君が居ない夜の
闇谷 紅
一人では多すぎて
「またやってしまった」
などと呟いたのはいつだったか。安さと手軽さでつい買ってきてしまった二人前のミートソース。台所にある出窓から見える空の色はそのソースが赤だとするならもっとオレンジ色で。
「文明の発展はすごいと感動したものだったよなぁ」
電子レンジでパスタを茹でる容器の登場で時間がない時の夕飯はすっかりパスタが多くなってしまっていた。パスタソースや乾麺の安売りを見かければまとめ買いは確定だ。だからこそ「つい」習慣で買い物かごに入れてしまったパスタソースが今台所のテーブルの上にぽつんと置かれているのだ。
「一人じゃ持て余すな、これは」
苦笑しつつちらりと見た壁。あの時のまま写真の中で年も取らずただ笑っている彼女が半分食べてくれるわけもなく。かといって一度開封すれば日持ちしないのがこう言ったものだ。
「おひとり様用買って来るべきだって途中までは分かってたのにな」
買い物かごをぶら下げてスーパーを歩く中、ふと君の声がした気がした。そう、気がしただけなのだ。
「パスタソース少なくなっていたから、買っていこうよ」
「あ、そっか」
そうしようと答えた過去の自分と同じ行動をしてしまったのは、あの日君と行ったのと同じスーパーだったからか。
「買ってきてしまったなら、仕方ない」
過去から今に戻って来て大き目の鍋に水を張る。電子レンジでもできはするが、今日は鍋で乾麺を茹でる気分だった。電子レンジにはレトルトのミートソースを半分だけ温めてもらうことにする。
「塩はいいか」
パスタを茹でるならお湯に塩を入れるのが正しのかもしれない。だが、君はいつも塩を入れなかった。
「うちでは塩は入れないの!」
一度目は塩を入れ忘れた言い訳だったのか、あるいは本当に実家では塩を入れていなかったのか、今となってはもうわからない。とりあえず水を張った鍋を火にかけて。
「タバスコはいらない」
君がそう言ったから台所にタバスコは置いておらず、粉チーズは切らさず常備している。今ならどちらも自由にできるというのに、不思議なモノだと思う。
「さてと」
薄汚れたタイマーを小物入れからつまみ出し、腕を組んで火にかけた鍋を見つめる。にらめっこしてもすぐに湯は沸かないけれども。
「暇だ」
結果的に時間を持て余し、独り言が口をつく。話し相手が居ないというのはさみしいものだ。君の写真を見て話しかけることも増えた気がする。
「何か新しい趣味でも作ってみるものかな」
昔は時間を忘れて熱中することがいくつもあった気がする。今では途中で投げ出してしまってこうして手持無沙汰をしているのだが。
「ふぅ」
コンロの火が揺れる。どこかで鴉の鳴き声がする。出窓から差し込むオレンジの光が汚れたテーブルクロスのかかったテーブルを染めた。テーブルクロスは変えようと何度か考えたこともある。だが、君と選んだテーブルクロスを変える気には結局なれなかった。
「汚部屋ってのはこうして出来てくものなのかもな」
思い返せば捨てられないものの大半には記憶の中の君が居る。壊れて動かなくなったものなんて他人が見れば粗大ごみだろうに。
「そうして、断捨離の対極に居るのだ」
嘯いてみるが一人では何の反応もかえってこない。
「あ」
それからどれだけ立っただろう。気づけばボコボコと鍋の中のお湯が沸騰していて。
「パスタ、パスタ、……使いかけはどこだったか」
慌てて周囲を見回し、封のきられたジップつきの袋を探す。同じメーカーのものを買い込んで同じ場所に置いておくものだから、わからなくならないように大体一番上に置いておくのだが。
「そっか、こないだ使い切ったんだった!」
記憶の中をひっかきまわして袋を捨てたところまで思い出すと、賞味期限を確認して一番足の速いものの袋を開けた。
「五回分か」
開けた袋の中身はご丁寧に一人前ごとに括られていて、それが五つ。君といた時なら奇数というのは必ず半端に余って「使い切る」という状況が発生しなかった。
「ミートソースと逆だな」
正直麺が使い切れることに嬉しさはほとんど感じない。うっかり使い切ったことを忘れてしまうことを考えたなら。
「それはそれとして、パスタを投入してしばらくしたら――」
余ったソースの使い道でも考えようと思う。湯で時間のすべてをパスタに付きっ切りで見ている必要もない。吹きこぼれない程度には視界にいれておくつもりであるけれど。
◇◆◇
「うん」
正直アレンジレシピの域を出ないと我ながら思う。冷蔵庫やそのほかの食材を確認して思いついたのは、二種類。チーズと残りモノのごはんでなんちゃってドリアを作るか、ご飯の代わりにパンを使ってピザトーストもどきを作るか。
「あちらではパスタソースの残りをパンで拭って食うって聞いたし」
パンの方も相性的には悪くない気がする。そちらはまずパンの片側にミートソースを塗りたくってとろけるチーズをちぎって散らし、オーブントースターに後はお任せするだけだ。好みの具材を加えることもできるだろう。
「っと、時間だな」
そうこう思い浮かべているうちにタイマーが鍋を見ろと言う。夕飯の時間までは残りあと僅かだった。
君が居ない夜の 闇谷 紅 @yamitanikou
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