿に相応しいとても綺麗な声が耳に響き、私は歌うのを止めた。

 そうだ、このネクセラリアが初めて魔力を込めて歌った祝歌は柔らかい優しい声はもうすぐ母を失うのだと嘆く私の心を暖かく包んでくれたのだ。


『おとうさまやねえさまが辛くて悲しいときは、私がまたうたってあげる!』


 そう屈託なく笑うこの子に助けられたのだ。


 そして初めての祝歌に慣れず咳き込む妹に無理をしないように声をかけ、そっと頭を撫でようとした所で幼い妹は霞のように消えて視界が暗闇に霞んでいく。



(待って、もう少し、もう少しだけ夢を……)



 夢が完全に闇に消えた後、微かな光と鳥のさえずりが聞こえてくる。


 目を開けば、見慣れない部屋――そうだ、コンカシェルの爵位継承パーティーから館に戻る途中の宿だ。


 今見たのは本当に夢だったのだ。父親を亡くしたコンカシェルを見て、お母様が亡くなる頃の記憶が疼いたのかもしれない。少し膝をあげた所に頭を乗せて、ぼんやりと薄紫色のシーツを眺める。


(……どうせならあの後会う14歳のフレンヴェールも見たかったわね……)


 そう、あの日は私達に挨拶する為にガゼボを訪れたフレンヴェールと出会う日だ。お母様が亡くなる数日前。私がお母様の体調が良くなるように楽に天国に行けるようにと――と祈りを込めて歌を歌い、それを真似したネクセラリアが初めて祝歌を歌った日に私とフレンヴェールは出会った。


 あの頃は神様が優しいお母様がいなくなる私を哀れんで王子様を連れてきてくれたのかと思う位、素敵で優しい王子様――という印象を抱いたけれど今、過去の夢として年下となった彼を見たら初々しい、一生懸命で優しい王子様、という印象を抱きそうだ。


 二度寝すれば見られるかしら? 微睡まどろむ感覚はもう一度寝れば夢の中へまた誘ってくれるだろう。全く別の夢かもしれないけれど。


(……これから館に帰るというのに、悠長に寝てられないわ)


 遅れれば遅れるほど館に着くのも遅くなって、皆に迷惑がかかる。


 今見れなかったのは残念だけど、いつかあの時の彼と夢で会えるかもしれない――なんて、少しくすぐったい気持ちを抑えながらベッドから起き上がった。



 そんな温かい気持ちはウェノ・リュクスへの向かう帰りの馬車内で儚く消える。



「……ウィスタリア、お前はやや感情表現に乏しく、使う色や服の傾向から冷たい印象を与えやすいのが難点だ。色も服もどうしようもない以上、もう少し愛想を意識しろ」


 パーティーで合流してからずっと苦々しげだったお父様が帰りの馬車の中でようやく口を開いてくれたかと思えば、私の態度に対する苦言だった。


  似合わない色や服を着ても誰も得をしないし、残る改善法は愛想――そう苦言をていされる理由はわかる。確かに昨夜の私の態度はいただけなかったと思う。だけどそんなふうに言われたら反骨心が湧き上がる。


「何を今更……侯爵たる者、感情を悟られてはいけないと口煩く言っていたのはお父様ではありませんか」


 マリアライト家の後を継ぐ者として、また長女として、しっかりしろと言われ続けてきた。呪術師の家として色眼鏡で見られる事があっても一切恥じる事もなく堂々としていろ、ナメられてはいけない――とも。


 そう言われてきたから頑張ってきたのに、今更『下手にでて相手の機嫌を伺え』と言わんばかりの事を言われても戸惑うしか無い。


「お前は真面目で何でも極端に受け取ってしまう傾向がある……言い過ぎたと後悔している。普段のネクセラリアとお前、そして昨日のアルマディン女侯とお前を見比べて愛想も大事だと痛感した。お前には愛嬌がないのだから、これからはもっと愛想を意識しろ。女が上手く統治していく為には愛想も必要だ。こほっ……」


 咳払いなのか咳なのかわからない微妙な咳をされた後、小さくため息をつかれる。愛嬌は持って生まれた愛らしさ。愛想は相手に不快な思いをさせないように振る舞う配慮から生まれる好ましさ。


 実の娘に対して持って生まれた愛らしさがないとは――事実とは言えなかなか心に刺さる事を言ってくる。


「……いえ、ウィスタリア様は無理に愛想を意識しない方がよろしいかと」

「そ、そうかしら?」


 私が父の言葉に傷ついたのがハッキリ分かったのだろう、フレンヴェールが苦笑いして言葉を挟んだ。フレンヴェールが私のフォローをしてくれたのが嬉しくて少し眉間の力が緩むと、


「ええ。貴方は威厳があります。下手に相手に配慮し慮る行動を取れば、逆に不安に思う人間も出てくるでしょう。誰にも媚びずに堂々としていらっしゃった方が民も付いていくでしょう。コンカシェル様に愛嬌も愛想も叶いませんが、ウィスタリア様にはウィスタリア様の武器があります」


 お父様が刺してきた棘をグリッと抉られる。駄目よ、ウィスタリア。フレンヴェールは事実を言っているだけよ。コンカシェルに敵わないのは自分自身分かっている事じゃないの。


 フレンヴェールはただ、私に確実な道を示しただけ。


 私は愛嬌も愛想もない女なりの武器を持っている――そう言われただけじゃないの。


 でもそれって――フレンヴェールも私に愛嬌も愛想もないって言ってるようなものじゃなくて? フレンヴェールも、お父様も、一切フォローしてくれないサロメも。



 ねぇ、ウィスタリア。私ってそこまで言われなきゃいけない程の存在なのかしら?



 自分の愛想や愛嬌の無さを自分に問いかけても否定できる程の自信も、言い返す気力も、もう私自身にも残ってはいなかった。


 私の心境など知らずにお父様は『ヴィクトール様と話してみたがやはり人となりが掴めない』と話題を変えていき、馬車内での居心地の悪さは少しずつ薄れていく。



 こうしてアルマディンの爵位継承パーティーから馬車で2日かけてマリアライト邸に戻るなり、ネクセラリアが目を潤ませて私達を出迎えた。



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