竈食いの太刀
藤咲メア
竈食いの太刀
長年風雨にさらされ、継ぎ接ぎだらけの衣を纏った流人風情の男が、晩秋の野原を歩いている。日は西に傾き、空を赤く染めながら山の端にかかっている。東を見れば、海が広がる。その海の向こう。空気が澄み、よく晴れた日には紀伊の国が見えるという。
男はふと立ち止まって、海の向こうを眺めた。日の傾いている今はもう、海向こうの島は見えない。
それからまた歩き出そうとした男の背に、ズブリと、一本の矢が突きたった。男はそのまま、どうっと前に倒れた。
しばしの間を置いて、茂みをガザガザと掻き分ける音と共に、五人の、いかにも野盗然とした者共が現れた。その小集団の頭目らしき男が、つっと前に進み出て、倒れた男の背を弓の先で小突く。
「やれ、死んだか。だが金目のものは持ち合わせてなさそうだぞ」
狙うべき獲物ではなかったかと、いささか落胆した様子の野盗共が、元来た道を戻ろうとしたその時、茂みから小柄な影が一つ、飛び出してきた。その姿を認めた一人が「あっ」と声を上げる。
「夜叉だ」
そう言った時にはもう、声を発したひとりは血飛沫を上げて事切れていた。
残った四人は血相を変えて、三人は鞘から刀を抜き、一人は後方で弓を構える。
「二刀の
先ほど、男を弓で小突いた先頭の男が、口から唾を飛ばして叫んだ。
なるほど、確かにその小柄な影の正体は女であった。まだ少女とも取れる体躯をしている。そして、左右の腰帯には刀がそれぞれ一本ずつ。ただし今は、左は鞘のみ。中身は今、女が握っている。
「もう一本は決して抜かぬという噂は本当らしい」
先頭の男が、こちらに刀を構えたまま動かない女を検分するように眺めた。
先ほど射殺した流人風情の男に引けをとらぬほどボロボロの小袖を纏い、結われていない黒髪はひどいくせっ毛で、こちらを睨みつけているその眼光ときたら、あまりに恐ろしい。しかし、バサリと乱雑に伸びた髪とその小柄な体躯のせいで、毛を逆立てて威嚇する野良猫のようだった。どう例えようとも獰猛な狼ではない。
「どれ、相手してやろう」
そう、先頭の男が言い切る前に、女夜叉はダッと前に動いていた。
流派も何もあったものではない。獣のような刃が振るわれる。彼女が二の太刀を振るまでもなく、先頭の男は頭部から血を吹いて倒れた。次いで矢が放たれたが、女夜叉は刀を振るってそれを叩き落とす。そうした時には、残る二人が左右から斬りかかってくる。そこを、女夜叉は宙に飛んで交わした。突然、目標が視界から消え失せたと見えた二人は、止まることもできずに互いに切り結ぶ。
一方、宙へ逃れた女夜叉は、受け身を取りながら地面へ転がり落ちた。落ちて転がった先で、弓取の視線とかち合う。地面から、女夜叉に睨めあげられる格好となった弓取は、喉の奥で短い悲鳴を発し、神仏でも前にしたかのようにその場にひれ伏した。
「頼む頼む殺さないでくれ、俺あまだ死にたくね」
むくりと、身を起こした女夜叉は、命乞いをする弓取を今度は見下ろした。
その背後に、先ほど女夜叉を討ち損ねた二人の野党が此度こそはと斬りかかる。女夜叉は刀を握る手に力を込めるや、振り向きざま、一刀のもと、二人を斬り伏せた。
そうして再び、命乞いをする弓取の方へ向くと、もう彼の姿は遠い彼方だった。それを追いかけようとした女夜叉の背に、「もし」と声がかけられる。女夜叉はびくりと肩を震わせ、声の主を探った。
「もし、あなたが、
声の主が。
背に矢を生やし、地面へ倒れ伏していた声の主が、何事もなく、女
夜叉の視線の先で立ち上がる。後ろに手を回して、矢を引き抜く。
野盗に射殺されたはずの、流人風情の男が。
女夜叉はじっと、男を睨みつけた。彼女の背後の空はいよいよ燃えるように赤くなっている。この世を照らす火輪が、落日と化してもなお、最後の足掻きとばかりに己の存在を空に焼き付けているかのように。対して、男が背を向ける東の海は、金波を散らしながら、夜の帳を穏やかに受け入れつつある。
男の問いに、女夜叉は果たして。
「嗚呼」と返答した。
男は、「そうか」と顔をほころばせた。そして、地面の上へ正座すると、両手を顔の前で合わせ、目を閉じた。
「なれば、その太刀をもって私を殺せ」
澱みなく発せられたその言葉に、女夜叉はさして驚いた様子も見せない。そして刀を突き立てる代わりにこう問うた。
「なればお主は、
男は、何も答えない。
「時折、お主のような者が私を訪ねて参る。そして我を斬れと申すのだ。この竈食いの太刀で」
女夜叉は、右手に抜き身の太刀を握ったまま、右の腰帯に差した刀の柄に左手をかけた。そして、シャンと、抜き放った。妙な太刀である。二尺半のその刀身には幾重にも包帯が巻かれ、その包帯には小さな文字で何かしらの文言が書き綴ってある。
「不死者とは、なぜかように死にたがるか」
二刀の刀を携えて、女は不死の男へ向かってさらに問いを投げかけた。
「ないものねだり」
不死の男は、念仏でも唱えるように答えた。
「寿命ある者もない者も皆同じ。人の本能よ」
そのあとも男は何か言い続けているようだったが、よくよく耳をそばだててみると、今度こそ本当に念仏を唱え続けているのであった。
「あい分かった」
女夜叉は、先ほど野盗共を斬り伏せた時とは全く対照的に、いっそ優雅とも言える足運びで、念仏を唱える男の前へと立つ。そして、都の白拍子が舞いを舞うかの如く、それはそれはしなやかな動きで、二刀を斬りあげざま交錯させた。男の、念仏を唱える声が、フツリと切れた。
それっきり。
竈食いの太刀 藤咲メア @kiki33
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます