第12話 先輩とデートする楽しみですよ

 11月も2週過ぎ、寒さが本格化してきた。サークルに行きさえすれば体は温まるけれど、体が温まるまでが寒くて仕方がない。でもあんまり行かなくても勘が鈍るしな……、なんて自分を叱咤しながらコートへ行く日々。幸いにも、こんな寒い中でも、いつもの仲良し後輩くんは皆勤賞なので、話し相手には困らない。基礎練習とゲーム形式の遊びを終えてコートを片付ける頃には「お疲れ様です」なんて寄ってくる。


「松隆、『八城九シリーズ』って知ってる?」

「なんですか急に。知ってますよ、忍名竜胆原作の推理ものでしょ? あれ、ドラマ化されないかなって期待してたんですけど、アニメ化だったんですよね」

「あ、しかも結構しっかり知ってる。アニメ見た?」

「いえ、見てないです。で、なんですか?」

「いま、映画やってるから、一緒に見に行かないかなって」松隆は一瞬頷きかけたけれど「私と紘と茉莉と」付け加えた瞬間、苦虫を噛み潰した。


「……僕、協力しますとは言いましたけど、地獄の三つどもえの中に入りたくはないですよ」

「なんてこと言うんだ。っていうか、そう、まさしく、三つ巴なので、松隆が来て空気を柔らかくしてください」


 ちなみにくだんの2人は、それぞれ別のコートの端で片付けをしている。松隆は視線をやって紘の位置を確認し「そもそも、僕と大宮先輩の相性が悪い時点で地獄です」とすかさず正直に告げる。


「相性……悪いのかなあ」

「悪いでしょ。先輩とのデートならいつでも待ってますので」

「松隆とただのデートしたら、それは浮気じゃん」

「大宮先輩だって、富野先輩とただのデートするかもしれないでしょ。浮気じゃないけど」

「……松隆、私の味方だよね?」

「そうですよ。こんな協力的な味方、他にいませんよ」


 協力的と好戦的は両立する……のだろうか。思わず考え込んでしまっていると「そういえば津川先輩、彼氏と別れたらしいですよ」と謎の情報が飛び込んできた。


「え、別れたの?」

「らしいですよ。さっき津川先輩が言ってました」


 松隆は沙那が嫌いだけど、沙那は松隆が好き。お陰で沙那がぽろぽろと松隆にプライベートな話を零してしまうことはよくある。そして松隆はそれを「なんで仲良くもない僕が聞かなきゃいけないんですか?」と迷惑そうな顔をして聞いて、私に話す。そこまでが一連の流れだ。


 それはさておき、沙那に彼氏がいなくなっただと……。ついこの間、それこそ紘と茉莉が一緒に映画を見ていたところを東野に呼び出されて云々なんて話があったのに。


「沙那が別れた彼氏って……東野だよね?」

「そうですね。僕は名前しか知りませんけど」


 東野は法学部の2回生なので、松隆が知らないのは当然だ。


「ほら、この間、大宮先輩の部屋から津川先輩だけ彼氏に呼び出されて帰ったって話があったじゃないですか」

「うん」

「あれが原因で、少し前の日曜日に別れたらしいですよ」

「少し前って……」

「10月最後の日曜日ですね」


 ということは、学祭の買い出しに行っていた日だ。きっとあの買い出しの後に別れたのだろう。そうでなければ、あの買い出しの最中に話題にしていたはずだ。


「津川先輩がふったらしいですよ。軽率にも男の部屋に上がり込んだことについて怒られたとかなんとか」

「そんなことで別れたの──って言おうとしたけど、そっか。まあ東野くん、男がいる飲み会すら嫌がるらしいからなあ。他に女子がいても部屋はアウトだろうね」

「相性最悪じゃないですか。なんで付き合ったんですかね」

「顔が好きらしいよ」

「津川先輩、そんなのばっかりですね」

「松隆、狙われちゃうじゃん」

「本当に無理です」


 いつになく冷ややかな声に松隆の本音を見た。これ以上は言うまい。


「先輩こそ、その東野さんを見習っては?」

「なにが?」

「大宮先輩の部屋に入った津川先輩がアウトなら、津川先輩と富野先輩を部屋に入れた大宮先輩もアウトでしょ」


 今度は私が苦虫を噛み潰す番だ。なんでこの後輩はしてやったりな顔をしているんだろう。沙那に狙われると言ったのがそんなに腹立たしかったのか。


「さすがにそれはいわゆる束縛の強い恋人でしょ」

「まあそうだろうなとは思いますけど」

「でしょ。まー、東野は彼女に浮気されて、挙句フラれたことがあったらしいから、そうやって過敏になるのは一種のトラウマというか、仕方ない感じはするけど」

「なんで束縛強くちゃいけないんですか?」


 思わぬ角度からの疑問に、思わずキョトンとしてしまった。脳にモーターがついていたら、一時停止していたと思う。


「……なんで?」

「束縛強い恋人なんて世の中にありふれてるじゃないですか、その東野さんしかり」


 愚かにもオウム返しした私に、松隆は繰り返す。


「なんで先輩は束縛を強くしちゃだめなんですか?」

「なんでって……束縛、されたくなくない?」

「先輩の彼氏は大宮先輩じゃないですか、僕に聞かれたって困りますよ」

「いや……一般論として」

「さあ、されたい人もいるんじゃないですか?」

「……少なくとも紘はされたくないタイプだと」

「じゃ、先輩は、大宮先輩のために束縛しないってわけですね」


 含みのある笑みと声音に、すぐ察しがついた。松隆は「束縛しないのはプライドでは?」と指摘したいのだろう。そしてそれは図星だった。


「……なんだか、今日の松隆、いじわるじゃない?」

「そんなことありませんよ。話は戻りますけど、八城九シリーズの映画は遠慮しときます」

「いじわる!」

「いじわるじゃないでしょ。そんな地獄の映画観賞会に行くのは喜多山先輩くらいだと思いますよ」


 確かに、重度のアニオタの喜多山先輩ならメンバーに関わらず二つ返事で了承してくれるだろう。でも喜多山先輩とは特に仲良くないので誘えるはずがない。頼みの綱が切れてしまった。


「ていうか、別に行かなくたっていいんだよなあ」


 八城九シリーズだから見ようとは思ったものの、3部作のうち1つが駄作。しかも、残り2作品についても、作者の忍名おしの竜胆りんどうは監修を務めるだけ。となれば、残り2部も駄作の可能性は高い。残り2部を見ようか悩んでしまうのは、期待半分、惰性だせい半分だ。


 ……私が行かないと言ったら、紘は茉莉と2人で行くのだろうか。


「じゃ、行かないって言えばいいんじゃないですか。大宮先輩が富野先輩と2人で行けば──」

「行けば!?」

「僕と2人で映画に行けますよ」


 がっくりと肩を落とした。確かに、松隆が協力してくれるのはその限りだ。


「松隆と何の映画を見るっていうの……。あ、でも松隆って映画好きなんだっけ。面白いのあったら教えてよ」

「そんなこと言われても、個人によって趣味はあるんですから。僕が面白いと感じたからといって先輩が同じに感じるとは限りませんし、少しは好きな映画を絞ってくれないと」

「……松隆、実は理屈っぽいからモテないんじゃない?」

「本当に先輩は僕に失礼ですね」


 先輩に失礼を連発するのもどうなんだと言い返したかったけれど、黙った。


「好きな映画ねえ……基本的に小説の映画化しか見ないんだよね。あ、恋愛ものは嫌い」

「恋愛もの、見てみたらいいんじゃないですか。大宮先輩との関係の参考になるかもしれませんよ」

「そう思って『盲目的な恋情』って恋愛もの小説を買って読んだけどさっぱり分からなかった」

「本当にやってたとは思いませんでした。もしかして馬鹿ですか」

「先輩に馬鹿って言うな!」


 キッと睨み付けていると、視線の延長上にいる紘がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。きょろきょろと辺りを見回すけれど、紘が話しかけそうな相手は私以外に見当たらない。


 きっと私に用事なんだろう。紘は、遠くから私に声をかけない。きっと、みんなの前でなんて呼べばいいのかが分からないから。


「お前、今週ひま?」


 案の定、用事があるのは私だったようだし、呼び方は「お前」だ。松隆はそっと、私と紘に気を遣うように一歩下がる。紘は松隆に視線を向けることはなかった。


「今週……って土日のこと? 別に暇だけど」

八城やしろここのシリーズのcase2、見に行こうって話してただろ。あれ、土曜はどうかと思って。午後なら富野も空いてるらしいし」


 あー、その話ね。隣の松隆がそう思っているのが気配だけでも伝わってきた。本当は足を踏みつけたかったけれど我慢した。


「えーっと……」


 八城九シリーズのcase2とcase3を見たいのは、期待半分、惰性半分。case1が駄作だったからといって、case2とcase3もそうだとは限らないわざわざ劇場に1500円を払ってまで見に行くほど期待値は高いか? そもそも、紘だけじゃなくて茉莉とも一緒に行くことにどれだけの楽しみがある? 茉莉の予定をご丁寧に確認した後に彼女わたしの予定を確認する紘と、茉莉と、映画に行くことに、どれだけの楽しみが。


 なんとなく私は見なくていいかなと思ってる。でも、断ったら、紘は茉莉と2人で行くの? ──それが本音だったけれど、まるっと全部口に出すなんてできるはずがない。


「……ううん、八城九シリーズの映画はいいや。case1が残念だったし」


 せいぜい口に出せるのは、前半だけだ。


「え、いいじゃん、case2は脚本が違うから面白いかもしんねーよ」

「……でも、私が好きな八城九はやっぱり忍名竜胆の脚本ありきだし」

「そう? んじゃま、いっか」


 会話終了。紘はきびすを返すけれど。


「先輩、一緒に見る相手探してるなら、喜多山先輩とかどうです?」


 松隆がささやかな攻撃を仕掛けた。それどころか「ほら、喜多山先輩ってアニメなら何でも見そうですし」なんて畳みかけるものだから思わず表情を変えてしまいそうになる。


 それをぐっと堪え、紘の表情を伺う。さすがに茉莉と一緒に見るとは答えないだろうけれど、どう出る。


「喜多山先輩はいいだろ、case1見てるか分かんねーし」


 紘の表情も回答も無難で、内心をはかるには材料が足りない。しいていうなら、茉莉もcase1は見てないじゃんとは思ったけれど、さすがに口には出せない。


「松隆は見てんの?」

「いえ、見てないです。小説は読んだんですけどね」

「あそ」


 それ以上、紘と松隆との会話は続かなかった。わざとらしく「さーてバイトバイト」と言いながら、立ち去った。


「……なに、さっきのジャブ」

「ジャブですよ」

「何を狙ってのジャブなの」

「出方をうかがっただけですよ。なんて答えるつもりなのかな、と」


 ……私にとっての茉莉が紘にとっての松隆になるように協力してほしいとは頼んだけれど、それは、そこまでするのは、なんというか……。


「先輩、『螺鈿らでんの悪意』見に行きません?」

「……え、ごめん、なに?」


 考え込んでいたせいで聞いていなかった。松隆は「映画見に行きましょうって言ったんですよ」と(多分)同じことを繰り返す。


「……八城九シリーズじゃなくて?」

「じゃなくて、です。『螺鈿の悪意』っていう映画ですよ」

「なにそれ、聞いたことない」


 というか、さっきまで私の趣味が分からないから云々うんぬんと言っていたくせに。首を傾げると「推理もの、好きなんでしょ? これもミステリーですよ」とスマホを見せてくれた。どうやら『螺鈿の悪意』のPVらしい。


 PVによれば、ある日、一人の作家・海山みやまりくが殺害される。その容疑者に浮上したのは、その作家と高校の同級生だった作家・黒木くろきなつめ。しかし黒木なつめには動機がなく、なによりアリバイもある。刑事の高村たかむら雄平ゆうへいは、釈然としない気持ちを抱えつつも黒木なつめの取調べを終了するが、ある日、黒木なつめが、海山陸の明けた穴を埋める形でて新連載を始めたことを知る。高村雄平は、先輩刑事たちに「お前の勘はあてにならん」「いい加減真犯人を探せ」とどやされながらも黒木なつめの周辺を徹底的に捜査していく──。


「へーえ、面白そう」


 不気味で暗い雰囲気の映画だけれど、少なくとも八城九シリーズのcase2に期待を寄せるよりはこれを見たほうがよさそうだ。


「いいじゃん、見に行──」頷こうとして「……いや待って。松隆と2人で行ったら問題があるでしょ」

「なにか問題でも?」

「問題でしょ?」


 だってそれはデートじゃないか──。口には出さずとも、松隆には伝わったはずだ。ふ、と松隆はスマホ片手に不敵に笑う。


「じゃ、こういうのはどうです。今週の土曜日、大宮先輩が富野先輩と2人で映画を見たら、一緒に行きましょう」


 紘が茉莉とデートをするなら、私も松隆とデートをする。紘にとっての茉莉が、私にとっての松隆になるように。それなら確かに、松隆に依頼した協力の内容に沿うし、まさしく私が松隆に期待するものだ。


「……それならいいよ。っていうか、私のほうから頼むべきことかもしれないけど。でも、あの2人が映画に行くかなんてわからないじゃん」

「あの様子なら行くと思いますけどね、大宮先輩。それに、来週は学祭で土日は潰れますから、近々見るなら今週末じゃないですかね」それは確かにと頷けば「映画館、どうせ河原町のでしょ? 土曜日の午後って言ってましたし、土曜の午後に張り込みでもしましょうよ」


 張り込みなんて言われると、まるで探偵みたいだ。でも、言われてみれば、被疑事実は浮気、容疑者は茉莉、絞り込んだ犯行時刻は土曜日の午後、なんて要素はどれもそれっぽい。見る映画が推理ものだというのも、なんだか面白い偶然だ。


「……松隆、実はちょっと楽しんでるでしょ」


 ただし、被害者は私本人。他人事ならもう少し楽しめたかもしれないけど……。


 現に松隆はふふっと楽しそうに笑う。


「まあ、半分くらいは」

「もう半分はなに? 例によって憐れみ?」


 もう分かってるからいいけどさ、と肩を竦めると、松隆はその微笑を深くした。


「まさか。先輩とデートする楽しみですよ」


 不覚にも、その笑みとセリフに硬直してしまった。また馬鹿にされると思っていたのに予想外だった。いや、それ以上に、松隆の口からそんな口説き文句というか──いや口説き文句とまでは言わないけど──冗談にしたって、今までそんなこと言わなかったくせに。


「……なに冗談言ってんの」

「本当に楽しみにしてるんですけどね。じゃ、土曜日のお昼に会いましょう」


 とがめるような私の声をいつもの調子でかわし、松隆はひらひらと手を振って去っていった。後輩とは思えない態度だ。


 それにしたって──。あの魅惑的な笑みに、一体何人の女子が騙されてきたのだろう。やっぱりイケメンは警戒するに限る。胸に手を当てながら、一人で頷いた。

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