第13話 9割方は黒だと思います

 そして迎えた、問題の土曜日。大学付近だと誰かに見られてしまうので「映画館で!」と現地集合にしたら、代わりに背徳感を覚えた。待ち合わせ場所へ行くと、松隆は売店横のストアで映画客に紛れ込んでいた。挨拶代わりに背中のボディバッグを引っ張ると驚いた顔で振り向かれる。


「なんだ先輩ですか」

「なんだとはなんだ。先輩に向かって失礼」

「普通に声かけてくださいよ、びっくりしたじゃないですか」


 松隆が見ていたのは『螺鈿らでんの悪意』のパンフレットだ。主演刑事の流川亮平が鋭い顔つきで走る姿の裏に、被害者・海山陸役のたてわきそうと容疑者・やなぎとおるの顔と、その他刑事の立ち姿が写されていた。


「もしかして普通に見たいの?」


 映画を見るのは、紘と茉莉が一緒に映画を見るならという条件付きなのに。


「当たり前じゃないですか。なんで見たくもない映画を提案しないといけないんです」

「あーえっと、そっちじゃなくて。紘と茉莉が映画を見るって決まってるみたいだなって」

「決まってると思いますけどね。大宮先輩にそこまでのデリカシーがあるとは思えませんし」


 デリカシー……。浮気と断定できないいま、言われてみればその表現がしっくり当てはまるような気もした。「彼女がいやがるなら他の女子と2人で出かけない」のは、浮気なんて大仰おおぎょうなことではなく、単なるデリカシーの問題だと言われてしまえばそんなものかもしれない。そうなると、やはり私が紘を責めるのは筋違いというか……。


「13時10分でしたっけ、大宮先輩達の目当ての映画」

「え、あ、うん」


 隠れてないと見つかりますよなんて茶化されて、慌てて松隆の隣、シアターの出入り口から見て奥側に立った。松隆の身長があれば、私を隠すのは容易だろう。


「大宮先輩ってパンフレットとか見る人です?」

「全然見ない人。欲しいグッズはネットで買う派」

「富野先輩は?」

「知らないよそんなの……。でも茉莉が映画好きって話は聞いたことないし、多分大丈夫じゃないかな」


 なんて、私達は紘と茉莉がやってくると決め込んで話しているけれど、本当に来るのだろうか。


「ていうか、パンフレットなんて、今時買う人いるんだね」


 今時は、パンフレットに代わるウェブページがある。そんなことを言ったら風情がないかもしれないけれど、劣化しやすくてかさばりがちな紙を買うよりも、ウェブページを見るほうが楽だ。パンフレットにしか書いていないことはあるかもしれないけれど、大抵の人にとって、そこまでの情報は要らないだろう。


「まあ、一定程度いるんじゃないですか」

「あ、松隆が買うタイプってわけじゃないのね」

「ええ。いちいちパンフレットは買わないです」

「でも映画好きなんでしょ。ストリーミングのやつとか、入ってるの?」

「入ってますよ。休日はだらだら見てますからね」


 松隆ほどダラダラとかゴロゴロが似合わない人種もいないだろう。それどころか、ソファに座って紅茶片手にお行儀よく映画を見ているイメージが湧いた。


「『螺鈿の悪意』とかもいつかは配信されるんじゃないの? なんで映画館で見るの?」

「最近集中力がなくて、家で見てるとつい他のことしちゃうんですよね」

「あー、分かるかも。金ローとか、気付いたらスマホで漫画読んでる」

「見たことある映画だとなおさらそうなりますよね。あとはほら、スクリーンにはスクリーンの良さがあるじゃないですか」

「そう? 音響とか?」

「まあ典型ですね。ミュージカル映画とか、家で見てもあんまりって感じですし」

「ミュージカル映画なんて見るの?」

「基本は苦手ですけど、大衆ウケしてるのは見ます。そもそも、僕は別に映画つう・・ってわけじゃなくて、暇潰しによくやってることが映画ってだけですから」

「ふーん。じゃあさ──」

「先輩、お喋りはいいですけど」クスッと松隆はいたずらっぽく笑い「僕らが何しにきたか、忘れてません?」


 はっと我に返って出入口を見ると「今のところ来てませんよ」と松隆はちゃんと見張っていたことを教えてくれる。


「あぶな……本来の目的、忘れてた」

「本来の目的? 僕とのデートでは?」

「なにふざけたこと言ってんの」

「なんだ、いつもと髪型が違うので、てっきりそうかと」


 普段、授業を受けるにもテニスをするにも、長い髪は邪魔なのでポニーテールにしていた。言われてみれば、松隆の前で髪を下ろしているのなんて、夏合宿以来かもしれない。


「映画を見るときって椅子にもたれるでしょ。後頭部で結んでると邪魔なの」

「そこは嘘でもデートだから髪を下ろしたって言うところですよ」

「なんで松隆にデート指導をされないといけないのかな」

「大宮先輩と富野先輩が現れないってなっても、ここまで来てたらなにか見て帰ることにはなるでしょ」

「……それは確かにそんな気がする」

「なに納得してるんですか」呆れ声で「先輩は大宮先輩のことをちょろいって言いましたけど、先輩も結構ちょろいですよ」


 ちょろい? 紘のことをちょろいなんて言ったっけ。


「なにそれどういう意味──」

「あ、来ましたね」


 慌てて視線をやれば、入口から紘と茉莉が入って来るのが見えた。私は「うわっ」なんてうめきながら慌てて松隆の体に隠れるように身を縮こませる。


「『本当に来やがった』感がすごくて意外とショックを受けれない」

「先輩も意外と楽しんでますね」


 松隆ほどじゃない。楽しそうな声を聞いてそう思った。


「紘のあのパーカー、この間、武田と買いに行ったばっかりのお気に入りのやつだ」

「富野先輩はいつも通りですけどね。ジーパンに、あの小さいバッグ」

「この間すれ違ったときもあのバッグだったなあ。お出かけ用なのかまでは分からないな」

「大宮先輩ってクラッチバッグとか持つんですね」

「帰省したときに買ってた。はいはい、あれもお気に入りです」


 苦虫を噛み潰す私の隣で、松隆がくすっと笑った気配がした。なんだこいつ。


「なんで笑うの」

「想像より元気だなと思いまして」

「ここまで来たら自棄やけだよ。松隆も私と一緒に映画みて遊んで帰ろ」


 セリフのとおり自棄になって、松隆の影からじっと2人の様子をうかがう。カップルの距離とまではいかないけれど、まあ、何も知らない人が見ればカップルだと思うだろう。そのくらい仲の良さが伝わってくる。


 なんなら、紘の隣はカジュアルな服装の茉莉のほうがお似合いかもしれない。ロングスカートと二ットという自分の服装を見下ろしてそんなことを考えて、地団駄じだんだでも踏みたい気分だった。


「券売機に並んでる……」

「カップルシートを選んでたら笑えますね」

「笑えないでしょ。さすがに出て行ってすぐ別れる」

「普段ぐちぐちとノンアルでくだを巻いてる人のセリフとは思えませんね」

「なにか言った?」

「いえ何も」

「待って、こっちに来る! ちょっと、私は隠れるから見といて!」


 サッと顔を引っ込めると、代わりに松隆が2人の様子を見て「ポップコーンか何か買うんじゃないですか? 売店に並んでます」と教えてくれた。売店はストアの真横なので「えー、何にしよ」という茉莉の声が聞こえてきて顔が引きつった。そのまま「つかショートフィルムだから食いきれなさそう」と紘の声が聞こえてくる。


「シェアすればいいじゃん、この小さいほう」

「あー、まあそれでもいいけど」


 ……カップルでもないのに同じカップからポップコーンを食べるというのか。唖然として松隆の顔を見ると肩を竦めて返された。多分「今更でしょ、あの距離感」と思っている。


「つか富野、腹減ってんの? さっき食ったばっかじゃん」

「ポップコーンは別腹ですよ、大宮くん」


 ……お昼を食べてきただと? しかも口振りからして一緒に食べたはずだ。困惑しきった私に、松隆は軽く溜息を吐いた。その後、2人は結局ポップコーンだけ買って売店を去った。


「……先輩、どうします?」

「……松隆、今日一日暇?」

「……まあ暇ですけど」

「……とりあえず映画は見るけど、夜まで付き合って」

「……まあいいですけど」


 私と紘のどちらか、またはどちらにも呆れかえった様子の松隆は、片手に持ったスマホで出口を指した。


「『螺鈿の悪意』の上映まで30分くらいありますし、とりあえず外に出てコーヒーでも飲みましょうか」


 現在時刻は13時ジャスト。紘と茉莉が見る『劇場版・八城九の事件簿case2』が始まるのは13時10分、終わるのは14時20分。私達の目当ての『螺鈿の悪意』が始まるのは13時40分。時間は充分にあるし、『螺鈿の悪意』を見にここへ戻ってきても紘達とは遭遇しない。


「……いいけど、私はやけ酒が飲みたい」

「馬鹿言ってないで、大人しくカフェラテでも飲んでてください」

「松隆は本当に私のことを敬ったほうがいいと思う」


 ああ、でも、やっぱり松隆の提案に乗ってよかった。もし今日、家に一人だったら、紘と茉莉が結局一緒に出掛けたのかどうかも分からず、ただどんよりと膝を抱えて部屋の隅でじっとするしかなかっただろう。


 自棄と苛立ちと、ほんの少しの安堵。複雑な気持を抱え、紘と茉莉が消えたシアターに背を向けた。


 コーヒーを飲んだ後、松隆と一緒にチケットを買うのに、罪悪感も背徳感もなかった。紘のことは、どうでもいいというと言い過ぎかもしれないけれど、頭の片隅の片隅に追いやられてしまっていた。実際、目の前の悩みは紘ではなくポップコーンを買うかどうかくらいだ。


「僕らはコーヒーしか飲んでないので食べれますよ、ポップコーン」「やめるんだ。でもポップコーン食べると喉乾くじゃん」「やめときます?」「やめといて、映画見たらケーキでも食べに行こうよ」ちゃっかり映画後の約束までとりつけて、私達はチケット片手に指定のシアターへ向かう。公開から暫く経っているからか、人はまばらだ。


「Fってどこらへん?」

「こっちですよ」


 座席探しは任される側なのに、松隆に先導されてしまった。後輩に先導されるなんて変な感じだな……と呑気に考えていたのだけれど、ストンと隣同士に座った瞬間、妙な違和感を覚えた。


 座席同士の距離は、決して遠くない。触れ合うほど近いとは言わないけれど、少なくとも隣にいる人の気配はいやというほど伝わってくる。


 それでもって、入っている人がまばらなせいで、私と松隆の隣は空いていた。孤島にぽつんと2人だけ座らされたような気分で、カップルシートでもないのに、用意された2人席に2人で座っているような、そんな妙な心地がした。


「デートじみてきましたね」


 その心地の正体をぴたりと言い当てられ、照れ隠しに(自覚してしまっているのが余計に恥ずかしいが)憮然ぶぜんとした顔つきになってしまった。空いている席側に肘をついた松隆は、相変わらず飄々とした態度で笑みを浮かべている。


「……一緒に映画見てるだけでしょ」

「一緒に映画を見るだけのことに腹を立てたのはどなたでしたっけ」

「でも私は松隆のこと恋愛対象じゃないから」


 ふいっと顔を背けてスクリーンを見た。上映まで少し時間があるので、スクリーンには他の映画のCMが流れている。


「こういう映画って何をきっかけに見ようってなるの?」


 都合よく話題を変えれば「こういうCMを見て、面白そうだったら覚えておくとかですかね」松隆は特に気にした様子はなく「これとか、面白そうじゃないです?」


 スクリーンに映っているのは洋画で、ブルーカラーの白人が働いている様子に「ヴァイオリンだって?」「ドレミの歌くらいしか知らないよ、俺は」とセリフがかぶる。その白人とは打って変わってきれいな身形をした黒人がその白人に対して「知っているか知らないかなんて、大した問題じゃないとも。君が聴くかどうかさ」となごやかに微笑む。シーンが変わって、黒人ヴァイオリニストの演奏会ツアーと、その演奏に感激する白人の姿が対比される。


 メインキャストの白人は荒くれもの、アートのAも知らない無粋な男。もう一人のメインキャストの黒人は裕福なヴァイオリニスト。音楽を通じて、ちぐはぐな2人が友情を育てていく話らしかった。


「へーえ、面白そう……」

「でしょ? こういうのを見ると、次はこれを見に来るかと思っちゃうんですよね」


 そのCMの終わりには『2019年1月 全国ロードショー』と流れた。確かに、映画好きならこれで再来月の予定は決まりだ。


「絵にかいたような上客だね」

「ええ、まんまと戦略にはまってます」


 なんなら、今日は私という新規顧客まで獲得してきたのだから、映画館としては松隆様様だろう。


 そうこうするうちに、シアター内が暗くなり『螺鈿の悪意』が始まった。


 暗い雨の日のシーン。マンションの外観、玄関、部屋とどんどんクローズアップされていって、やがて荒らされた部屋と、ナイフで刺された男性が映る。被害者役の館脇宗太だった。


 場面は一転して、よく見る警察署の会議室が映り「殺害された男性は三山みやま陸人りくと、38歳。職業は小説家、ペンネームは海山陸です」と報告がされ「知ってる、『罪人つみびと』の作者だろ」「ベストセラー作家か、マスコミがまたうるさいだろうなあ」とざわつく。その中に主演刑事役のかわりょうへいがいた。


 容疑者として真っ先に浮上したのは、作家の黒木なつめ。参考人として取調べを受けながら悲痛な面持ちで「高校生のときから、誰よりも才能があった。同じ作家を目指す者として長年切磋琢磨してきた」「彼を殺した犯人を捕まえてくれ」と泣く。


 もちろん、予定調和的に犯人は黒木なつめ。動機は至極単純に「才能への嫉妬」。それなのに犯行計画は十数年かけて緻密ちみつに寝られていて、その底知れぬ悪意に流川亮平たち刑事は震撼しんかんする。


 最後、黒木なつめは逮捕されながら「最高傑作は書けなかったな」とだけ呟き、以後の取調べでは完全黙秘を貫き、裁判では「海山陸のゴーストライターをしていました。原稿料を巡って口論になり、カッとなって刺してしまいました」と主張。傍聴席にいた非番の流川亮平が目を見開いたところで、物語は幕を閉じた。


 作中を通じて容疑者の悪意を覗き続ける、なんとも重苦しい映画だった。そのせいか、エンドロールまで終えた後の館内には、独特の空気感が漂っていた。その空気に当てられたのか、なんとなく私の体も気怠けだるい。


「疲れてますね」


 そういう自分だってちょっと疲れた顔をしているくせに、松隆は余裕なふりをする。


「つか……れるでしょ、こんな重い話を2時間半見たら!」

「僕は面白かったですけど、面白くなかったです?」

「面白いは面白いけど!」


 なんなら、曲りなりにも推理小説好きなので、松隆よりも私に響くべき映画かもしれないし、響いているのかもしれない。とはいえ、身体的な疲労感はいかんともしがたい。思わず背伸びをした。


「疲れちゃったし、紘と茉莉も楽しくやってるし、私と松隆も楽しくやろ。手始めにケーキ食べにいこ」

「ですね」

「あ、ちゃんと面白かったよ」


 勧めてくれてありがとうという気持ちを込めて話しながら外に出た。今日の天気は爽やかな秋晴れ。紘とのデートは雨で、私と松隆、紘と茉莉のデートは快晴だなんて、お天道様まで皮肉が上手だ。


「あまりにも単純明快な動機と、あまりにも底の知れない悪意。人間、嫉妬だけであんなに残酷になれるんだなって思うよね」

「同感ですね。しかも最後のセリフで、ダメ押しとばかりに被害者の顔に泥を塗る」

「そうそう、自分は実はゴーストライターでしたってヤツね! ゴーストライターなんて絶対他言しないんだから、担当編集も誰も知らなくてもおかしくない、知ってるのは死んだ被害者だけ」

「死人に口なしをいいことにゴーストライターってことにしたってわけですからね。才能への嫉妬を理由にかつての同級生のベストセラー作家を殺害しておきながら、ベストセラー作家の才能に取って代わろうとする。その計画を十数年かけて練っていたなんて、まさしく螺鈿らでんのごとき悪意ですよね」


 揃って饒舌に語りながらしばらくぷらぷらと外を歩き「あ、ごめんめちゃくちゃ適当に歩いてた。どっか行きたいとこある?」「あるんですけど、少し離れてるんですよ。ほらここ、八坂神社より奥」「え、全然いけるでしょ」「人気店なんで、この時間だと入れるかどうか。観光客多い時期ですし」結局近場の適当なカフェに落ち着く。座るとき、松隆はソファ席を譲ってくれた。


「わー、できる後輩だ」

「良識のある男ならすると思いますよ」

「……確かに紘はする」

「するからといって良識があるとは限りません。分かります?」

「分かるから言わないでよ」


 メニューを見ながら「私あんみつ!」「可愛らしいもの頼みますね」「いいんだよ、松隆だって抹茶パフェとか頼んで」「いえ僕はシフォンケーキです」「えー、結局女子力高い」なんて、まるでカップルみたいだ。もし紘が茉莉と似たような会話をしていたら……、ゾッとする。


「先輩、意外と元気かと思いましたけど、意外と元気ないですね」


 先に運ばれてきたホットコーヒーを飲みながら、松隆のくせに気遣う素振りを見せる。


「……いや、意外と元気だよ」


 嘘ではない。紘と茉莉が2人で出てくれば、もっとショックを受けると予想していたのに、意外とショックは受けてない。ああ、やっぱりな、とどこか諦めに似た感情のほうが強かったせいだろうか、それとも。


「映画見る前に松隆が言ってたみたいに、浮気というか、ただのデリカシーの問題だって割り切れたのかな……」

「いや、僕は彼女がいて他の女とデートする男の神経は理解できませんし、デリカシーで片付けるのはやっぱり甘いと思いますが」

「せっかく心がいだのに、なんで荒波をぶつけるの! ……いいよ、私もこうやって松隆と楽しくやってるし。ていうかそうだね、松隆がいるからあんまりへこんでないっていうほうが正しいかも」


 ショックはショックだったのかもしれない。ただ、隣に松隆がいるのは……味方がいるような安心感があった。実際、味方ではあると思うし。


 世間一般論でいえば、支えてくれる人といえば恋人なのに、恋人の悩みをただの後輩に支えてもらうなんて、変な感じだ。苦いコーヒーを飲みながら苦笑いを零した。


「そういえば、浪速なにわ大の学祭、どうだった? 幼馴染が来てたんでしょ?」

「あー、ああ、まあ、そうですね」松隆の反応は妙に鈍かったけれど、どうしたのか問いただす前に「楽しかったは楽しかったですよ。でも、夏休みに帰省したときにその幼馴染には会ってるんで、そんなに久しぶりってほどじゃなかったですし……」

「本当に仲良いな、幼馴染」

「ええ、まあ、長い付き合いですし」


 やっぱり、松隆が失恋したというのはその幼馴染のことだろうか。松隆の性格からして、失恋しても友達として仲良くし続けることはできそうな気がした。


「あ、あと学祭で烏間先輩に会いました」

「え、烏間先輩?」

「彼女さんと一緒に来てたみたいですよ」

「えー、いいな、見たかったなー」


 仲が良いともっぱらの評判の烏間先輩とその彼女。3年も付き合っているというのだから、ぜひともコツをお聞きしたいものだ。


「先輩の彼女、どんな人だった?」

「いや、彼女さんには会ってないです」

「あー、なんだ、そうなの……」

「なんでですか?」

「……烏間先輩の彼女は、烏間先輩が他大でも不安になったりしないんだって」


 よく意味が分からん、と眉を顰められた。


「ほら、烏間先輩ってあの顔じゃん。どっからどう見てもモテるじゃん。それが他大の、しかもテニサーなんてものに入ってるんだよ。めちゃくちゃ不安になって束縛しそうじゃない?」

「……まあ、言いたいことは分からなくはないですが」

「でも全然嫉妬とかはされないんだって。しかも、嫉妬しないタイプってわけじゃなくて、お互いに信頼してるから嫉妬しないんだと思うとかなんとか」

「烏間先輩のいないところで烏間先輩の惚気話を聞かされるとは思ってませんでした」

「……だから、私は紘への信頼感が足りないのかなと思って」


 頬杖をついて、ねたような体勢になる。夏以来、私は松隆の前で先輩ぶることを忘れている。


「紘と茉莉が映画を見てるっていったって、3人で行こうかって話してたところを、私が行きたくなくてあとから断っただけ。紘と茉莉が最初から2人で行こうとしてたわけじゃない。それを、2人で映画に来てるのを見たからって鬼の首をとったみたいに騒ぎたてるのは……紘への信頼が足りない証なのかもね」


 結局、私はただ、紘が茉莉と出かけるのが気に食わないだけなのだ。自分より可愛くて、性格が良くて、それでもって紘と気が合う、そんな茉莉のことを紘が好きにならないわけがない。だから気に食わない。ただそれだけの、わがままだ。


「……そもそも大宮先輩が信頼を築くに足る行動をとっていたのかが問題だと思いますけどね」

「ん?」

「そもそも、烏間先輩は彼女さんのことを心配させたことがないんじゃないかってことですよ。大宮先輩と富野先輩、友達同士っぽいとはいえ、相当仲良いじゃないですか。あれって夏合宿からですよね?」

「……うん」


 紘と茉莉があそこまで仲良くなったのは、ほんの3ヶ月前からだ。


 茉莉は、1回生の夏合宿には来ていなかった。その結果、奇しくも、紘と茉莉は、サークル内での接点はそれほどなかった。話したことがないわけじゃないけど、飲み会で隣の席になったら話す、その程度。


 その関係が一変したのは、2回生の夏合宿。茉莉が、実は幼い頃に紘の実家の近くに住んでいたと発覚したらしい。それを発端に、漫画、スポーツ観戦、酒……と2人の共通の趣味がどんどん分かって、急激に仲良くなった。


「夏合宿からっていうと、たった3ヶ月前かって感じはするんだけど……8月の残りと9月丸1ヶ月って考えると」

「まあ、仲良くなるには充分な時間がありますね」

「……私と松隆しかりね!」


 別に特別なことじゃないよと言いたくて付け加えると鼻で笑われた。なんだこの後輩。


「本当に私のことを先輩だと思ってないよね……びっくりする……」

「思ってますよ。敬語つかってるじゃないですか」

「あまりにも形式的に過ぎる。……実を言わなくても、最初は松隆のことはすごく警戒してたからなあ」

「ああ、それはなんとなく分かってました」


 気付いていたけれど気に病んだことはなかった、そんなニュアンスで松隆は頷く。


「だって先輩、めちゃくちゃ他人行儀でしたよね。山科やましなとかには遠慮がないのに、僕にはすごく当たり障りのない対応しかしない」

「だって松隆、イケメンなんだもん」

「イケメンの性格が悪いのは偏見。何度言えば分かるんですか」

「でも松隆、性格良くはないでしょ」


 松隆は無言でシフォンケーキを食べる。自覚はあるらしい。


「まあ、僕の話はどうでもいいです。大宮先輩と富野先輩は今頃なにをしてるんでしょうね」

「ほら、そういうところが性格が良くない」


 わざとらしくそっぽを向いてみせた。


「ていうか、なんでこんなことに協力してくれてるの? イケメンの貴重な大学生活をこんなことに費やしてていいの?」

「そうですね……成功報酬で何かもらわないと割に合わないかもしれません」

「……シフォンケーキごちそうしようか?」

「僕の土曜日、安くないですか?」


 でも確かに、紘は今頃なにをしているのだろう。茉莉と映画を見た後は帰ったのだろうか。今日の夜はバイトだから、少なくとも夜までには帰るだろうけど。


「……そういえば、もうすぐ茉莉の誕生日だ」

「大宮先輩が何をあげるか、見物みものですね」

「なんでそんないじわるを言うかね、君は。……何をあげてたら黒だと思う?」


 意地悪な回答ばかり寄越されるけれど、頼りにしているのは事実。さながら松隆は異性の気持ちご意見番だ。


「プレゼントしてる時点で、9割方は黒だと思います」

「……そう?」

「陽キャとかパリピとかなら別ですが、そもそも、僕だったら、仲が良い女子とはいえ誕生日プレゼントを渡しはしませんからね」


 そんなもん……なのか。でも言われてみれば、沙那の誕生日は6月だったけれど、沙那には何も渡していなかった。


「松隆は渡したことないの?」

「まあ、グループで仲が良いとか、誕生日会をするとか、そういうことなら分かりますけど。わざわざ一人でプレゼントを選ぶかと言われると選びません」

「狙ってるのに? アピールしないの?」

「アピールになるってことは、相手に自分の好意を気付かれる危険があるってことですからね」


 “危険”なんて形容されると、まるで好意ではなく殺意のようだ。


「その危険を犯してまでプレゼントを渡しても、それはただのアピールであって、相手の好感度を上げることに繋がるとは限らないと思います。逆に、好意を気付かれても問題がないなら、そもそも誕生日までにそういう仲になるように仕向けます。そう考えると、誕生日にあえて特異なプレゼントを贈る必要はないですよね」

「……なるほど」


 まるで犯行計画を練っているかのように聞こえてしまったけれど、だからこそ納得した。


「じゃあ、紘も何もあげないのかな」

「僕はあげるんじゃないかと踏んでますけど」

「なんで?」

「先輩の彼氏を捕まえて言うのはなんですが、多分大宮先輩はそこまで考えられる人ではないです。大宮先輩はもっと直情的です」

「本当に先輩の彼氏を捕まえて言うセリフじゃないな」


 紘が松隆のことを嫌っているのは理不尽だと思っていたけれど、なんだか納得でき始めてしまった。松隆がこういう目で紘のことを見ていると、紘は気付いているのでは。


「大宮先輩のことだから、あの様子なら富野先輩にプレゼントをあげるのは、まあ、間違いないかなと思います。どの程度のものをあげるかは読めませんけどね」

「……ピアスとかあげてたら」

「白黒以前に気持ち悪いですけどね」

「本当に先輩の彼氏を捕まえて、以下略」


 実際、紘は茉莉になにをあげるのだろう。さすがに、あげてる時点で黒だとまでは言えない気がした。入浴剤とか紅茶ならグレーだろう。


「先輩の誕生日、9月でしたよね」

「うん。9月26日」


 夏休みの最後、松隆を含む5、6人に誕生日会をしてもらった。そのときに貰ったガラス細工の木の置物は、それなりに気に入って大事に飾ってある。ちなみに烏間先輩チョイスで、テーマは「空っぽの木」だそうだ。人の苗字をなんだと思ってるのか。


「……大宮先輩にはなにを貰ったんですか?」

「ネックレス。指輪が2つ重なったみたいになってるやつ」

「ふーん……」

「なに」

「いえ、ただの興味本位です。先輩は僕の誕生日になにをくれるんですか」

「異性に誕生日プレゼントあげると9割方黒なんじゃないの」

「僕は別に誕生日プレゼントをもらったからといって先輩に好意を持たれてると勘違いしませんので」


 こともなげに顔色一つ変えずに言うけれど、言葉は鋭利えいりだ。そのせいで、なんだか松隆に「恋愛対象じゃありません」と宣言されているような気がした。だからどうというわけでもないし、私だって後輩のことを恋愛対象に見たりしないんだから、いいんだけど。それでもそんな強い言い方をされると引っかかるものがある。……まあ、いいんだけど。


「たぶん喜多山先輩たちがお祝いしてくれるだろうけど、会ったらケーキくらい買ってあげるよ」


 別に、松隆にそういう目で見られなくていいし、なんならそのほうが安心するけど。


 なんか釈然としない。そんな気持ちであんみつを頬張った。


 その後、だらだらとお喋りを続け、気付けば2時間近くお店に居座っていた。迷惑な客だった。


「……いい加減に帰るか」

「このまま夕飯でも食べます?」

「食べたいところだけど、今日はだいぶ遊んだので帰ります」


 言いながら、話したとおり松隆のシフォンケーキ代を出そうとしたら先に出された。


「付き合わせたんだからいいのに」

「僕が悪い後輩だったら骨のずいまでしぼり取られてますよ」

「コワ。安心して、松隆は悪友ならぬ悪い後輩だから」


 だって、こうして私と浮気まがいのデートをしている共犯者だ。


 そうだ、私達は共犯者なのだ。刑罰を課せられることはなくても、立派な共犯者。


「週明け、紘に映画どうだったか聞いてみようかなあ」

「悪い彼女ですね。見に行かなかったって言われたらどうするんです」

「そういうことね、ってすっぱり諦めるよ」

「なにを?」


 思わず口をついてでたとはいえ、何を諦めるつもりなのか、自分でも分からずに少し戸惑った。


「……紘の浮気を?」

「諦めてどうするんです。そのまま泳がせておくんですか?」

「……別れないのかってこと?」


 松隆は無言だった。それ以上、背中を押す義理はないとでもいいたげだ。


 でも、確かに、私は紘の浮気を突き止めてどうしたいのだろう。責めて、喚きたてて、なじりたいのだろうか。言われてみれば、私は何をしたいのかなんて、考えたことがなかった。


「……さあ、どうなんだろう。でも、少なくとも、私は誰かと別れたことがないから。別れるなんて決断は、できないのかもしれない」


 松隆はやっぱり、背中を押してはくれなかった。

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