第19話 生葉先輩は可愛い先輩ですから

 お盆過ぎ、サークル帰りに松隆と烏間先輩とご飯を食べていたとき。


「おつかれさまでーす」

「お? おつかれ」


 紘と茉莉と沙那が同じお店に入ってきて、烏間先輩に挨拶をした。つられて私達も顔を上げ「あ、おつかれ」「おっす」「おつかれさまー」なんてやりとりをした。沙那が「松隆くんじゃーん!」と黄色い声を上げたけれど、松隆は「お疲れ様です」と貼りついた笑顔で流した。


「大宮と津川はあれだけど、富野は珍しいな」烏間先輩が奥に案内された3人に視線を向けながら「仲良かったっけ」

「合宿で仲良くなったみたいですよ。紘の地元と、茉莉が昔住んでたところが近かったとかで」


 その話は紘から聞いていたので、平静を装うことは簡単だった。


「へーえ……」

「大宮先輩と津川先輩はもとから仲が良いんですっけ」

「2回生になってから、まあまあ仲良いよな」

「まあ……そうですね」


 沙那と紘が出かけることに一抹いちまつの不安はあったけれど黙っておいた。


「松隆、津川の苦手は克服したのか?」

「あの苦手、克服する必要あります?」

「違いない」


 お腹でも抱えてげらげらと笑い出しそうな様子だった。私も、沙那に聞こえていないのをいいことにちょっと笑ってしまう。


「なにがそんなに苦手なの?」

「え、顔ですかね……」

「こっわ! 女の先輩の顔が苦手とかいうの!?」

語弊ごへいがありました、言い方を変えます。あの品のない顔つきが苦手です」


 沙那たちが座った席を見ようともせず、松隆はしかめっ面をした。


「なんというか、人のステータスに食いつくタイプな気がするんですよね。出身とか、家柄とか、将来性とか。選民思想が透けて見えるっていえばいいんでしょうか」

「今の彼氏も医学部だし?」

「彼氏が医学部なのか、医学部だから彼氏なのか、難しい問題ですね」

「でもステータスを高めるのは異性にとっての自分の価値を高めたいからだろ? 別にいいんじゃね、ステータスで付き合う女でも。当人が納得してるなら」

「それでも、僕は品がないと思うのでイヤです。まあ、他にも色々とありますけど……ただの好みの問題ですよ」


 ふーん、と頷きながら店の奥に視線をやった。四人掛けのテーブル席で、紘と沙那が隣同士に座り、紘の前に茉莉が座っている。松隆の言うことは分からなくはなかったけれど、どちらかというと、沙那の彼氏がコロコロ変わることのほうが私は心配だった。彼氏がコロコロ変わるということは、それだけモテるということだから、紘が沙那と仲良くなって、沙那を「いい」と思う可能性はなくはない。


 ただでさえそんな懸念があったのに、最近、紘は茉莉とも仲が良いのも懸念事項だ。特に、紘が茉莉の(少なくとも)容姿を気に入っているのは事実だ。


 とはいえ、「可愛い女の子が出てくるたびに嫉妬するのか」なんて自問すれば、嫉妬に近い心配は少し大人しくなる。そんな嫉妬が格好悪いだけではなくて、非常に馬鹿馬鹿しいものであることは分かっていた。


「さーて、松隆、飲みに行こうぜ」

「いえ、今日はやめときます」

「空木は来るぞ」

「何も言ってないじゃないですか。行きませんよ、この後、紘が来るらしいんで」


 紘がお店に着く前、LINEにそう連絡が入っていた。まさか沙那と茉莉と夕飯を食べてから来るとは思っていなかったけれど。


「つれない後輩たちだな」

「彼女さんにでも会いに行っててください」

「いま合宿中なんだよなあ」

「彼女に遊んでもらえないから後輩わたしたちに遊んでもらってたんですか……」

「僕らはしょせん彼女がいない間の暇つぶしなんですね」

「急に噛みついてくるじゃん、なんなのお前ら」


 席を立ちながら、紘達のテーブルに視線を向ける。紘は茉莉のほうを向いて楽しそうに喋っていた。


 本当に、楽しそうに。そんな紘の挙動に後ろ髪を引かれながら、お店を出た。


「生葉先輩と大宮先輩って、本当に全然一緒にいないんですね」


 お店を出た後、烏間先輩とも別れた後で、松隆が不意にそんな一言を漏らした。


「……そう?」

「家とかには来るんでしょうけど。大学では一緒にいるのを見かけないなと」

「まあ……学部違うし、サークルで仲良いメンバーも違うし」

「僕とは学部も学年も違うじゃないですか」

「そりゃ松隆は可愛い後輩ですから」

「はは、どうも」

「なに今の渇いた笑い声。馬鹿にしてるでしょ」


 持っていた傘で松隆の足を叩くふりをした。


「まあ、ちょっと気になったもので」

「……気になったってなにが?」

「大宮先輩を見ていた生葉先輩の態度が?」


 図星を指されて、口を噤むしかできなかった。なんで分かった、なんて言いたかったけれど「先輩、自分が思ってるより顔に出ますよ」と言われてしまえば何も言えない。


「まあ、僕が津川先輩を無理なだけかもしれませんけど、津川先輩と仲が良いっていうのは気にかかるものがありますよね」

「だよね!?」


 思わず食い気味に返事をしてしまってから後悔した。松隆は「やっぱり」なんて笑うけれど、後輩に向かって彼氏の、しかもその後輩にとっては先輩にあたる相手の愚痴を言うなんて、先輩としてあるまじき行為だ。


「……ごめん聞かなかったことに」

「別にいいじゃないですか。大宮先輩にも津川先輩にも、というか誰にも言いませんよ」

「……そういう問題じゃないじゃん? 先輩として言うべきじゃないっていうか」

「先輩って、よく『○○であるべき』って言いますよね」

「……そう?」


 そうだとして、いま何の関係が? いぶかしめば「自覚がないのがそれっぽいです」と笑われた。


「すごく理性的ですよね。理性的に考えてどうあるべきかを模索して、そのあるべき姿から外れないように頑張ってる」

「……褒めてんの?」

「まあ、半分くらい?」けなしてはないです、なんて言いながら「でもその“べきべき論”、あんまり言い聞かせないほうがいいんじゃないですか。自分が苦しくなるばっかりですよ」


 ……松隆は、後輩のくせに、こうして偉そうなことをいう。まるで自分のほうが人生の先輩のような、そんな口調だ。確かに大人びているとは思っていたけれど、こうしてさとされると松隆のほうが年上のような気がしてくる。


「別に……、私だって潰れるほどべきべき論・・・・を言い聞かせたりしないし、適当にやってるよ。これでも結構楽観的なんだから」

「そうは見えないから言ってるんですけどね?」


 見透かしたような口ぶりで、少し長い前髪の奥にある目が、私を試すように見下ろしてくる。


「ま、なにかあったら協力しますよ。生葉先輩は可愛い先輩ですから」

「……先輩に可愛いって言うな」


 思えば、松隆が最初に“協力”を申し出たのは、あの日だった。


 浮気は一体どこからか、なんてことに思考をついやしている場合ではなかったのだ。本当に考えるべき・・はそこではなかった。


 おそらく、ささいな欲望から生じた思惑の中で、想定の範囲内の誤算ともいうべきこれまたささいな欲望が出てきて、そこに全く別の思惑が交錯してしまったのだろう。きっと、私達の関係は、その思惑に振り回されてしまっていて……それでいて、振り回される程度の関係でしかなかったのだ。

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