第17話 ……浮気されても仕方ないってこと?
学祭の最終日、模擬店での手伝いを終えて14時頃に控室に戻ると、控室にはティシャツ姿の松隆が1人、ぽつんと座っていた。扉の音に振り向いた松隆は「ああ、お疲れ様です」と、同じくサークルのティシャツ姿の私を見て、状況を把握する。
「先輩も、もう仕事は終わりですか」
「……うん。これから紘と適当に見て回る」
「まさかここで待ち合わせてます?」
だったら出ていきますけど、と言いそうな声だったので「いや、外。正門の前だよ」と慌てて付け加えた。
「ティシャツだから、着替えようと思って」
「着替えるなら出ましょうか?」
「ううん、トイレ行くから大丈夫」
奇妙な沈黙が落ちた。松隆は無言でスマホを見て時間を潰している。
「……松隆、こんなところでなにしてるの」
「人に酔ったので、避難ですよ」
「……忙しそうだったもんね」
「お陰様で」
再び、沈黙が落ちる。松隆はスマホから顔を上げた。
「先輩、僕になにか用事ですか?」
着替えもしないのに、なんでいつまでもこんなところにいるんですか? そう言われた気がして、慌てて着替えを手に取った。その様子を、松隆はじっと眺める。
「……僕、先輩に何か言いましたっけ?」
なんのこと? そう惚けたかったけれど、
「……ちょっと疲れただけ」
「……まあ、最終日ですしね。お疲れ様でした」
まるで私を送り出そうとするようなあいさつの意味を、やはり考えてしまう。
でも紘との待ち合わせまで時間はない。松隆に背を向け、控室を出た。
待ち合わせ場所へ行くと、人がごった返す中に紘はいた。紘はサークルのティシャツ・スウェットではなく、いつもどおりの私服を着ていた。あの日の茉莉とのデート服とは違って、お気に入りの服ではなかった。
「ごめん、お待たせ」
「いや全然。午前中の模擬店、どうだった?」
「相変わらず盛況だった」
何事もないかのように振舞うけれど、紘は紘で、懸案事項がある。紘は、茉莉に彼氏ができたことを知っているのだろうか。
切り出すことはできなかったけれど、少なくとも紘はいつもどおりだった。ライブを聞いていても、古本市を物色していても、展示を見ていても、その横顔や態度に変化はない。
「そういえばサッカーの模擬店、何出してるの」
「ミックスジュース。だから半分競合なんだよ」
「あれま。まあ、タピオカジュースなんて飲んだら喉が渇くし、案外ウィンウィンなんじゃない」
「それもそっか」
そんな話をしていると、紘のサークルの模擬店に差し掛かった。看板には歴代のワールドカップで使われたボールが描かれていて、メニューも「フランスM杯 いちご+ソーダ」「韓国M杯 カシス+オレンジ」「ドイツM杯 パイン+ぶどう」と歴代のW杯を意識しているのがうかがえた。
「ちゃんとサッカーなんだ」
「TKCってなんかに合わせてたっけ」
「いやー、なにも。でも今年の3回生は理学部が席巻してるから、メニューに書かれてる成分がやたら詳しい」
「客足遠のきそうだな」
「それが結構売上いいらしいよ」
松隆の顔のお陰で──と言いそうになって慌てて口を
「あ、大宮さんお疲れさまでーす」
サッカーの模擬店の中から「っす」といくつもの野太い声が挨拶した。売り子には女子もいて「おつかれさまです」と笑顔を向けてくれる。黒目が大きくて、色白で小柄な子だった。
「おー、JD、おつかれ」
「あー、この子がJD……」
紘から話は聞いていた。1回生のマネージャーで、(今日はティシャツ姿だからそうでもないけど)世間がイメージする女子大生の服装を忠実に再現しているのでJD。とんでもなく雑なネーミングだったけれど、他のマネージャーも、野球部に彼氏がいるからベースボールマン、略して「ベボマ」、マクロ経済の単位を落としたので「マクロ」……男ばっかりのサークルなんてそんなものか、なんて無理矢理自分を納得させたことがある。
「大宮さんの彼女さんですよね?」
「……そうです、はじめまして」
「お噂はかねがね、聞いております」
「めっちゃ仲良いすよね」
JD(ちゃん?)とその隣の大柄な1回生に言われて、笑ってごまかした。
「あ、コイツ、例の小野」
「あー、君が小野くん」
「え、なんで知ってんすか」
「異常な方向音痴で、先輩達に山の中に置き去りツアーをされたっていう……」
「その紹介はひどいっすよー」
他のメンバーが「ああ、例の、石田とどっちが方向音痴か賭けたやつ」「どっちが勝ったんだっけ?」と話を始めて「両方脱落だろ」と紘がその輪の中に入る。ポツン、と私が置き去りにされていると、JDちゃんに「大宮さんの彼女さん」と呼ばれる。
「ずっと聞きたかったんですけど、どうやって大宮さんと上手くやってるんですか?」
……ここ3ヶ月の私の悩みを知っているのかと思えてしまうくらい、あまりにもピンポイントな質問で、思わず笑ってしまいそうになった。同時に、紘はサッカーサークルでそんな認識のされかたをしているのか、なんて。
「どうやって、って」
そもそも上手くやれてなんかないですと答えようとして「だって大宮さんと彼女さん、めちゃくちゃ仲良いですよね」受け取り方を間違えていたことに気付いた。
「……えっと」
そういえば、さっきの小野くんの第一声だって「仲良いですよね」だった。
この子達の前で、紘は、私との関係をどう話しているのだろう。
「だって大宮さん、本当にすぐ彼女さんの話するんですよ」
内緒話のように、JDちゃんは口の横に手を当てながら、紘に視線だけを向ける。
「いいお店教えてもらったら、大体『この間彼女と行ったけど』ってついてますし。飲み会の帰りだって大体『彼女のとこ帰る』って行っちゃいますし、合宿のときもコソコソ彼女さんに連絡取ってたりするじゃないですか」
……紘が、外でどれくらい、どんなふうに私の話をしているのか、私は知らない。でも、確かに、デートのときはいつも紘がお店を調べてくれる。飲み会の帰りにうちに来るのも、合宿中に「風呂あがった」なんて時間ができたら連絡をくれるのも事実だ。
「私、前の彼氏に浮気されたんですよね」
その単語に、自分の顔が強張るのを感じた。
「だからソッコー別れたんですけど。大宮さんと彼女さんは、そういうことなくて円満そうでうらやまいしなって」
なんの含みもない、本当に羨ましがっている声音だった。
実際、いまJDちゃんが挙げた事実だけを聞けば、誰だって“仲が良いカップルだ”と思うだろう。その事実は、それでも私の彼女としての優先順位を裏付けるのだから。
ただ、その優先順位は、今でも変わっていないだろうか?
模擬店を離れた後「JDとなに話した?」紘はそんなことを言った。探りを入れる声音ではなくて、ただの世間話のようなトーンで。
「んー、なんか彼氏と別れた話」
「あー、アイツ浮気されたんだってな。ま、ろくに連絡とってなかったんだろ、仕方なくね」
「……浮気されても仕方ないってこと?」
「というか、両方とも冷めてたんじゃねーのって感じ。彼氏、東京で遠距離だしな」
浮気。遠距離。
「……遠距離といえば、茉莉、彼氏できたんだってね」
連想しても不自然ではないキーワードを拾って、昨日からずっと聞きたくて仕方がなかったことを、会話に滑り込ませた。
紘の顔色は変わらない。
「ああ、高校の同級生だろ? 昨日、津川から聞いたわ」
沙那から聞いていたのか……。それなら、いま紘の顔色が変わらないことはプラスにもマイナスにも働かない。
「びっくりだよねー、全然知らなかった」
「俺もマジでびっくりした。津川も全然聞いたことがなかったって」
「え、知らなかったの」
「富野、結構肝心なことは言わないタイプじゃん。見た目より
そんなことを言われたって、私より紘のほうがずっと茉莉と仲が良いでしょ。内心だけでそう毒づいた。
「まー、津川にバレたくなかったんじゃね」
「……言い触らされるから?」
「だろ。高校の同級生ならアイツの情報網も届かないとは思うけどなー」
紘は、茉莉の彼氏のことにコメントをしない。もし、茉莉のことが好きだったのなら、紘の性格からすれば、恰好悪く、無様なほどに、茉莉にしがみつく言動があってもおかしくないはずなのに。
「……顔とか、知ってる? 茉莉の彼氏」
「知らねーよ。富野に写真見せろよーって言ったけど送ってこねーし」
送ってこない、ということはLINEで連絡をしたのだろう。ということは、昨日から今日にかけて、紘と茉莉は会っていない。
「私、昨日模擬店の前で見たんだけど」
「ああ、マジ? どんなヤツだった?」
食いついてくるのに、不自然さはない。たとえ好きではなくても、2人で映画に行くくらい仲が良い相手の恋人を知りたがることに、不自然さはない。
「なんかこう、ひょろっとしたタイプ? わりと地味だったかも」
「へーえ」
必要以上の食いつきは見せない。
「こう言っちゃなんだけど、よく茉莉を落としたなって感じだった。全然、もっといい男いるだろうになーって感じ」
「アイツ、そういうところあるよなー。スペック高いのに、安全圏で妥協するっていうか。能力が8だとしたら6しか必要ないところで100%の成果を出したがるっていうか」
食いつきは見せないけど……、けど、
「茉莉に彼氏ができて、残念だったね」
思わず、溜息交じりにそのセリフがついて出た。
しまった、なんて思わなかった。紘が「残念?」とキョトンとした顔で
「いや、別にいーよ、富野に彼氏ができても」
「……そう」
「男友達だったらさあ、彼女できた途端に遊ばなくなるヤツとかいるけど。つか遠距離なら基本関係ないし」
これまで通り、大学で一番近くにいるのは自分だから?
「……え、マジでどうした?」
好きと付き合いたいは別? 茉莉は
「……いや、別に……」
「…………」
もしかして2人で映画に行ったの気にしてる? なんてことは、紘は言わない。紘は、軽率に自白なんかしない。
私は結局、紘と茉莉が2人で映画に行ったことを
「……そりゃ、富野と仲は良いけど、ちゃんと好きなのは生葉だよ」
あやすように、紘の右手が私の左手をとる。大学の友達に見られそうなところでは手を繋ぎたがらないのに、こんなにも模擬店が連なって、サークルの友達から学部の友達、先輩、誰に見られてもおかしくない場所で、まるで私の不安を
「大丈夫、浮気じゃないから」
それから、紘は、私を慰めつつ、普通に振舞った。普通でなかったことといえば、フィナーレのビッグファイアを見る間、サークルのメンバーでも経済のメンバーとでもなく、私の隣にいた点くらいだった。誰かに見られるときは、私の隣にはいたがらないのに。
学祭の打ち上げに、紘はこなかった。もともと、サッカーのほうの打ち上げに顔を出す予定だったから。
その代わり、学祭の打ち上げでは茉莉と隣の席になった。同じテーブルの先輩も同期も「彼氏できたんだって?」「どこで知り合ったの?」と茉莉を質問攻めにしていた。茉莉から得た情報によれば、その彼氏とは、もともとお互いを意識していたけれど、大学がバラバラになってしまったので自然消滅してしまっていたとのことだった。
「茉莉のその財布バッグ、めっちゃかわいくない?」
その質問攻めもひと段落したくらいで、同期が茉莉のカバンを指差してそんなことを言った。茉莉は「ありがと! お気に入りなんだよね」と財布バッグを両手で掲げてみせた。白地にクリスマスローズをモチーフにしたような花柄が点々と描かれていた。
「新しく買ったの?」
「これはねー、誕生日に」
「彼氏がくれたんだ!」
「違う違う、彼氏じゃなくて、大宮くん達がお祝いしてくれたんだよ」
……結局、紘が、経済の友達と茉莉の誕生日を祝ったのは知っていた。茉莉は悪意なくはにかむ。
「大宮くん、沙那ちゃんに聞いて、私の好きなシリーズのバッグをリサーチしてくれてて。それで、経済のみんなで買ってくれたんだって。できる男だよね、大宮くん」
紘は、私の誕生日にも、私の好きなアクセサリーブランドのネックレスを贈ってくれた。
私の誕生日も、茉莉の誕生日も、両方とも、好きなブランドをちゃんとリサーチしてから、プレゼントを。
『プレゼントしてる時点で、9割方は黒だと思います』
ただのプレゼントが黒なら、リサーチありのプレゼントは、真っ黒じゃないか。
学祭の打ち上げの後、家に帰ると、紘からLINEが来ていた。「帰ってる? 3次会行こうか迷ってる」とあったから「もうお風呂入ったから、寝ちゃうよ」と返しておいた。私はそのままベッドに倒れ込んだ。
シーツの上で、ブーッとスマホが心細そうに振動した。拾い上げると、紘から「なんだ、残念。。」と来ていたから既読だけつけてスリープしたけれど、また振動して「3次会行ってくる」なんてメッセージがきていた。
「……うるさ」
そのメッセージに既読をつけて、そのまま通知オフのボタンを押した。
これでもう、紘からのメッセージに顔を上げなくて済む。
枕に顔を埋めたまま、眉間に皺を寄せた。頭の中で、この2日間の光景がぐるぐると回っている。
「私、前の彼氏に浮気されたんですよね」「大宮さんと彼女さんは、そういうことなくて円満そうでうらやまいしなって」と溜息をつくJDちゃん。「数日前から付き合ってる彼氏でございます」「できる男だよね、大宮くん」とはにかんだ茉莉。
「大丈夫、浮気じゃないから」──そう
「心配しなくても、僕は大宮先輩から生葉先輩を奪おうなんて考えてませんよ?」なんて
記憶にこびりついた表情と声は、真実なんて教えてくれない。
……「空木は、浮気って言うことによって何を言いたいの?」と
私は、浮気だと断言することにより、何を
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