第11話 空木はサバサバしてるからなあ

 そんな私の不安を空にしたように、次の日は朝からどんよりと重たい曇り空だった。


「うわ、午後から雨だって」

「マジか。映画見たらとっとと帰るか」


 なんなら3時頃から降りだすらしい。せっかくのデートにケチをつけられた気分だ。持っていく予定だったバッグは折り畳み傘が入らないので、仕方なく別のバッグにした。なんなら、雨に濡れても大丈夫なように、少し古いものにした。服だって、この秋に着ようと意気込んでいたものを着るのはやめた。レインブーツにしようか悩んだけれど、足首まで隠れると足が太く見えるし、そんなに強い雨は降らないみたいだし、やっぱり少し古いパンプスを選んだ。


 雨の日のデートの悪いところは、こういうところだ。なにかにつけてテンションを下げてくる。


「せっかくの休みなのに」

「サークルある日に雨降るよりいいじゃん」


 私は玄関を出ながら溜息を吐くけれど、紘はどちらかというと雨が今日に当たってくれてよかった、なんて口調だ。実際「雨の日の筋トレはだるいからなあ」なんて言っている。


 映画を見る前、隣のコーヒーショップでお昼を食べる頃、天気予報を見ると、雨の降りだす時間が午後2時に変わっていた。ショートフィルムなので、ちょうど映画を見終わる時間帯。なんとも、タイミングの悪い日だ。


「なんか、今日元気なくない?」

「……雨だからテンションが上がらなくて」

「お前は晴れてるからってテンション上がるタイプでもないだろ」

「そういうことじゃなくてさあ」


 そういうことじゃない。紘は何も分かっていない。なんならその返答はどんな文脈でも間違いだ。


「……まあ、八城九シリーズがまた見れると思って元気を蓄える」


 気を取り直すように、勢いよくコーヒーを飲んだ。


 が、肝心の映画を見ても、そのテンションはどうしても上がらなかった。


 私が好きな八城九シリーズと違う……。エンドロールが流れるまで見ても、抱いた感想はそんなものだった。確かに、今回の脚本は忍名竜胆じゃないし、多少違うのは想定の範囲内だった。でも、それにしたって……。


「キャラ造形の深堀って感じだったな」


 ただ、席を立つとき、紘はそんなに不満はなさそうだった。実際、今回のショートフィルムで主人公になった諏訪すわじんは、八城九の相棒で、当然そこそこメインを張るキャラクターだったし、ショートフィルムで主人公になるのに申し分はなかった。ただし。


「……忍名竜胆、本当にこれ監修したのかってくらい推理ガバガバだったね」

「あー、それはな。思ったけど、仕方なくね。今回は推理じゃなくて、諏訪が何を考えて医者をやってるかってのがメインだし」

「でも、八城九シリーズの売りってそこじゃなくない? 一応、緻密ちみつな工作がされた本格推理小説じゃん? でも今回の事件は動機とアリバイの有無でごり押しって感じだし」


 もちろん、八城九シリーズはキャラクターも魅力的だけれど、キャラクターの魅力は推理あってのものだ。実際、読んでいると、読者も八城九と一緒に推理を進めたくなるように書かれている。それが八城九シリーズの売りというのもあってか、アニメでも、容疑者の仕草や表情は細かく描写されていた。


 ただ、今回のショートフィルムのメインは推理ではなく、キャラクター。それはそれでいいけれど、ろくなアリバイトリックもなく、自棄になった犯人に自白させるだけの話は、推理ものとしてはなんとも釈然としない、後味の悪さがを残す。


「まー、そういうのもいいんじゃねーの。レビューでも、今回は諏訪が主人公だって書いてあったしさ」

「まあ、そうだね……」


 納得はしてないけれど、いつまでも拗ねてるわけにはいかないし、無理矢理頷かざるを得ない。そう頷きながら映画館を出て、アーケードの屋根の下から外の様子をうかがうと、すでに傘を差している人が何人かいた。


「うわ、本当に降りだしてる」

「面倒くせえなあ。屋根の下歩いて行こうぜ」


 映画を見る前にコーヒーを飲んでしまったし、1時間しか経ってないし、今からどこかに寄り道する口実はなかった。雨でなければ、屋根があるかどうかなんて気にせずにあたりを歩くだけでもよかったのに。


 そんな溜息を吐きながら、アーケードを出たとき──紘が「あれ、富野じゃん」と驚いた声を出した。


「生葉と大宮、デート?」


 私が顔を上げるより早く、沙那の声が聞こえた。途端に私の顔は強張こわばる。見た先には、沙那と茉莉と──あと3人、サークルのメンバーがいた。学祭担当の喜多山きたやま先輩がいることから判断するに、どうやら学祭の集まりらしい。


「なにしてんですか?」

「学祭の買い出し。ほら、コスプレして客引きしてもらうから、そこのドンキで買おうと思って」


 喜多山先輩の返事に「あー、なるほどね」と紘と揃って頷いた。


「大宮と生葉も来る?」


 そしてまた、沙那も余計な一言を口にする。


 いや、デート中なんで。学祭の仕事は、私には割り当てられてないし。そもそも、沙那と茉莉と紘がセットになるような組み合わせなんて避けたいし。私はこのまま紘と帰ります。


「んじゃ行くか、どうせ帰るだけだったし」


 そう口にできたら、どれだけよかっただろう。


「……そうだね」


 せめて、私だけでも帰ることにしたかったな。


 そんな私の落ち込みなどいざしらず、紘は沙那と「なにしてたの?」「映画見てた。八城九シリーズ」「なにそれ?」「お前は知らねーよ」と話し始めた。1人で歩き出した私の隣には、慌てたように茉莉が並ぶ。美しい黒髪ストレートは、雨の日も1本たりとも乱れていない。湿気のせいで数本のちぢれ毛が飛び出ている私のくせ毛とは雲泥うんでいの差だ。


「生葉ちゃん、ごめんね? せっかくデートしてたのに」


 それでもって、例によってこの気遣い。裏があるんじゃないかって思えるくらい性格が良いのに、本当に全く裏がないのだから、私だって恨むに恨めない。


「ううん、全然。どうせ、雨だからこのまま帰ろうかって話してたし」

「うーん、生葉ちゃんは気にしないとは思ったけど、そっか」

「空木はサバサバしてるからなあ」


 私達を振り向いた喜多山先輩も頷いた。でも、2人とも間違えている。サバサバしてるなんて言われるけれど、私はそんなんじゃない。周りからサバサバしていると言われておきたいがために、紘にも茉莉にも何も言えずに黙っているだけで、ごく普通の、ありふれた“女子”だ。


「なんの映画見てたの?」

「八城九シリーズ」

「え、私も好き!」


 知ってる? と聞く前に、茉莉がぱっとその表情を明るくした。二重の大きな目が輝き、私は人知れず息を呑む。しまった・・・・、と。


「忍名竜胆原作のでしょ? いいなー、見たいって思ってたんだけど、ひとりだと河原町まで来るの面倒くさくて」

「え、お前も八城九シリーズ好きだったの?」


 後ろを歩いていた紘が、会話に加わる。


「八城九シリーズっていうか、忍名竜胆が好き。デビュー作の『金盞花きんせんか』ではまちゃって」

「マジか。俺は『ロック・アウト』から」

「ああっ、『ロック・アウト』いいよね! 実は『金盞花』とちょっと話が繋がってるんだよ。っていうか、忍名竜胆って全部そうだけど」

「え、じゃあ『八城九の事件簿』も他作のキャラ出てんのかな。ほかのも漁ってみるか」


 忍名竜胆を好きだとはいえ、八城九シリーズのほか『ロック・アウト』『ブルー・エンド』『告発』くらいしか読んだことのない私には、加われない話だった。なんなら『ロック・アウト』は紘が好きだというから読んだだけで、忍名竜胆の中ではあまり好きなほうではなかった。


「てか、だったらcase2とcase3、一緒に見に行く?」


 ──ほらね。


「え、それは、私が参加してもいいんですか? case1は生葉ちゃんとのデートだったわけだし、case2とcase3も……」

「デートって言ったって、ただ一緒に映画見るだけだし。な?」


 よかった、私が誘われた、なんて、昨晩の浮かれた喜びはどこへやら。


「うん、いいよ、別に」


 紘に念押しされて、私は頷くことしかできなかった。


 内心で溜息ばかり吐きながら、その後、二時間近く、学祭の衣装と小道具選びに付き合った。このメンバーの中に松隆がいないのは不幸中の幸いというべきか、不幸中のさらなる不幸というべきか。松隆がいれば、松隆と話して少しはストレスが発散できたかもしれないけど、そんなことをすると沙那に何を言われるか分かったもんじゃないし、紘の機嫌も損ねてしまう気がした。


「いいなー、俺も彼女欲しいなあ」


 帰り道、バス停まで歩きながら、喜多山先輩がそう零した。喜多山先輩は高校のときから付き合っていた彼女に2年前にフラれて以来、彼女がいないらしい。


「なんで彼女が欲しいんですか?」

「それは彼氏がいるヤツのおごりだぞ」

「いえ、素朴な疑問として」


 紘にとって、私はどのくらいの価値とか必要性があるのだろうか。


「そりゃ、いないよりいるほうがいいだろ」

「それは見栄とかそういう意味です?」

「見栄とは言わないけど。それこそ、大宮は、映画見たいってなったら空木を誘えばいいわけだろ?」


 私じゃなくても茉莉のことを誘えばいいんじゃないですかね、とはさすがに口に出せなかった。


「そういう風に、気軽に一番に誘える相手がいたら便利じゃん」


 紘にとって、私は、気軽に誘える気楽で便利な相手なのだろうか。


「ひとりで見ればいいじゃないですか」

「ひとりはイヤなんだよ、俺は! 寝ててもいいから映画館まで一緒に行ってほしい」

「なんですか、それ」


 紘にとって、私は、一人でいたくないときに呼ぶことができる、もっとも身近な相手に過ぎないのだろうか。


 バス停の前、私の隣に並んだ紘と茉莉の姿を見ながら、だったらやっぱり、私じゃなくてもいいんじゃないか、なんて考える。

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