第14話 紘にとって、私は一番可愛いだろうか。
今年の6月の話。
「空木、1回生とたこぱするから来いよ」
烏間先輩に誘われたその会のメンバーは、烏間先輩のほか、喜多山先輩、みどり、山科、そして松隆くん。先輩達とみどりの4人で遊ぶことはよくあったけれど、その1回生2人は新メンバーだった。
「行きまーす。喜多山先輩の家ですよね」
「ああ。松崎さんと山科は喜多山の家に直行、俺と松隆と空木は買い出し」
山科とみどりはまだ試合中だった。喜多山先輩は2人が終わるのを待って自宅に帰るから、私達がその間に買い出しをしておくという、いつもの寸法だ。
ただ、いつもどおりじゃないのは、この後輩……。烏間先輩の隣に立つ、まだ高校生に見える1回生。じっと見てしまっていると、整った綺麗な顔が愛想よく微笑んだ。
「空木先輩と宅飲みするの、初めてですね。よろしくお願いします」
その人当たりの良さが一層怪しさを掻き立てる。思わず苦笑いをしながら「よろしく……」と返した。
松隆総二郎。1回生。烏間先輩と並んで美形の双璧と言われるほど綺麗な顔立ちをしている。物腰は柔らかく、愛想もよく、テニスも上手く……、非の打ちどころのない後輩。なにかにつけて女子に囲まれるのに、それを
「空木と松隆ってあんま話してるの見ないよな」
「まだ6月ですし。ねえ、松隆くん」
「そうですね。話してみたいと思ってたんで、楽しみにしてましたよ」
話してみたいと思ってた……? 一体何を考えてるんだこの後輩……。スーパーへ向かいながら
「いいやつだよ、松隆」
「いや別に悪い子だと思ってるわけじゃないですけど……」
処世術と女子に慣れ過ぎてて怪しい、というのが率直な感想だった。
思い返すは、先月末に行われた、新入生歓迎会。2次会で、松隆くんと沙那が隣同士に座っていたとき、沙那がさりげなく、松隆くんの手に自分の手を重ねようとした。それに対して更にさりげなく、松隆くんは手を引っ込めて
とはいえ、“慣れ過ぎて怪しい”というだけで松隆くんの何が悪いというわけでもない。スーパーでは「空木先輩、持ちますよ」と一番の下っ端らしく買い物かごを持つし、「空木先輩って飲む人ですか?」「いや、飲めない人」「じゃあウーロン茶でも買います?」と気を遣ってくれるし、買い物袋も重たいほうを持ってくれるし……。
「……松隆くんって気遣い出来すぎて気持ち悪いって言われない?」
「急になんですか」
悪いところは何もないけど、何もなさすぎて怪しい。先輩と買い出しに行っても何を買えばいいのか分からないとか、気の遣い方が分からなくて
その疑念がますます強くなったのは、たこ焼きパーティーの終盤。実家から通っているみどりと山科が先に帰った後、先輩2人と私と松隆くんだけで続きをやっていたとき。
「松隆、空木が推しメンなんだってさ」
すっかり酔いの回った喜多山先輩が不意にそんなことを言った。
「はあ?」
思わず素っ頓狂な声と共に松隆くんを見た。喜多山先輩による思わぬ激白に、松隆くんが動じた様子はない。なんなら「ええ、まあ」なんて頷いている。ええ、まあ、じゃないんだよ。
「なに……なんの話ですか……」
「この間、男子会やってただろ」
新入生歓迎女子会があるのに男子会がないなんて男女差別だ──そんなことを言い始めた喜多山先輩先導のもと、先週、女子会と男子会が開かれていた。女子会の話題といえばもちろん、サークル内で誰と誰が付き合っていて、2回生と3回生の恋愛沙汰といえばこんなものがあって、とコイバナが中心だった。一方で男子会の話題は一体なんだろうと思っていたら……。
「あの時にサークル内の推しメン投票をしててさあ」
「うわあ、ゲス……」
なんでもないように話し出した喜多山先輩に顔をしかめてみせれば、烏間先輩と松隆くんは「え、言うほどゲスな話したかなあ。推しメン投票くらいじゃない」「烏間先輩、一人だけ爽やかぶるのはずるいですよ」と素知らぬ顔だ。
「喜多山が言い出したんだよな、2回生は絶対松崎さんだって」
チューハイ片手の烏間先輩が、チューハイの缶を持ったまま喜多山先輩を示す。喜多山先輩は「当たり前だろ!」と同意を求めるように頷いた。松隆くんを見ると「2回生の先輩方について、松崎先輩か富野先輩か、どっちが可愛いかで投票が行われたんです」と説明された。
「どう考えても圧倒的にみどりちゃんだろ! なあ!」
「さあ……。一般ウケは松崎さんかもしれないけど、富野さんもまあまあ正統派じゃない? というか、ミスコンとかでウケるのは富野さんじゃないかな」
「じゃあお前は茉莉ちゃん派か」
「いや俺は空木推しだから」
「はあ、どうも」
流すと「かわいくねえなあー」と笑われた。そうは言っても、実際、烏間先輩は私と仲が良いから私の名前を挙げて逃げたのだということは手に取るように分かった。なんなら、下手に名前を挙げようものなら「本気か?」なんて言われてしまうおそれがあるけれど、私の名前を挙げておけば「ちゃんと真面目に答えろよ」と有耶無耶にできる。実際、喜多山先輩は「お前はそう言って投票しなかったんだよなー」と呆れた口調で「それでもって言うに事欠いて空木だろ」と私をカウントしない。
「……いや空木も可愛いよ? 可愛いけどね?」
「とってつけたようなフォローをされても嬉しくないんですけど」
「いやいやそんなことないぞ。空木も可愛いけど……まあほら、うん」
「フォローする気さえないじゃないですか」
「烏間先輩も、下手に後輩推すと面倒くさいから私にしてるだけでしょ」
「そういう物分かりのよさがある空木を推してるんだよ」
「はいはい」
「でも松隆は空木推しなんだもんな」
触れずにおこうと思ったのに、烏間先輩はまた蒸し返す。松隆くんはお行儀よくウーロン茶を飲んでいたけれど、喜多山先輩の「なんで? Sっぽいから?」というとんでもない発言にしかめっ面になる。
「違いますよ。空木先輩、新歓のときに津川先輩から助けてくれたんで。いい先輩だなと思いまして」
「え、なにかしたっけ、私」
新歓のときの松隆くんと沙那なんて、手を重ね重ねられの未遂事件以外に記憶はないけれど……。
「2次会の帰り、津川先輩が酔っ払って僕の肩で寝ようとしてたときに助けてくれたでしょ」
……そんなことあったっけ。確かに、2次会は沙那が松隆くんの隣の席をキープしていたので、終盤も沙那が松隆くんの隣にいた可能性は高い。ただ、特別何かをしたかと言われると……。
「津川先輩が僕に寄り掛かろうとした絶妙なタイミングで『帰り道分かる? 駅までまとめて送るから来なよ』と男前に声をかけてくださいまして」
「あー、うん、そのセリフにはすごく覚えがある」
確かに、残っている1回生に順々にそう声をかけていた。ただ、松隆くんにまで声をかけたかどうかは覚えていない。でも覚えのあるセリフを松隆くんが再現できるということは、松隆にも声をかけたのだろう。
「コイツ、本当に津川のこと苦手で」烏間先輩は腹を抱えて笑い出しそうな様子で「『津川先輩の時間割聞きだしてくれません?』とか言ってきたの」
どういうことだ……? と私と喜多山先輩が首を傾げると「『津川先輩がコートに来る日には極力来ないようにするんで』って」と説明されて笑ってしまった。
「へーえ。早速津川に食われようとしてんのか、松隆」
「食われようとしてません」
「まあ、入ってきたときに思ったよな。多分コイツ津川に狙われるんだろうなって」
「本当に正直な話をすると、あの男子会で津川先輩はそういう妖怪なんだなと非常に納得しました」
「妖怪ってなんだよ、片っ端からイケメン食い散らかす妖怪か?」
「そうは言ってません。でもなんで津川先輩に彼氏が途切れないのか、疑問で仕方がないですね」
「すぐヤれそうだからだろ」
「こら喜多山、空木がいるんだぞ」
「…………
どうせくだらないゲス話で盛り上がっているのだろうとは思っていたのだけれど(現にくだらないゲス話をしていたようだけれど)、1回生に対してこんな風に要注意人物を教えているとは。自分の名が話題にのぼっていないかヒヤヒヤしてきた。男子は「女子会で何を言われてるかよりも、女子会で名前を挙げられないほうが怖い、そのくらい眼中にないってことになる」と話していたが、男子会に限っては名前を挙げられないに越したことはない。
「でも面白かったよな、松隆が推しメンを聞かれて『空木先輩ですかね』って答えた瞬間のテーブルの空気」
「え、なんでですか」
「大宮に聞かれたらマズイからに決まってるだろ」喜多山先輩は大きく口を開けて笑いながら「1回生のイケメンが自分の彼女を推しメンだって言い始めたら、そりゃ慌てるわ。空木、面倒見いいしな」
そう……だろうか? 紘がそんなことで慌てるとは思えなかったけど、もしそうだとしたら嬉しいような恥ずかしいような、くすぐったい気持ちだ。
喜多山先輩のその言葉を聞いた松隆は、少しだけバツの悪そうな表情になった。
「僕、空木先輩と大宮先輩が付き合ってるって知らなかったんですよね。知ってたらまあ、言わなかったんですけど」
「空木と大宮って、サークルだと一緒にいないもんな。なんで?」
「大宮が照れ臭いんだろ。ガキっぽいじゃん、アイツ」ニヤニヤなんて聞こえてきそうな笑みを浮かべながら、烏間先輩は「でもアイツ、話してたらめちゃくちゃ空木の存在アピールしてくるんだよな。付き合いたてのときとかすごかった」
「……それはどういう?」
また、嬉しいような恥ずかしいような、むずがゆい気持ちが胸の内で湧き上がる。口に出しては言えないけれど、もちろん聞きたいし、烏間先輩はそんなことお見通しだ。
「空木はさ、付き合ったときに俺に連絡くれたじゃん。で、俺は知ってるって大宮に話してただろ?」
「ええ、まあ」
もともと、紘が好きだという話は烏間先輩にバレていたこともあって(なんなら相談に乗ってもらったことも多々あって)、義理として烏間先輩に真っ先に報告した。
「本当に、ことあるごとに空木の話するんだよな、アイツ。映画の話でも『友達が面白いって言ってた』でもいいところを、あえて『空木も面白いって言ってた』って言うんだよ。別に空木の名前を出す必要はないだろ? そこであえて空木の名前を出すってことは『空木は俺の彼女です』『一緒に映画に行きました』ってアピールなわけだ」
頬が緩みそうになったので必死に口に力を入れた。いうなればそれは、お世辞とか
喜多山先輩は「あー、いいなー! そういう甘酸っぱい青春いいなあー!」と喚くように嘆いた。
「俺も彼女ほしー」
「合コンするって言ってなかったっけ」
「したけど、反応が
「だって彼女いるし」
「でも彼女より可愛い女の子がいるかもよ?」
「いないいない、俺にはアイツより可愛い女の子はいない」
「かゆいかゆい! 歯が浮くわ!」
「でも烏間先輩、本当に目移りしないんですか?」
「しないなー。だから空木と付き合うことはないかなー」
「いや、私も烏間先輩と付き合うことはないんでいいですけど」
「なんでお互いにフッてんの? ルーズルーズの関係じゃん」
「そんなに可愛い彼女さんなのかなあって」
「彼氏にとっては彼女が一番可愛いもんだよ」
「いやいやいや、そんな『常識』みたいな顔されても」
「そんなこと言う男は間違いなくめちゃくちゃいい男ですよ」
私と松隆で激しく頷いた。同時に、腹の中はブラックホールみたいな
「逆にそんだけ彼女のこと好きなら合コン行っても間違い起こらないだろ? やっぱ行ってもいんじゃね?」
「合コンで無駄な2時間過ごす暇があるなら彼女と2時間過ごすだろ」
「お前が彼女にフラれても絶対に合コンには誘ってやらないからな」男の
「もし大宮が合コンに行ったらキレる?」
キレるかどうかは別としてイヤに決まってるじゃないですか。……と言いたかったけれど、男の先輩達の前でそんな女の子らしい嫉妬を口にするのは気恥ずかしかった。
「キレはしませんけど……」
「別れる?」
「別れるまでは言いませんけど……」
「空木は許しそうだよなあ、そういうの」
許したくないです──と言いたかったけれど、言えなかった。
解散し、喜多山先輩の家を出た後、烏間先輩は彼女の家に行くと言って、自転車で先に帰ってしまった。残された私と松隆くんは、2人で深夜の町を並んで歩く羽目になる。
「大宮先輩、気にしてました? 僕が男子会で言ったこと」
「え、いや、聞いたことはなかったかな……」
そういえば紘は松隆くんのことをあまり好いていない──と思い出したけれど、そう言い始めたのが男子会より先だったかは覚えていない。でも──松隆くんには悪いけど──紘が、彼女をとられるんじゃないかなんて不安に駆られて松隆くんのことを嫌いになるのは、幼稚といえば幼稚だけれど、独占欲の現れのようで可愛く思えた。
「気にしてないならいいんですけど。気にしてたら、推しは変わったらしいって適当に言っておいてください」
「そんなこと言わなくても、酔っ払いに絡まれてたところを助けたらしいっていえばいいでしょ。異性の先輩としてどうのこうのってわけじゃないって言えば、紘は気にしないよ」
「そこは、僕には分からないんで」
沙那のことを全力で避けるくらいには八方美人ではないらしいし、気を遣ってくれるし、全力で警戒する必要はないのかもしれない……とその日の帰りに思った。
烏間先輩と松隆くんの仲が良いというのもあって、そこからなんとなく、松隆くんと話すことが多くなった。具体的なきっかけなんて覚えていないけれど、気付けば「松隆くん」なんて他人行儀な呼び方はしなくなっていたし、松隆にも「生葉先輩」と名前で呼ばれるようになっていた。
夏合宿で、宿泊先の宴会場で、各人が好き勝手に仲のいい者同士でまとまっていたとき。紘は、茉莉、沙那、武田の4人で輪を作るようにして喋っていた。それを横目で見つつ、私は、6月のたこぱのメンバーで固まっていた。
「え、富野って春日井に住んでたの?」
驚いた紘の声が聞こえてきて振り向いたとき、紘と茉莉は互いに「そう、それ!」とでも聞こえてきそうな様子で「チャリンコで10分とか?」「絶妙に校区の境界だったのかあ」と話していた。
予想はつくけれど、何の話だろう──ほんの少しの嫌な予感に、すっかり気を取られていて。
「そういや、大宮って富野派だよなあ」
ハッと喜多山先輩を振り向くと、烏間先輩が「余計なことを……」と言いたげな目で喜多山先輩を見ている。喜多山先輩は「え、俺なんかマズイこと言った?」と山科と烏間先輩に交互に目配せするが、山科は肩を竦めた。
烏間先輩は、茉莉派かみどり派かという話を、「空木派」と言うことによって
『彼氏にとっては彼女が一番可愛いもんだよ』
紘は黒髪が好きだと言った。もともと染めるつもりはなかったから、黒髪のままでいた。
紘は一重の目が可愛いと言った。二重の目は勝ち組だとばかり思っていたので、それを聞いて少し残念だった。
紘は背の低い子が可愛いと言った。160センチは、決して低くはないけれど、紘と15センチ差があったからセーフだった。
紘は、いわゆるスマートな体型は好きではなくて、
そうやって、自分の容姿や恰好をチェックするときは、いつも紘のことを頭に思い浮かべる。
紘にとって、私は一番可愛いだろうか。そんなことを、考えながら。
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